18 青春を終わらせる為のエンドゲーム。
あけましておめでとうございます。
本日、まさかの1月1日です。
前回がクリスマスで、今回が元旦。
2020年です。
みなさま如何お過ごしですか?
と言っても、これを書いている今はまだ2019年なんですが。
2020年はどんな年になるのか、今から楽しみです。
今回は2019年をまとめたような内容を書ければと思っています。よろしくお願い致します。
2019年の1月の終わりに祖母が亡くなりました。
その少し前に作家の橋本治が亡くなっていました。
橋本治の訃報にツイッターで多くの方がツイートをし、その中で彼がWEBちくまで連載していたエッセイの一つが紹介されていました。
タイトルは「人が死ぬこと」。
そこで、
――多分、人はどこかで自分が生きている時代と一体化している。だから、昭和の終わり頃に多くの著名人が死んで行ったことを思い出す。
と書きます。
僕はエッセイでも、この文章を引用し祖母の死について考えました。
祖母が一体化していた時代は平成と言うよりは昭和だったように思います。
その為、祖母の家は時が止まったような感触があり、僕はそれを心地良く感じていました。
ただ、その心地良さは平成のものではない、という点が今になって引っ掛かります。
橋本治のエッセイには以下のような文章もありました。
――平成の三十年は不思議な時間だ。多くの人があまり年を取らない。たいしたことのない芸能人が、古くからいるという理由だけで「大御所」と呼ばれる。年を取らず、成熟もしない。昔の時間だけがただ続いている。
平成の時代を輝かせた「平成のスター」である安室奈美恵や小室哲哉は、平成が終わる前に消えようとしている。平成は短命だが昭和は長い、というのではないだろう。
昭和は、その後の「終わり」が見えなくてまださまよっている――としか思えない。
つまり、昭和という時代は明確な終わりがなく、平成の三十年間の中を彷徨っていると橋本治は書きます。
詳しくは書きませんが、令和になった今も僕は生きたことのない昭和の時間が残っていることを感じます。
その多くは僕をうんざりさせますが、時々祖母の家のように僕を癒しもします。
昭和とは豊かな時代だったのでしょう。
と書くと、いろんなものを取りこぼしてしまいますが、豊かで心地が良かったからこそ、その夢を払い除けられない気持ちは若輩ものである僕も分からない訳ではありません。
現実は辛いものですから。
どれほど一体化した心地のいい時代があったとしても、それは終わりますし、終わらせられなければ腐っていくだけです。
終わりはどんなものにも必要です。
2019年は明確に「終わり」というものを意識された1年だったと僕は思っています。
平成の終わりは言わずもがなんですが、他のキーワードとしては「アベンジャーズ エンドゲーム」と阿部和重の「Orga(ni)sm」を挙げたいと考えています。
「アベンジャーズ エンドゲーム」はマーベル・シネマティック・ユニバース(以下、MCU)の2008年から始まったシリーズ「アベンジャーズ」の完結編として、2019年4月26日に公開されました。
興行収入は「アバター」を抜き世界歴代1位を記録したとのことです。
いわゆるヒーロー映画であるアベンジャーズシリーズを僕は2018年にハマって一気に見ました。
それまで僕はヒーロー映画があまり好きではありませんでしたし、今でもアベンジャーズ以外のヒーロー映画は好んで見ようと思いません。
僕がアベンジャーズを面白いと感じた部分は幾つもあるのですが、今回あえて挙げるとすれば「老い」です。
2008年に始まり2019年に完結編と成りましたので、現実の時間で11年が経過していることを意味します。
この11年によって、例えばMCUシリーズの第一作である「アイアンマン」の主人公、トニー・スタークを演じたロバート・ダウニー・Jrも年齢を重ねました。
当然ですが、皺が増えおじさんになっています。そして、それが良いと僕は思います。
青春がおじさんになっていると言えますが、おじさんになった後のヒーロー、アイアンマンの方が僕は好きです。
ヒーローとは決して子供の為だけにある訳ではないし、大人が子供の頃を思い出して懐かしむだけのものでもありません。
大人がそのままヒーローに憧れられるロジックがMCUには確かにありました。
あくまで僕の考えですが、2008年のアイアンマンから始まる、フェイズ1(インクレディブル・ハルク。アイアンマン2。マイティ・ソー。キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジー。アベンジャーズ)は青春期に位置付けられます。
そこから、フェイズ2や3と進むごとに、人生における複雑さを抱えたヒーローたちも登場していきます。
青春期を終えていながら、大人にもなれない人たちです。
新たなヒーローの登場の裏で、フェイズ1で活躍した人物たちは青春を奪われ、責任を負わされ大人になれと世界に押し出されていきます。
しかし、ヒーローは決して社会的なものでもなければ、政治的なものでもありません。
必ずしも大人が社会的、政治的な存在だとも言いませんが、ヒーローという存在は理想主義で、どこか幼稚です。
世間で言うところの大人とは正反対な位置づけにヒーローは存在します。
そんなヒーローが大人になり、責任のもとで振る舞う作品がMCU、アベンジャーズシリーズだったと僕は思います。
そして、そのアベンジャーズシリーズが2019年に完結しました。
社会的に見て、大人がすべきことは(多くあることの一つとして)次世代に如何に知恵と技術を授けるかにあるのではないかと僕は考えます。
そうしなければ、大人がいなくなった世界は悲惨な運命を辿る他ありませんから。
エンドゲームのラストは現世代の終わりと次世代への継承が確かに描かれていましたし、エンドゲームが上映している最中に次の「スパイダーマン ファー・フロム・ホーム」が予告されていました。
ファー・フロム・ホームはエンドゲームを踏まえた次世代を描く映画になっています。
と、随分長く書いてしまいました。
申し訳ないです。
橋本治の平成の三十年の「大御所」は年を取らず、成熟もしない。
という言葉に対し、日本はそうかも知れないけど、アメリカではちゃんと年を取っていたし、成熟もしていましたよ。
それを日本人が自覚的に受け入れたのかどうかは分かりませんが、面白がっている人もいましたよ。
みたいなことが書きたかったのでした(そして、日本の大御所も年は取っているでしょう。成熟は分かりませんが)。
そして、同時に阿部和重の「Orga(ni)sm」についても書きたいと思っていましたが、少々長く書き過ぎてしまいました。
まとめに入りたいのですが、ここでまた一つまったく違う切り口の話をさせてください。
2019年12月にアニメ制作会社ガイナックスの社長が10代の女性に対する準強制わいせつで逮捕されました。
この事件では「エヴァンゲリオン」の名を付した報道が数多くありました。
それを受けて、エヴァンゲリオンの監督である庵野秀明がネットの記事で
「【庵野秀明・特別寄稿】『エヴァ』の悪用したガイナックスと報道に強く憤る理由」
というタイトルで、一からガイナックスとの関係を語っていました。
実に興味深い内容だったのですが、この記事に対しツイッターでCDBさんが以下のようにツイートされています。
――たぶん庵野秀明という人が山賀博之や岡田斗司夫みたいな人たちに出会わずに1人でどっかのスタジオにアニメーターとして就職しててもエヴァを作ったのかというと絶対作ってないと思う。王立で作った借金返すためにトップ作ろうとか、常にそういうことに巻き込まれないと庵野監督って動けない人だから
――たぶん庵野監督が一番分かってるというか、「あいつらが金とか会社とかに俺を巻き込まなかったら俺たぶんただのオタクとして終わってたかもな」と思ってる、それを含めて「でももう終わりだ、金輪際だ」って言わなきゃいけないところまで来ちゃった、そういう意味ですごく青春の終わりなんだと思う
今回は書けませんでしたが、「Orga(ni)sm」は阿部和重の2003年から始まった神町サーガの完結編として2019年の9月に発売されました。
9月7日に発売された文學界の10月号で阿部和重の特集が組まれ、そこでインタビューに答えています。
インタビューの中で阿部和重はアベンジャーズ エンドゲームを見て「これを終わらせることの大変さはだれよりも分かっているぞ」と共感したと答えています。
庵野秀明もまた終わらせることの大変さに直面し、それでも「これで終わりだ」と強く線を引いたのでしょう。
何か(例えば青春)を終わらせることの困難さ。
それがとくに露見したのが2019年という年だったのではないか、と書いて今回は終わりたいと思います。
これを読んでいるみなさまの一年が健やかで穏やかな日々であることを願っています。
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