21 空虚さの中でもがくスクールカースト上位男子の結婚について。

 僕がはじめてバーに行ったのは二十三歳の誕生日でした。

 そのバーのマスターは今でも面識があって、今はカレー屋のマスターをやってらっしゃいます。


 知り合って、そろそろ六年になろうとしていて、年齢は僕の七つ上だったと記憶しています。

 六年もの間、僕に様々な出来事があったように、バーのマスターにも人生のあらゆる葛藤があったと最近話してくれました。


 今回はそのバーのマスターの話をしたいと思うのですが、「バーのマスター」と言い続けるのもしっくり来ないので、まずは名前をつけさせてください。


 バーに通いはじめた頃、綾辻行人の「十角館の殺人」をお客さんに勧められて読んでいるが、まったく進まないと言っていました。

 基本的に本を読まず、アニメがお好きな方なので、何がきっかけで「十角館の殺人」を勧められたのか分かりませんが、印象に残っているのでバーのマスターのことを館さんと呼びたいと思います。


 さて、その館さんですが、喋りが上手い上に、顔立ちも整っていて、遊び慣れているので女性にモテていました。

 個人的な印象ですが、女性にモテる方って男性にも人気があるんですよね。

 いわゆる学校の教室で常に人の中心にいる人気者、それが館さんと考えていただいて相違ないと思います。


 最近、改めて聞いたところ僕が知り合った頃の館さんは長く付き合っている彼女さんとは別に四、五人の連絡すれば遊んでくれる女性がいたそうです。

 まぁいたでしょうね。


 そんな館さんの話を進める前に、少し最近見た映画の話をさせてください。

 どちらも小説が原作の映画で「勝手にふるえてろ」と「ここは退屈迎えに来て」です。


 二つを見て、僕の頭に浮かんだのは作家の朝井リョウでした。

 朝井リョウが「桐島、部活やめるってよ」を書いた理由について、

「私はイケメンの空虚を描写したくて『桐島、部活やめるってよ』を書いたぐらい、クールなスクールカースト上位男子が好きなんです」

 と発言されていたことがありました。


 ちなみに、僕は朝井リョウのインタビューを読み漁っていた時期があり、そこで「桐島、部活やめるってよ」の執筆動機について別の理由を挙げていたのを読んだことがあります。

 複数の理由が組み合わさって「桐島、部活やめるってよ」は書かれていたのでしょうが、今回は「イケメンの空虚を描写したくて」というものを抜粋します。


 朝井リョウが描こうとしたイケメン(人気者)の空虚さがまさに、「勝手にふるえてろ」と「ここは退屈迎えに来て」で描かれていました。


 この二つの映画の原作は小説で、どちらも女性作家でした。

「勝手にふるえてろ」の作者は綿矢りさという芥川賞作家で、「ここは退屈迎えに来て」は山内マリコというR-18文学賞を受賞された作家でした。


 僕は綿矢りさと山内マリコの熱心な読者ではないので、深く言及することは避けたいと思うのですが、「勝手にふるえてろ」と「ここは退屈迎えに来て」は類似点の多い作品でした。


 簡単にまとめると、学生時代の人気者の男子に対する憧れを引きずっている女性が、ひょんなことから大人になった彼と再会を果たす、というものです。


 過去の輝かしい記憶とは裏腹に、人気者だった彼は主人公のことを憶えておらず、「名前、なんだっけ?」と問われてしまいます。

 主人公はその問いに答えられません。


 個人的に、その瞬間の松岡茉優と橋本愛の演技は素晴しかったです(ただ、この二人がクラスに居たら現実問題、絶対に覚えてんだろ、とは思いましたよ、当然)。


 大人になった彼が主人公の名前を覚えていなかった部分に、朝井リョウの言う「クールなスクールカースト上位男子の空虚さ」が現されていました。

 人気者の彼にとって、学生時代の人との関わり合いは空虚、空っぽなもので、それ故に彼の振る舞いは多くの人間に受け入れられやすかったのでしょう。


 少なくとも「勝手にふるえてろ」と「ここは退屈迎えに来て」の人気者の共通点はそこにありました。


 さて、冒頭の話に戻りたいと思います。

 僕がはじめて行ったバーのマスター館さんは、いわゆるスクールカースト上位男子の振る舞いをされる方でした。


 彼のバーに行くと人気者に会いたくて来ている人が多く見受けられましたし、誕生日にも多くのプレゼントがカウンターに並べられていました。


 そんな館さんは一度結婚をされています。

 一度と書くように、一年か二年ほどで離婚されたそうです。

 その頃、僕は館さんのされているお店とは異なる場所に引っ越していて、付き合いはなくなっていました。


 交流が復活したきっかけは、僕が仕事を変えた際の最寄駅に、館さんが経営をはじめた居酒屋があったからでした。

 そして、今はその居酒屋もやめ、紆余曲折あってカレー屋をやっています。


 そのカレー屋が僕の仕事帰りの道すがらにあるので、月一くらいの間隔で通っています。

 館さんも三十五歳を超えてくると、あらゆることが整理できてくるのか、過去の自分について語ってくれるようになりました。


 その中に、なぜ離婚したのか、というのがありました。


「結婚した途端に思ったんだけどさ。夫としては奥さんのことを一番大事にしないといけない訳じゃん? 一番大切にするって、どうすれば良いんだ? 何をすれば一番大切ってことになんの? 

 そんなことを考えていたら、セックスレスになっちゃったんだよね。もう全然反応しないんだよ。

 で、俺はもう男性的な機能はなくなったんだって思いながら、風俗に行ったらガンガンに反応すんの。その瞬間の感動と言ったら!」


 風俗に行ったら~、と言うのは男同士のバカ話に落とし込んでおきたい、という館さんの気持ちが透けて見えて、僕は少し大げさに笑ってしまいました。

 セックスレスの苦しさ僕は理解できるとは言い難いですが、最近ツイッターで「♯セックスレスあるある」がトレンドにあがっていて、興味深くは読みました。


 館さんの話を聞いた時、僕の中で浮かんだのは役割としての幻想でした。

 スクールカースト上位男子として相応しい振る舞い、結婚した後の夫として相応しい振る舞い……。

 それらは役割です。


 時に感情と役割が乖離することは当然起ります。

 その時の戸惑いについて書かれた本を僕は好む傾向にあります。

 まさに前々回に題材にした植本一子の「かなわない」はそういう話でもありました。


 今回は男性のみにピックアップして、一つ杉田俊介の本から引用させてください。


 ――怖いと言えること、泣けること、逃げられること。

 それは過去のトラウマを克服するために大切なことだ。

 しかし、世の中の男性たちは、「男らしさ」を守るために、自らの脆弱性や恐怖を否認せざるおえない。

 あたかも、この社会は、男たちに、感情を乖離させ、無痛化に陥ることを積極的に推奨しているかのようだ。

「酒を飲んで暴れたり、酔いつぶれて肝臓を壊すよりも、めそめそ泣いて傷つきを打ち明けることの方が男性にとってはダブーかもしれない」


 館さんの離婚の話を最後まで聞いた後に、僕はセックスレスにならない為には、どうすれば良いんですかね? と訊ねてみました。


「うーん。いろいろ、正直にちゃんと話し合いをするとかじゃないか?」


 結局、人が分かり合う為には顔を見て話し合うのが一番のようです。

 その際、自分は何を感じ取っているのかを考えておく必要はあるのでしょう。

 人は簡単に自分を騙し、役割からの脊髄反射的な言葉を発してしまう社会的な生き物でもありますから。

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