25 二十九歳、孤独な都市生活者からの脱却をめぐる。

 少し前に二十九歳になりました。

 二十九歳!


 あと一年で二十代が終わり、三十歳が訪れます。

 いつからか僕は年齢よりも下にも上にも見られたくない、と思うようになりました。

 僕にとっての二十九歳は一度しか体験できないのですから、それを周囲の印象や扱われ方で歪んでしまうのは勿体ない。

 年相応に見られておきたいのです。


 そんなことを言っても、二十九歳らしい振る舞いがどのようなものなのか、明確な考えがある訳ではありません。

 二十八歳、二十七歳の頃もそれらしい振る舞いができていたのか?

 と問われると、首を傾げてしまいます。


 せっかくなので、今回は僕は指標となる二十九歳を探してみることにしました。

 すると、村上春樹の「羊をめぐる冒険」の「僕」が、あと数ヶ月で三十歳だと言っていました。

 

 離婚した元妻との会話シーンなのですが、少々印象的なので引用させて下さい。


 ――「本当のことを言えば、あなたと別れたくないわ」としばらくあとに彼女は言った。

「じゃあ別れなきゃいいさ」と僕は言った。

「でも、あなたと一緒にいてももうどこにも行けないのよ」

 彼女はそれ以上何も言わなかったけれど、彼女の言いたいことはわかるような気がした。僕はあと数ヶ月かのうちに三十になろうとしていた。彼女は二十六になろうとしていた。

 そしてその先にやってくるべきものの大きさに比べれば、我々のこれまでに築いてきたものなど本当に微少なものでしかなかった。あるいはゼロだった。


 ここで書かれる「その先にやってくるべきもの」とは何でしょう?

 それはつまり二十九歳の頃にはやってこず、三十歳になってやってくるものなのでしょうか。


 書いてある通りのことを飲み込むのなら、それは大きいものであり、築いてきた微少なものでは耐えられない何かです。


 それが何か具体的には分かりませんが、「二十九歳」「村上春樹」で思い起こされるのは、

 彼の最初の作品「風の歌を聴け」が一九七八年、村上春樹が二十九歳の時に書かれたことです。


 翌年(三十歳の時)に第三十三回群像新人文学賞を村上春樹は受賞します。

 受賞の言葉の締めくくりが今の僕には重要な気がするので、引用させてください。


 ――受賞したことは非常に嬉しいけれど、形のあるものだけにこだわりたくないし、またそういった歳でもないと思う。


 つまり、二十代であれば形のあるものにこだわっても良いけれど、三十歳は「そういった歳でもない」と村上春樹は考えているようです。


 ならば、「その先にやってくるべきもの」も形にこだわらない何かなのかも知れません。

 もしくは、形にこだわることでは築けない何か、とも考えられます。


「羊をめぐる冒険」の引用部分では「あるいは(築いてきたものは)ゼロだった」とも言っています。


 それについて考える為に、村上春樹が「羊をめぐる冒険」を書く際に影響を受けたと言う、レイモンド・チャンドラーの小説的構造について引用させてください。


 ――まず第一に主人公が孤独な都市生活者であること。

 それから、彼が何かを捜そうとしていること。そしてその何かを捜しているうちに、様々な複雑な状況に巻き込まれていること。

 そして彼がその何かをついに見つけたときには、その何かは既に損なわれ、失われてしまっていることです。


 重要なのはおそらく「孤独な都市生活者であること」でしょう。

 では、「羊をめぐる冒険」の「僕」はなぜ、孤独な都市生活者になってしまったのか。


 最初に引用した「羊をめぐる冒険」の続きを引用させてください。


 ――(彼女との離婚)その殆どが僕の責任だった。おそらく僕は誰とも結婚するべきではなかったのだ。少なくとも彼女は僕と結婚するべきではなかった。


 ん?

「その殆どが僕の~」と自らの責任を語りつつ、「少なくとも彼女は~」と最後には責任の所在を彼女に押し付けています。


 というか、「彼女は僕と結婚するべきではなかった」は、もう完全に自分は悪くないって言っていませんか?

 そりゃあ、孤独な都市生活者になるよ。


 少々歪曲した意見かも知れませんが、二十代までは「羊をめぐる冒険」の「僕」のような態度(自分は悪くない)が許されるものの、それを続けることで築けるものは殆どゼロであり、その先(三十歳)にやってくるべきものが到来した時、どうすることもできないのではないか。


 羊をめぐる冒険にでた「僕」を待ち受けていたのは、羊男であり、彼から

「とてもいけないことだ。あんたは何もわかってないんだ。あんたは自分のことしか考えてないよ」

 という指摘をされます。


 自分のことしか考えていない態度を改めること(孤独な都市生活者の脱却)こそが、「羊をめぐる冒険」の根底にはありました。


 そういう読み方をすると「羊をめぐる冒険」のラストは少々感動的です。

 彼は最後に手にした「凄い金額の小切手」をあるバーの共同経営者になる為だけに使います。


「配当も利子もいらない。ただ名前だけでいいんだ」


 言い換えれば、これは責任だけ背負わせてくれと告げているようなものです。

 自分のことしか考えていなかった「僕」が進んで責任を負おうとする物語、それが「羊をめぐる冒険」だったと言えます。


 少なくとも、そのような読み方をすることで、僕にとっての二十九歳の指標は固まりました。


 僕はこれから生きていく上で、望むか望まないかは置いて、あらゆる責任を背負うことになるのでしょう。

 その時に、「自分のことしか考えてない」態度や結論を導き出さないように努めたいと思います。


 可能であれば「形のあるものだけにこだわ」らずに。

 これが一番、難しいのでしょうが。

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