14 言葉を失わせる亡霊の呪いにかかった物語。

 ツイッターに「CDB」さんという方がいます。


 プロフィールには「好きな本と映画と気になるニュースについて書きます」とあって、幅広い話題を独自の視点でツイートし、時々まとめてブログを書いています。

 そんなCDBさんが先日、以下のようなツイートをしていました。


 ――あだち充先生の初期の絵はほぼ少女漫画なんですよね。あの時代にものすごく高度に発展した少女漫画の文法や心理描写を少年漫画雑誌に持ち込んだ作家として出発している。


 その後、noteで「『タッチ』の南ちゃんは本当は何者だったのか」という文章を書かれています。


 内容としては浅倉南という女の子が如何に誤解されてきたか、というものなのですが、後半で村上春樹の「ノルウェイの森」にも軽く触れている部分がありました。


「ノルウェイの森」と「タッチ」の内容が似ているとCDBさんは主張したい訳ではなく、正しく理解されず多くの誤解を受けた作品として二つを並べていました。

 僕はこの二つを比べたことはありませんでしたが、改めて考えてみると本質的な根っこの部分に類似点はあるように感じられました。

 CDBさんの文章に対する反応を見ていると、書評・文筆業の三宅香帆さんが以下のようなツイートをしていました。


 ――あだち充のヒロインは大切なことをなかなか喋らないんだよね。あだち充はくりかえし「亡霊の呪いを解消する話」を描いていて、だからこそ身体が言葉よりも先に来るスポーツを題材にするんだと思う。言葉は死者の方が強い場合があるけれど、身体は生きてる人だけのものだから。


 まさに「大切なことをなかなか喋らない」ヒロインは「ノルウェイの森」の直子なのではないか。

 と僕なんかは考えてしまう訳です。


 少なくとも直子が大切なことを語る為には阿美寮で、二つのルールが明言される場所でなければなりませんでした。

 その部分を引用させてください。


 ――まず第一に相手を助けたいと思うこと。そして自分も誰かに助けてもらわなくてはならないのだと思うこと。第二に正直になること。嘘をついたり、物事をとり繕ったり、都合のわるいことを胡麻化したりしないこと。それだけでいいのよ」


 そして、阿美寮のルールに則して主人公、ワタナベトオルは直子に自らの性体験(知らない女の子と寝た)を正直に語ります。


「ノルウェイの森」では三宅香帆さんの言う「身体が言葉よりも先に来る」題材としてセックスが意図的に書かれていたように思います。

 ただ、生きている人間だけのものである身体を使うセックスを「ノルウェイの森」の直子は自由に行使することができませんでした。


 その理由は直子の肉体的な問題なのか、精神的な問題なのか、あるいは環境的な問題なのか、本編を最後まで読んでも確かな納得は得られません。

 分かることは自殺してしまった幼なじみのキヅキとは何度試してもセックスができなかったにも関わらず、二十歳の誕生日にワタナベトオルとはセックスができてしまったことです。


 本編にある通り、直子はワタナベトオルを愛していた訳ではありません。

 愛していたキヅキとはできず、愛していなかったワタナベトオルとはできてしまった。

 この捻じれに直子の絶望の一部はあったように思います。


 視点を変えてワタナベトオルで考えてみると彼は誰とでも寝ることができました。

 ワタナベトオルにとってセックスという行為は愛に基づく営みではなく、身体があれば誰とでもできるスポーツでした。

「ノルウェイの森」の後半、ワタナベトオルはスポーツであるセックスを愛に基づくものとしようと努力をします。

 その頃のワタナベトオルの隣にいるのが小林緑という女の子でした。


 初めて「ノルウェイの森」を読んだ高校一年生の頃、僕は小林緑のような友達がいたら人生はもっと楽しいものになるんだろうなと思ったのを覚えています。

 それは今も変わらない憧れのようなものです。

 僕がどれだけ緑が好きかについてはまた別の機会で語りたいと思います。


 話が随分、脱線してしまいました。

 あだち充の「タッチ」まで戻りたいと思います。


「タッチ」の野球が「ノルウェイの森」で言うセックスだったと言うのには、やや無理はありますが、死者を前にした時には言葉よりも先に来る身体的なものが必要と言う部分で繋ぐことができます。


 その身体的なものがどうして必要かと言えば、「亡霊の呪いを解消する」為でした。「ノルウェイの森」の直子の自殺は身体(生者)よりも言葉(死者)に重きを置いてしまった部分があったからと言えるでしょう。

 しかし、直子が何故自殺を選んだのか、これもまた別の機会にしましょう。


「タッチ」の浅倉南は新体操部に入部し、インターハイで個人優勝もしました。

 だから、南は死に引っ張られなかったと考えるのは単純すぎる上に、「ノルウェイの森」を下敷きにするのなら、死に引っ張られていたのは上杉達也だと考えるべきでしょう。

 事故で亡くなったのは上杉和也なのですから、その双子の兄の達也が死に近く、危うい場所に立っていたと考える方が自然です。


 その上、「タッチ」というタイトルの由来は、バトンタッチの意味だとあだち充は語っています。

 和也から達也にバトンタッチされたもの、それは夢です。

 上杉和也が抱いた夢は南が小学時代に抱いた「母校が甲子園に行く」というものでした。


 つまり、達也がマウンドに立つ意味は和也と南の夢が二重になっている場所でした。

「亡霊の呪いを解消する」為には確かに甲子園に行く必要があったのでしょう。

 少なくとも、達也と南がその先を一緒に生きるのであれば。


 さて、相変わらずの長さになっていますが、本来は冒頭のCDBさんのツイート、あだち充は

「少女漫画の文法や心理描写を少年漫画雑誌に持ち込んだ作家」

 だと言う話から、僕が少女漫画を好きで読んでいる理由は、あだち充の漫画を子供の時から何度も繰り返し読んでいたからなんでしょう。


 ということを書こうと考えていました。

 まったく予想外の話になってしまい、自分でもびっくりです。


 最後に、あだち充の好きな作品を書いて終わりたいと思ったのですが、正直一番とか決められません。

 弟が、あだち充のない人生は考えられないと以前言っていたのですが、本当にその通りです。

 なので、弟が好きだと言う二作を書いて終わりたいと思います。


「ラフ」と「H2」とのことです。

 どちらも名作ですね。

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