17 不条理な恋愛を前に、僕たちは如何に振る舞うべきなのか。

 本日はクリスマスらしいです。

 昨日が、クリスマス・イブなんですよね?


 みなさまは、クリスマスをどのように過ごされているのでしょうか。

 楽しい幸福な時間であれば良いなと思います。


 と言っても、クリスマスは一つのイベントに過ぎませんから、世間の幸せであれという空気に合わせる必要もないでしょう。

 普通の平日として過ごすのも一興です。


 ちなみに本日が今年最後の水曜日となります。

 来週は2020年です。


 僕がカクヨムを始めたのが2018年の5月なので、去年の12月もエッセイを書いていました。

 去年の最後のエッセイは、弟が結婚すると言うので、結婚について考えてみました、という内容でした。


 弟が結婚すると言っていた彼女とは今年の夏ごろに別れたそうです。

 理由は色々あるようでした。


 弟の小学生時代からの親友いわく

「お前(弟)が結婚するって言うの、なんか自分に言い聞かせているような感じがあって、痛々しかったんだよな」

 とのことです。


 確かに弟の言う結婚するんだ、はどこか義務感のようなニュアンスを含んでいました。

 祖母が亡くなったから、母を喜ばせたいから、自分が年を取ったから。


 あらゆる結婚した方が良い理由を持ってきて、周囲に宣言して自分の逃げ道を無くそうとしている。

 そんな風に見えていたのは確かです。


 二十代半ばの男の子にとって結婚する理由を考えれば、それが自然な姿なのかな? と僕は思っていました。

 一つ前の回で僕は内田樹の「困難な結婚」から以下のような文章を引用しました。


 ――ご自身が「健やか」で「富める」ときは別に結婚なんてしなくてもいいんです。その方が可処分所得も多いし、自由気ままに過ごせるし。健康で豊かなら独身の方が楽なんです。


 弟はまさに「健やか」で「富める」ときですので、自分が結婚をしたいと思っても、具体的な必然性を見つけ出せないのは仕方がないことです。

 独身でいることのメリットは確かにあって、弟で言えば結婚後は流石に相席屋に毎週通うなんてことを易々とはできなくなってしまうでしょう。


 そんな弟ですが、現在は新しい彼女ができてます。

 なので、次に彼から結婚という言葉が出てくる時は痛々しさがないことを祈っています。

 もちろん、結婚が全てではないのでしないなら、しないで良いとも思うのですが。


 そういえば今年の話で一つ、僕の周囲で結婚された方がいました。

 年下の女の子で、友人というか、知人? 前の職場の同僚の方なのですが、僕が住むマンションから徒歩二十分? くらいに住んでいる方でした。


 と言っても、会うことは殆どないのですが、住んでいる場所が近いという理由から婚姻届の保証人の欄を書かせていただきました。

 光栄なことなのですが、両親とか、もっとお世話になった人とかいたのではないか、と心配になりました(完全に余計な心配ですが)。


 そして、今思い出しました。

 僕はちゃんと結婚のお祝いをしていません。

 少し前に酔っ払った勢いで、友人たちと近所のオリジンというお弁当屋さん? 定食屋さん? に来てもらって、一緒にビールは飲みましたが、祝いの品は渡していません。


 何故かノリで買ったちょっと高いレンジでチンする系の肉まんのセットを友人が渡していましたが、それだけです。

 僕は何も渡していませんし、今確認したところ、その時にお礼のLINEを向こうは送ってきてくれているのに、僕は何の返信もしていません。

 普通に申し訳ない気持でいっぱいです。


 2019年の一番の後悔はこの方への結婚のお祝いをしていないことにしたいと思います。

 来年には何かしらの形で、お祝いをします。


 そんな僕の後悔話は脇に置いて、結婚とか恋愛って探せば日常のあちこちに存在しているものだなぁと実感する次第です。

 僕が少女漫画や恋愛小説に惹かれる理由はそこにあるのかなぁと最近少し考えていました。

 見渡せば、ありふれたものとして存在して、人生の深い部分にまで関わってくるもの。


 だから、僕は結婚とか恋愛みたいなものに興味を惹かれるのでしょう。

 少し前に、ネットの記事で鈴木涼美という方の「なぜ日本人はセックスよりオナニーがすきなのか」という文章を読みました。

 やや露骨なタイトルですが、中身はしっかりとしていて、冒頭で村上春樹の「風の歌を聴け」から引用していました。

 

 ――放って置いても人は死ぬし、女と寝る。そういうものだ


 記事の内容としては、現代の日本人は放って置いてもするはずのセックスをしなくなったのは、不自然なのではないか、というものでした。


 鈴木涼美という方は社会学者のようで、社会学的な視点からの問題提起は面白かったです。

 その中で、個人的に面白く感じられたのは以下の文章でした。


 ――そもそもセックスへの欲望がなぜ動機付けとしてあんなにもインパクトがあるのかといえば、セックス及びセックスにつながる恋愛というのが、最も努力や経歴、財力などにかかわらず起こり、またあまりにも不確定要素が多いために、人は何かもっと別のもので努力や武装し、幾度もまたそれに挑戦しようとするからである。

 セックスへの欲望が希薄であれば、その努力がおろそかになるだけでなく、世の不条理への耐性が極めて低い人間が出来上がるように思える。


 セックスへの欲望の努力が世の不条理への耐性になるかどうかは少し考える部分ではあります。

 ただ、恋愛や結婚が偶然によるどこか不条理な部分を含んでいるのは間違いありません。


 選ばれたり、選んだり、信じたり、信じられたり、裏切られたり、裏切ったり……。

 不条理な出来事を前に僕等はどう振る舞うべきか。


 それを知り、学びたいと思っているからこそ僕は結婚や恋愛というものに惹きつけられているのでしょう。

 来年も惹きつけられ続けたいと思います。


 そのようなまとめ方で今年の最後の更新とさせていただきます。

 みなさま、良いお年をお迎えください。

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