13 恋をする為に逆転した欲望「よふかしのうた」を読む。

 2001年11月に斉藤美奈子が編集した「男女という制度」という本を先日、古本屋で購入しました。


 その中で横川寿美子が

「ポスト「少女小説」の現在 女の子は男の子に何を求めているか」

 という文章を書いています。


 内容は少女小説の歴史を描き、2001年1月に刊行された女の子向け文庫三十七作品を検証するというものでした。

 興味深いなと思ったのは「ボーイズラブ」に該当する二十一作品で横川寿美子の理解では以下になることです。


 ――「ボーイズラブ」系の話が女の子に好まれるのは《同性愛志向を持った美貌の男の子は、物語の主人公として、場合によっては女の子以上に、女の子の抱えている「居場所のない思い」とそこからの救済の方向性を、鮮明に表現できるから》ということになるかと思う。


 続けて、

「女の子の抱えている「居場所のない思い」とは、個々人が抱える個別の問題ではなく、日本で暮らす多くの女性たちが、たまたま生まれたことによって被るさまざまな疎外のことである」

 と横川寿美子は書きます。


 これを読んで浮かんだのがコトヤマの「よふかしのうた」でした。

 少年サンデーの漫画なので少年漫画ですが、横川寿美子の書く「居場所のない思い」が確かに描かれていました。

 今回は男の子が抱える「居場所のない思い」について書きたいと思います。


「よふかしのうた」の主人公は夜守(やもり)コウ、中学2年の14歳。

 学校で表面上の良好な関係を築いていたが、突然なにもかもが嫌になって学校に行かなくなった少年です。

 冒頭は以下のようにはじまります。


 ――初めて夜に誰にも言わずに外へ出た。


 夜守コウは「ここには僕しかいない そんな錯覚」を感じ、


 ――見付けた 夜(ここ)が俺の場所なんだ。


 と結論付けます。

 その後に、「なんつって… 言ったところで 僕はきっと学校には行かなきゃいけないし 夜は寝ないといけない」と現実に戻ります。


 そんなコウに

「こんなこと(不登校からの夜遊び) 続けないなんてもったいないぜ。別にいいじゃん 学校なんかつまんねーだろ」

 と言ってのけるのが、吸血鬼である七草ナヅナでした。


「よふかしのうた」は、つまるところ「こんなこと(不登校からの夜遊び)」を肯定された少年と吸血鬼の女の子の話です。


 ここで最初に提示した男の子にとっての「居場所のない思い」について書きたいと思います。


 前回のエッセイ(オムレツを作るためにはまず卵を割らなくてはならない)でも引用した本ですが、杉田俊介「非モテの品格 男にとって「弱さ」とは何か」から一つ紹介させてください。


 ――たとえばある男性は、幼い頃は近所の女の子とままごと遊びをするのが楽しく、男の子同士の攻撃的で乱暴な遊びは苦痛だったが、成長するにつれ力も強くなり、「男らしさ」のイメージを持つようになり、その基準に沿うように努力を続けていた。

 ところが、今度は思春期になって異性に関する関心が高まると、女性たちからは逆に「優しさ」を期待されたりする場合があると知り、自分の中の「男らしさ」の基準がわからなくなり、混乱を感じてきたという。

 しかし、成長とともに、それらの複雑な葛藤や躓きは、わかりやすい「男らしさ」という規範的な価値観の中へと絡め取られて、なかったことにされてしまいがちなのだという。


 少々長い引用でしたが、こちらは男性学を研究する多賀太という方の面接調査ついての言及でした。


 引用文から考えるに、男の子の成長は全て「男らしさ」というわかりやすいものへと集約されるようです。

 その集約される前の複雑な葛藤や躓きこそが、男の子の「居場所のない思い」なのでしょう。


 そして、その「居場所のない思い」は「男らしさ」というわかりやすい価値観に絡め取られ、綺麗さっぱり(か、どうかは置いておいて)消えてしまう訳です。


 まるで、「雪は溶け、水になった。それはわかる。しかし雪の白さはどこへ行ってしまったのだろう(川上未映子「六つの星星」より)」に近い感覚です。

 男の子が「男らしさ」に絡め取れた時、それまでにあった葛藤や躓き(雪の白さ)は、どこへ行ってしまうのでしょうか。


「よふかしのうた」の主人公、夜守コウは自らの複雑な葛藤や躓きが、わかりやすいもの(男らしさ)に絡め取られることを理解していました。

 不登校からの夜遊びなんてせず、学校へ行くべきだ、と。


 それが正しいことなのだとコウは何度も繰り返します。

 しかし、そんなコウの常識的な帰結を否定し、「今日に満足できるまで夜ふかししてみろよ」と言うのが、吸血鬼である七草ナヅナです。


 コウはその言葉に触発され、自分も吸血鬼になりたいとナヅナに告げます。

 吸血鬼になりたいと言う彼の気持ちは「居場所のない思い」への肯定であり、「男らしさ」の否定でもありました。

 

 冒頭の横川寿美子の「ポスト「少女小説」の現在 女の子は男の子に何を求めているか」に戻りたいと思います。

 そこで「ボーイズラブ」系の話が女の子に好まれる理由として、同性愛志向を持った美貌の男の子は、女の子以上に、女の子の抱えている「居場所のない思い」とそこからの救済の方向性を、鮮明に表現できる、からだとされていました。


「よふかしのうた」はこれが逆転します。

 どういうことか説明をさせてください。


 吸血鬼であるナヅナはコウの血を求めます。

 その姿は男性の欲望の仕方(最終的に挿入欲求に帰結する)に近いものがあります。

 つまり、ナヅナにとって最終的にコウの血が吸えれば良い訳です。


 そんなナヅナの欲望の対象となったコウは、女性の欲望の仕方(固有の相手と関係したい、関係欲)で応えようとします。

 コウは常にナヅナとの関係にこだわります。


 この逆転現象が「よふかしのうた」という漫画の最も面白い点です。

 欲望の仕方が逆になっている。

 そうすることで、読者はどちらにも共感して読み進められる。


 さきに紹介した「ボーイズラブ」系の理解を反転させると、男性読者は七草ナヅナの欲望の仕方に、新たな「男らしさ」の方向性を見出すことが可能だと僕は思いました。


 しかし、「よふかしのうた」は前提として、まだ一巻しか刊行されていない漫画です。

 完結していれば(ある程度の)結論も書けますが、二巻三巻と続くことで僕が思った方向性とはまったく別へと進む可能性は充分にあります。


 その為、七草ナヅナの欲望の仕方についてや「男らしさ」の呪縛については、刊行が進んだ頃に改めて考えたいと思います。


 ひとまず、僕が言えることは一つです。

 コトヤマの「よふかしのうた」は面白いですので、ぜひ読んでみてください。

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