9 3月はライオンのようにやってきて、子羊のように去る。
蛍に関する思い出ってありますか?
僕の実家は田舎で山の方にあります。
実家の目の前は農家で、商品にならなかったレタスやトウモロコシなどをよく貰っていました。
自然豊かと思ったことはありませんが、それなりに自然と人の生活が混ざった場所で僕は育ちました。
ただ、近所の川は台風で一度氾濫してダムが建設されました。
その為か分かりませんが、しばらくの間、川に生物を確認できない時期がありました。
ダムが建設される前には蛍が見れたのに。
そんな話を聞く度に、僕の中で蛍の存在は特別な美しいものだと言う印象を持つようになりました。
物語で見る蛍はいつも美しく、幻想的です。
だから、現実でもそうなのだろう、と。
勝手な予想を僕は信じ切っていました。
そんな僕が蛍を生で見たのは高校生になってからでした。
何が理由だったか覚えていませんが、僕と弟と母親の三人で、住んでいる実家よりも奥の山へ行って蛍を見ました。
周囲は真っ暗闇で、遠くに外灯が仄かに光っているだけの場所で、川の音が静かに響いていました。
僕たちが立っている場所から川までの距離があったのも理由なのでしょうが、初めて生で見た蛍はやけにちっぽけでした。
生き物が自ら光を発する。
それも求愛行為として。
間違いなく、それは神秘的なことです。
ただ、認識と現実は乖離していました。
もし今、蛍を生で見られるのなら僕は間違いなく、あの頃とは違ったものを感じるでしょう。
それが乖離をより広げるのか、縮めるのか。
今のところ何も分かりませんが。
という文章から前回のエッセイは始めようと思っていました。
しかし、文量が恐ろしいことになっていたので削って前回はアップしました。
今回はせっかくなので、この文章を冒頭において始めたと思います。
前回は村上春樹の短編「蛍」を題材にしましたが、その本文の中で「僕は彼女と寝た」という一文が出てきます。
そこから、ふと浮かんだ漫画がありました。
シギサワカヤの「九月病」です。
冒頭の方で物語は以下の様に始まります。
――私は兄と寝た。
…したかったからだ。
「九月病」は分厚い上下巻の漫画で、二人で暮らす兄妹の近親相姦と彼らの周囲の人間が描かれる物語です。
長い時間をかけて描かれたからでしょうが、上巻の冒頭と下巻のラストを見比べると絵柄は少々変わります。
それが登場人物の時間経過とも絡まって良い味を出しています。
僕がこの漫画に出会ったのは高校生の頃でした。
読んですぐに大好きになって何度も繰り返し読み、実家を出て初めて一人暮らしをするとなった時、「九月病」と「ノルウェイの森」だけは持っていきました。
十八歳の小説を書きたいと思っていた僕の指南書が「九月病」と「ノルウェイの森」というのは、良いのか悪いのか。
何にしても僕自身はこの二つの物語に強い影響を受けていることは確かです。
そんな九月病はどんな物語かを説明したいと思うのですが、以前作者であるシギサワカヤが
「海老沢碧という通称「兄貴」」が活躍する漫画」
と描いていました(うろ覚え)。
いや、そうなんだけど、海老沢碧は女性だし、本編で兄貴呼ばわりされるけれど、そこを切り取ると何も語れなくなるんですけど? って僕はなりました。
海老沢碧、通称「兄貴」がいじけた主人公、伊坂広志をぶん殴って更生させるのが、「九月病」の醍醐味です。
この主人公、伊坂広志は長男らしく責任感が強く、どこか傷つきやすい。
外面は良いのに内面は脆いと言って良いかも知れません。
なので、婚約者に手痛くフラれた後、妹の伊坂真鶴といとも簡単に関係を持ってしまいます。
妹の伊坂真鶴は兄に恋をしていて、失恋のクッション役であっても彼女は喜んで応えて彼を甘やかします。
上巻を読んでいる時、この二人の関係に出口はあるのだろうかと殆ど絶望的な気持ちになります。
いえ、出口はあるのですが、彼らが幸せになる道が一切見えないのです。
そんな時に登場するのが、通称「兄貴」こと海老沢碧です。
彼女は伊坂広志の同僚です。
登場当初、伊坂広志に一方的な酷い目に遭わされます。
そんな酷い目の後でも、彼女は主人公のことを見捨てず、優しい言葉をかけます。
それでもいじけ続ける主人公に対しては、ぶん殴ります。
最高です。
ここで作りとして秀逸だと思うのは、伊坂広志がどちらの女性とも恋愛関係に陥れなくなっていることです。
肉体関係はあるけれど、妹である伊坂真鶴。
酷い目に遭わせてしまった、同僚の海老沢碧。
伊坂広志がいじけないよう成熟する為には、どこにも寄りかからず、誰にも寄りかかられず一人で生きようとした瞬間でした。
と考えてみると、十八歳の僕はこの一人で生きようとする主人公を自分に重ねていたのかも知れません。
そんな自覚はありませんでしたが。
とりあえず、今の僕は十年間一人暮らしをしてきました。
蛍を初めて見た高校生だった頃から見れば、随分と遠くへと来た自覚はあります。
今なら僕は蛍を見て感動できるんじゃないかと思います。
別に蛍を見て必ずしも感動しないといけない訳ではないのですが、高校生の頃よりも感じ入る部分はあるでしょう。
ちなみに、今になって「九月病」を読み返してみると、矢崎仁司監督の「三月のライオン」という映画が浮かんできます。
羽海野チカ原作の「3月のライオン」ではなく、古い邦画の「三月のライオン」です。
調べてみると、公開は1992年でした。
こちらは記憶喪失になった兄を妹が連れ出して、私たちは恋人同士なのだと言って、同棲生活をするというものです。
まったく別のものとも言えますが、幾つかのキーワードと空気感が似ているので、「九月病」がお好きな方は是非「三月のライオン」を見てみてください。
BGMが一切なく、説明を殆ど台詞でしない映画なので、最初は戸惑いますが中盤辺りから引き込まれます。
見終わった後、矢崎仁司監督の他の作品も見たくなります。
最後に矢崎仁司監督をオススメして終わってしまった。
くだんのシギサワカヤの作品はどれも素晴しいので、こちらも是非。
シギサワカヤ作品に触れたことがない方には「さよならさよなら、またあした」をオススメしたいです。
個人的に印象的なのは「つめたく、あまい。」という短編集です。
そこで、話と話の間の一コマで、セックスのあと裸で寝る男の手にのどあめを握らせるシーンがあります。
のどあめにやじるしがあって以下のように書かれています。
――やさしさ。
(ただし毛布をかけたりしない)
(何となく むかつくから)
シギサワカヤ作品の女性ってこんな感じなんですよね。
何となくむかつくから、という行動理由が当然って顔をするシギサワカヤ作品の女性が僕はたまらく大好きです。
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