12 「怖い」ものを前に誠実であることについて。

 ――男の子(人)って…

 怒らない女が好きなんだよね

 私はいっつも怒ってばかりで上手くいかないもん

 男の人とは


 好きになるときは

 その人をみて好きになるのに

 怒って嫌いになる時って「男って!」って怒ってるの


    鳥飼茜「地獄のガールフレンド」より。


 その話を聞いた後、あるキャラが以下のように言います。


「女の人はね… 大昔から虐げられた歴史の記憶を持って生まれてくるんだって だからいっつも怒ってるんだって」

 続けて「ものの本にそう書いてあったよ」と付け加えらます。


 最近、ネットの記事で「感情史」なるキーワードを知りました。

 そこで「地獄のガールフレンド」で言うところの女性の「虐げられた歴史の記憶」が垣間見える文書がありました。

 紹介させてください。


 ――1827年のあるドイツ語の百科事典では怒りが、「腹立ちの感情の男性的で精力的な発露」として記述されている。

 作家フリードリヒ・シュレーゲルも、女性は「怒りについて無知だ」が、「気高い精神を持つ女性は怒ることはできる。すなわち男性的なのだ」と主張している。


 いわく、女性はいったん怒りに捕らわれればそれに翻弄されるしかない為、感情が自制できる男性のみが怒れると18世紀のヨーロッパでは考えられていたそうです。

 その背景になったのは階級社会の終わりでした。

 18世紀の近代社会での地位の流動化によって、「男女の不平等は自然が定めたものである」とかなんとか。


 僕の個人的な理解を書かせていただくなら、階級社会という上下がはっきりさせられていた社会を近代化し、地位が条件によって上下可能になった時、当時の人間は変更されない基準を既定して安心したかった。


 それが男女という差異。

 男性は生まれ持って女性よりも上。

 としておきたかった。

 少なくとも、そうしておきたい人が多かった、んじゃないかな? と理解しました。


 それが「地獄のガールフレンド」の言う女性の「虐げられた歴史の記憶」の源流に近い一部なのでしょう。


 男女の身体的な差異があることは確かですし、互いに理解が及ばないことも分かります。

 けれど、「人間」であることは同じで、社会を生きる上での権利上は同じであるのが健全なはずです。

 健全か不健全かで言えば、健全な社会である方が圧倒的に良いでしょう。


 ただ、不健全だった社会の歴史があったことも確かです。

「地獄のガールフレンド」的な言説をひっくり返すと、男性には女性を「大昔から虐げてきた歴史の記憶」を持っていることになります。


 加害者としての歴史。

 そして、被害者としての歴史。

 この二つが混ざり合って現代は成り立っているのでしょう。


 引用したドイツ語の百科事典は1827年とのことでした。


 そこで、ふと浮かんだ小説がありました。

 ポーリーヌ・レアージュの「O嬢の物語」という小説で冒頭は以下のように始まります。


 ――一八三八年、平和なバルバドス島(西インド諸島小アンティル列島中の島。英領)で血みどろの暴動が起こった。


 章のタイトルは「序――奴隷状態における幸福」です。

 百科事典の1827年から11年後の西ドイツの描写が序文として差し込まれた「O嬢の物語」は奴隷となった女性の話です。


 個人的な読書体験の中で最も胸くそ悪く、何度も挫折した小説です。もはや圧倒的です。

 何度、あーもうやめて、ホント、……ホントやめようよ。

 と内心で呟いていたことか。


 あらすじを書くのも躊躇する内容なので、文庫本の後ろの紹介文を引用させてください。


 ――パリの前衛的な出版社ポーヴェールから一九五四年に刊行された本書は、発表とともにセンセーショナルを巻き起こし、「ドゥー・マゴ」賞を受賞した。

 女性主人公の魂の告白を通して、自己の肉体の遍歴を回想したこの書物は、人間性の奥底にひそむ非合理な衝動をえぐり出した、真に恐るべき恋愛小説の傑作と評され、多くの評論家によって賞賛された。


 ちなみに日本語へ翻訳したのは澁澤龍彦でした。

 澁澤龍彦があとがきも書いています。そこで彼は「O嬢の物語」を恋愛小説とは読んでいないようでした。

 少々、引用させてください。


 ――この小説のテーマは、簡単に言えば、一人の女がすすんで自由を放棄し、奴隷状態を受け入れ、男たちに強いられた屈従と涙とプロスティテューションのさなかで、訓練を積み、ある晴れやかな魂の状態に達するということである。


 これに僕は心から同意できませんでした。


「訓練を積み、ある晴れやかな魂の状態に達する」のがなぜ、女性だけなのか。

 というよりも「魂の告白」を男性が女性に押し付けてしまっている印象をあとがきによって僕は持ってしまいました。


 もちろん澁澤龍彦は「この小説のテーマは」と語っているので、それが「ある晴れやかな魂の状態に達する」ことなんだと言われれば、頷けない訳ではありません。

 ただ、そこに違和感を覚えます。

 男性が清廉潔白のような書き方に。


 冒頭で引用しました鳥飼茜は「先生の白い嘘」という漫画も書いています。

 こちらの1巻目のラスト付近で、ある男子高校生に主人公の女性が以下のように言います。


 ――ホテルであなたは男と女が平等じゃないって知ったのよ

 女から正しさを奪って

 女から自由まで奪ってしまえる

 そういう不条理な力を持ってること

 …誰かに許されたいだけよ


 でも大丈夫

 …そのうちすぐ慣れるよ

 これから沢山の女をみにくく汚して生きていくの


 自分ではそんな気なくても

 そういう風にしか生きられないの

 そんなの誰も許してくれるわけない


 澁澤龍彦のあとがきに戻ります。

「先生の白い嘘」を照らし合わせるのなら、澁澤龍彦は「誰も許してくれるわけない」加害者の歴史を無視して、開き直って「O嬢の物語」のあとがきを書いている印象がありました。


 少なくとも「O嬢の物語」が「真に恐るべき恋愛小説」だとするのなら、鳥飼茜の「先生の白い嘘」で書かれる男性の「悪」を書くべきだったんじゃないか?

 と1966年に書かれた澁澤龍彦のあとがきに文句を言っても仕方がないのですが。


 さて、鳥飼茜が少し前に結婚したのを知っていますか?


 お相手は浅野いにおでした。

 それをネットニュースで見た頃、僕の住む近所のブックオフが閉店セールをしていました。

 テンションあがって普段買わない本にまで手を伸ばしていて、その中で「鳥飼茜の地獄でガールズトーク」という本を買いました。


 この本の中で、鳥飼茜が浅野いにおと対談をしています。

「先生の白い嘘」の浅野いにおの感想は「怖い」でした。

 怖いと言いつつ、それを鳥飼茜の前で言語化しようとする浅野いにおのスタンスを僕は誠実だと感じました。


 僕も可能な限り誠実でいたいと思っています。

 なかなか難しいですが。

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