16 自分を選ばなかった王子様を、如何に忘れるか。

 みなさま忘年会は済みましたか?


 僕は忘年会が二つ終わり、あと一つが十二月二十三日に控えているのみです。

 昨年と比べると少ない数です。

 おそらく昨年は六つくらいの忘年会に参加していました。

 大人数のもの以外の一対一の飲み会も合わせてですが。


 今年は自分から一切誘わなかったのもあって、三つで収まっています。

 なのですが、色々重なってしまって十一月の終わりから週末には必ず飲み会があり、病院へ行ったり、飲みではないイベントに行ったりと忙しく動き回った結果、本日キャパオーバーになりました。


 あらゆることが嫌になり、余裕がなくなって行動が雑になりました。

 僕は時々そういう事態に陥ります。

 前兆なく陥るので、自覚した頃には取り返しがつかなくなっています。


 僕が取り返しがつかなくなった気持ちになった時の対処法は、とにかく人に会わず心の中に籠城することでした。

 籠城している間、何もしないと退屈なので基本的に漫画を読んだり、アニメを見たりします。


 本日は少し時間があったので漫画を買いました。

 その中に、いくえみ陵の「あなたのことはそれほど」の6巻が入っていました。

 ちなみに6巻が最終巻でした。


 以前にも、このエッセイで書いた作品ですが、その頃はまだ僕は物語の終わりを知らずに書いていたんです。

 今回は「あなたのことはそれほど」の結末を踏まえ、エッセイを書いてみたいと思います。


 まず、「あなたのことはそれほど」の帯には「渾身の底無しW不倫劇」と書かれています。

 不倫の物語には幾つかのフェーズがあると思うのですが、前提として結婚をしていなければ不倫劇は成立しません。


 その為、最初に結婚とは何かということを簡単に書いてみたいと思います。

 丁度、結婚について論じている分かりやすい本が手元にあります。

 内田樹の「困難な結婚」です。


 帯には「今より幸せになるために結婚してはいけません――

 悩めるあなたへ送る、「真に役立つ」結婚論。」と書かれています。


 僕はこの本をいつ買ったのか、いまいち覚えていないのですが、内田樹の本は問答無用で手にしていた時期があったので、その頃でしょう。

「困難な結婚」を読んで幾つか納得する部分がありました。

 引用させてください。


 ――率直に申し上げて、ご自身が「健やか」で「富める」ときは別に結婚なんてしなくてもいいんです。その方が可処分所得も多いし、自由気ままに過ごせるし。健康で豊かなら独身の方が楽なんです。

 結婚しておいてよかったとしみじみ思うのは「病めるとき」と「貧しきとき」です。結婚というのは、そういう人生の危機を生き延びるための安全保障なんです。結婚は「病気ベース・貧乏ベース」で考えるものです。


 ここで面白いなと思ったのは、つまり人間は健康で豊かな時には結婚して良かったと感じにくいのだろうということでした。

 だから、人は不倫するのだと言うのは飛躍した結論ではありますが、人生がうまく行っていると感じる人ほど、より良い豊かさや利益を追求する考えはあります。

 同時に別の考え方もできます。


 以前、文芸誌のすばるで金原ひとみと植本一子の対談が載っていました。

 植本一子の「かなわない」という本に対し、金原ひとみが以下のように書いていたことが紹介されていました。


 ――「不倫にはそこに至るまでの必然性があることがよくわかります。生き延びるため、何かから逃れるためにすることはあっても、世間で言われるような快楽をむさぼるための不倫は、現実にはほとんど存在しないんじゃないか」


 どのような不倫にも、そこに至るまでの必然があるのだとします。


 では、結婚は?

 結婚には必然がないのではないか。


 それが今の僕の考えです。

 さきほどの内田樹の「困難な結婚」に以下のような文章があります。


 ――誰と結婚するかによって人生は変わります。配偶者が違えば、出てくる「自分」も違ってきます。でもそれは、「生で食べても、漬け物にしても、煮ても、焼いても、揚げても茄子はやっぱり茄子だ」という意味で、どれも「ほんとうの自分」なんです。だから、結婚は誰としてもいいし、どれが良くてどれが悪いということはないと僕はつねづね申し上げているわけです。


 幾つか、そうかな? と首を傾げる部分はありますが、ひとまず飲み込むとして、茄子は茄子だとしましょう。


「あなたのことはそれほど」の不倫をしてしまった女性、渡辺美都は中学生の頃に占いで「アナタ二番目に好きな人と結婚すると良い」と言われてしまいます。

 それは渡辺美都にとっての呪いです。


 呪われたまま結婚した彼女は、二十九歳にして中学生の時に一番好きだった男の子、有島光軌と再会し、不倫関係に陥ります。

 渡辺美都は有島光軌との不倫関係によって自らの呪いに抗おうとしたのが、「あなたのことはそれほど」という物語だったと解釈することができます。

 そんな渡辺美都が最終巻である6巻で

 

 ――「有島くん」 て 誰だっけ


 まで行きつきます。


 その時点で、渡辺美都にかかった一番目に好きな人、有島光軌という呪いは解けていると言えます。

 彼女の呪いは何故、解けたのか。


 物語の根幹にあたる部分ですので説明が難しいのですが、とても単純に書くのなら、人生における「健やか」で「富める」が終わり、「病めるとき」と「貧しきとき」が訪れたからでした。


 人の一生を季節に例えるのなら、冬へと向かう秋が渡辺美都に訪れ、内田樹的に言えば「結婚しておいてよかったとしみじみ思う」時期に至ります。

 しかし、秋の季節の渡辺美都の横には誰もいません。


 彼女は二番目に好きだった元夫に対し、「あなたのことを傷つけたことを忘れずに生きていこうと思います」と頭を下げるのみです。

 結婚をしても茄子はやっぱり茄子である訳すから、二番目に好きな人と一緒にいても渡辺美都は変わることはできません。


 茄子から脱却する為には、まず一人になる必要がありました。

 そうすることで、渡辺美都はようやく過去の自分を冷静に見つめることができました。


 冷静な視線で向けられるのは、中学生の頃の渡辺美都です。

「アナタ二番目に好きな人と結婚すると良い」と言われる、その瞬間の渡辺美都に対し、未来の一人になった彼女は


 ――不幸なことなど一度もなかった ほんと それほどには ね。


 と声をかけます。


 ある意味、二番目に好きな人と結婚したこと、一番目に好きな人と不倫したことを「それほどには不幸ではなかった」と言い切っているようにも読めるシーンで、「あなたのことはそれほど」は終わります。

 個人的にはどこか清々しい終わり方で、やや戸惑った後に「サイドストーリー」が始まります。


 このサイドストーリーが見事に清々しさを叩きのめして、ぐつぐつと煮えた人間の嫌なところを描いてくれています。

 誰もが渡辺美都のように茄子からの脱却が叶う筈もなく「生で食べても、漬け物にしても、煮ても、焼いても、揚げても」自分でしかない地獄の巡りに付き合う他ない人だっています。


 是非、これから「あなたのことはそれほど」を読まれる方は、この途方の無い地獄巡りを前に嫌な気持ちになっていただければと思います。


 人間って、そう簡単には変われないんですよね。

 当然と言えば当然なんですけれども。


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