36 大切なことを忘れるために毎週僕はエッセイを書くのです。

 今年の五月一日でカクヨムをはじめて二年になります。

 学校で言うと二年生から三年生へと進級する時期にあたりますね。


 中学、高校で言えば三年生は最終学年です。

 ん? ということは、今年の一年で僕はカクヨムを卒業するのかな? とくにそういう予定はないので、今の僕は小学生なのでしょう。


 学年が上がったのを区切りに毎週水曜日に更新していたエッセイを不定期連載にいたします。

 毎週読んでくださっていた方、本当にありがとうございました。

 不定期連載の期間は半年を予定しています。


 その間、友人の倉木さとしと「木曜日の往復書簡集(仮)」という毎回一つのテーマを決めて、答えていく連載をします。

 タイトルにある通り、こちらは木曜日に更新予定です。

 お暇であれば読んでみていただけたら、嬉しいです。


 さて、今回のエッセイなのですが、カクヨムをはじめたのが二年前ということなので、当時の自分について書いてみたいと思います。

 とは言ってみたものの、二年前の二十七歳の自分について僕はほとんど覚えていないことに気づきました。

 忘れてしまっているなぁ、と実感したところで、ゲンロンαというサイトで読んだ記事が浮かんできました。


 大山顕の「スマホの写真論(1)記憶は場所にある」という記事で、そんな中に以下のような一文があります。


 ――ぼくは「忘れない」というスローガンが苦手だ。日本中でここ数年、耳にたこができるぐらい聞いている言葉だ。なんかやだなあ、と思ってしまうのはこの標語がすごく重いからだ。忘れないでいるのはしんどい。それにぼくはものすごく忘れっぽい人間なのだ。しかも四〇歳を超えてますます磨きがかかってきている。そこでぼくは「忘れない」の代わりに「思い出せる」を実践しようと心がけている。ふだんは忘れていていい。しかし必要なときに思い出す。そしてまた「忘れて」しまう。ふたたび思い出すべきときが来るまで。


 忘れないでいるのは確かにしんどい。

 けれど、忘れたくない気持ちや出来事というのも、実際のところあります。

 今こうしてエッセイを書き、カクヨムをはじめた二年前から欠かさず書き続けてきたのは、この忘れたくないものを形にしておきたい、という欲求があったからなんだろうと思います。


 エッセイとして文章化されていることで、僕は「忘れない」というしんどいものから逃れて、いろんなことを忘れられるようになった気がします。

 あえて、村上春樹のインタビュー集のタイトルみたいに言いますと、

「大切なことを忘れるために毎週僕はエッセイを書くのです」

 になります。


 正確には「書いてきたのです」ですかね?

 村上春樹のタイトルに引っ張られすぎていますね。

 ひとまず、忘れなければ大山顕の言う「思い出す」という訓練はできません。


 ということで、二年前の二十七歳の頃の僕について思い出してみます。

 これも一つの訓練です。


 浮かんできたのは2013年の新潮6月号の池澤夏樹と高橋源一郎の対談でした。

 タイトルは「死者たちと小説の運命」で、池澤夏樹の「双頭の舟」という小説の話から始まります。

「双頭の舟」は3・11の出来事が契機になって、書かれました。


 内容は主人公が乗った「しまなみ8」という小さなフェリーが小説の中で、どんどん大きくなって「さくら丸」という名前に変わり、最終的には「さくら半島」として陸地になってしまう、というものです。

 

 現実にはあり得ない内容ですが、救いのある話だと当時感じたのを思い出しました。対談でも、それについて語っているくだりがあったので引用させてください。


 ――高橋 でも船が半島になってしまうという展開は、楽観的に過ぎませんか。

 池澤 もちろんこれは奇跡だけれども、あの大地震だっていわば自然の側がおこしたネガティブな奇跡じゃないですか。とんでもないことを自然はやってみせて、それによって人々に受難が起こったわけです。だから人々の苦しみを救済するには、自然の奇跡に対して超自然の奇跡をぶつけてもいいだろうと思ったのです。だって、そういう奇蹟を用意しなければ、東北の人たちはもとの暮らしに戻れないんだから。

 

 小説を読むことが何の役に立つの?

 あるいは、小説を読むことでどんな良いことがあるの?

 と実際に面と向かって訊ねられたことがあります。

 僕はその度に、「(そう思うのであれば)読まなくていいんじゃない?」と言ってきました。


 それは単純に本を読むことで役に立つこと、良いことは読んだ後にしか分からないからです。

 ひらがなを学ぶ前に、ひらがながどのように役立ち、どんな良いことがあるのか、を説明できないこととそれは同義です。

 けれど、訪ねてきた人には分からないにしても、僕はちゃんと小説を読んで役に立つこと、良いことを伝える努力はすべきなんじゃないか、と思うようになりました。


 おそらく、それが二十七歳の頃からでした。

 二年が経った今も僕は小説の良さをちゃんと伝えられるような気はしません。

 それでも努力はします。


 池澤夏樹が「双頭の舟」で書いたような、都合のいい奇跡を小説家は書いてくれます。

 それは現実逃避とは違います。

 3.11というネガティブな奇蹟が起こった以上、舟が半島になるようなポジティブな奇蹟は起こるべきなんです。

 池澤夏樹は本来、日本国が被災された彼らにそのような救済をすべきだった、と語ります。


「国家には予算があり、復旧の力は行政にあるはずなのに、ほとんど何もしなかった。その隙間を埋めるために」小説家が都合のいい奇跡を用意したっていいじゃないか、という開き直りがあった、と言います。

 僕はその池澤夏樹の開き直りに全面的に賛同します。


 小説は本来、起こるべきはずだった現実を描き、読む人の心の隙間を僅かでも埋めることができます。

 それに何の意味があるのか? と問われれば、その先は実際に小説によって心の隙間を埋められた経験がなければ分からないと言う他ありません。

 僕の限界は今ここにあります。

 

 最後に少し恥ずかしい話をしておきます。

 僕はカクヨムに幾つかの小説を載せています。

 その中に「南風に背中を押されて触れる」という作品があります。

 これは昔、付き合っていた女の子と別れた時、まだ気持ちは残っていたのに何もしなかった記憶を辿って、もし、あの時、別れた女の子と復縁する為に努力したとするなら、何をしたのか? ということを大真面目に考えて書きました。

 なので、今でも後半の方を読み返すと、「うぎゃあ」って声がリアルにでます。


 同じようなテイストで書いた小説がもう一つあります。

 連載中の「西日の中でワルツを踊れ」という作品で、こちらは知人がもし人を殺したとして、それは絶対に許されないことだし、罪は償うべきだけれど、そういう正しさを無視して知人の味方であろうとする時、僕は何をするのか? ということを考えて書きました。


 他にも「眠る少女」や「あの海に落ちた月に触れる」という小説があります。それぞれ僕が選択しなかった、あるいは経験せずに済んだ事象を盛り込んでいますが、前提としては少し違う理由で書いたので、ここでは割愛します。


 小説を読むことで心の隙間を埋めたり、体験したことがない現実を疑似体験できたりします。

 それは自分で小説を書くことでも可能です。

 同時に小説を書くことでしか、得られないものもあります。

 それは今まで自分が感じていたんだけれど、形にならなかったものが言葉になっていくというものです。


 日々生活している中で、他人の目から見れば取るに足らないことで傷ついたり、腹を立てていたんだ、ということに小説を書くことで気づく場合があります。

 そんな自分の一面に気づいて、生きやすくなるとは安易に言えませんが、悪くない経験ではあります。

 なので、小説を書きたいと思っている人には書いてくださいと言いますし、書きたいけど、どうすれば良いか分からない人には全力で相談に乗ります。

 僕のような偏った人間に乗れる相談があるのかは分かりませんが。

 そんな小説を読ませて下さったら、僕はとても幸せな気持ちになれます。


 というような感じで今回のエッセイを終わりたいと思います。

 ここまで読んで下さった方、ありがとうございました。

 

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