8 ただ愛するだけで人を傷つけてしまう瞬間に。

 蛍という短編小説をご存じですか?


 村上春樹の短編小説「蛍」は「ノルウェイの森」の下敷きになった物語です。

 そんな蛍が2015年の冬の文藝で森泉岳土によって漫画化されています。


 16ページにまとめられた蛍の漫画は見事で、必要な説明は簡潔にまとめられ、彼らが散歩する町並みや景色を印象的に描いています。

 落ち葉で溢れた道、雪が積もった公園。

 ページをめくるごとに季節を巡っていく構成。


 本当に素晴らしい漫画です。

 個人的にとくに良いと思ったのは、彼らの散歩のシーンでは必ず彼女が先を歩いていることでした(ワンシーンだけ二人が隣り合って歩くシーンがあります)。


 蛍という物語は言ってしまえば、そういう物語です。

 物語のラスト一文にもそれは表れていますので、引用させてください。


 ――僕は何度もそんな闇の中にそっと手を伸ばしてみた。指は何にも触れなかった。その小さな光は、いつも僕の指のほんの少し先にあった。


 ほんの少し先にあったのは去っていってしまった彼女の比喩ですが、まずはどんな物語かあらすじを説明させてください。


『僕はある学生寮の二人部屋に住んでいた。

 5月の日曜日の午後、僕は中央線の電車の中で高校時代の友人の恋人と偶然出会う。彼女は東京の郊外にある女子大に入学していた。


 高校時代の友人と彼女は幼なじみで恋人だった。

 恋人同士の彼らと僕の三人でよく遊んでいた。

 立場としては僕がゲストで友人が有能なホスト、彼女はアシスタントであり同時に主役、というところだった。


 そんな友人が自殺したのは、僕と学校帰りにビリヤード場に寄った日の夜だった。


 東京で再会した(死んでしまった)友人の彼女と僕は日曜日に会ってデートをして過ごした。

 彼女の二十歳の誕生日の日も二人で会った。


 誕生日の日の夜、僕は彼女と寝た。

 それから彼女からの連絡が途絶え、僕は彼女に長い手紙を書いた。ひと月後に彼女から短い手紙が届いた。


「大学をとりあえず一年間休学し、京都の山の中にある療養所に落ちつくことにします」


 という内容が書かれてあった。

 彼女からの短い手紙が届いた月の終わりに、僕は同居人から瓶に入った蛍を受け取る。


 僕は夕暮、その瓶を持って寮の屋上に上がった。蛍をとりだして、給水塔のふちに置いた。

 蛍がとびたったあとも、その光の軌道は僕の中に長く留まっていた』


 ひとまずは、このような形でまとめさせていただきました。

 軽くまとめれば、亡くなった友人の恋人と再会して、寝たことによって彼女は遠くへ行ってしまった。


 そういう物語です。

 ノルウェイの森を読んだことがある人は彼女が「直子」で、高校時代の友人が「キズキ」と変換されると思うのですが、蛍に彼らの名前は登場しません。


 直子は「彼女」、キヅキは「彼」です。

 今回は「ノルウェイの森」ではなく、あくまで蛍という短編小説にのみ、スポットを当てて考えたいと思います。


 ちなみに僕は前回、蛍とホモソーシャルについて書ければ良いなぁと予告めいたことを残しています。

 ホモソーシャルという単語をみなさまは御存知でしょうか?

 僕はこの言葉を石原千秋の本から学んだ為、そちらの文章を交えつつ説明をさせてください。

 

 ソーシャルは「社会構造」のことである為、男性中心社会をホモソーシャルと言います。

 ホモソーシャルな社会では男たちが社会を支配しており、この男たちはあるやり方で男同士の絆を深めていきます。


 それは「女のやりとり」です。

 ホモソーシャルの構図の中では、女性は「貨幣」のように男同士の絆を強めるためにやりとりされます。


 つまり、ホモソーシャルな社会では「女性蔑視」の思想がベースにあります。

 分かり易いのは、社長令嬢が優秀な社員と結婚するというものでしょうか。

 社長が優秀な社員に娘(女性)を渡すことで、彼らの絆は強まります。


 ここで反論としてあるのは、女性から見れば「自分は愛し合って彼と結婚したのであって、決して貨幣のように扱われていない」であり、

 男性からすれば「彼女を貨幣のように扱った覚えはない」となります。

 個人がそう考えるのは自由です。


 しかし、「だから自分はホモソーシャルの構図に収まっていない」ということにはなりません。


 これを前提に蛍を考えた時、彼が自殺したことによって、彼女が貨幣のように「僕」へと渡されたことになります。

 少なくとも彼女が彼との思い出を共有できる相手は「僕」だけです。

 その為に「僕」が彼女と寝た後、それでも一緒にいた場合、ホモソーシャルの構図に彼らは収まってしまいます。


 蛍という短編は、言ってしまえば彼女がホモソーシャルの構図に決して収まらない、貨幣などになってたまるか、と抗う物語でした。

 もっと言えば、対等だったはずの幼なじみの彼から彼女は物のように扱われてしまったことが許せなかった、とも読み取ることができます。


 その枠組みを理解していないのが、蛍の主人公である「僕」でした。

 それ故に「僕」は蛍のラストで離れていく光に指先さえ触れられません。


 僕は前々回に「他ならぬこの私」を承認してくれる人が正しい恋愛の相手だと書きました。

 彼女にとって正しい恋愛の相手は幼なじみの自殺してしまった彼だったはずです。


 しかし、自殺してしまった彼は彼女のことを正しい恋愛の相手と考えていたのか。

 考えていたとして、ではなぜ自殺してしまったのか。


 それが分かる為には彼自身が語る必要があります(遺書がない以上、その機会は永遠に失われてしまったことになります)。


 ちなみに、「村上さんのところ」という村上春樹が読者からの質問に答える本があります。

 今回、該当箇所を見つけられなかったのですが、ある読者が

「ノルウェイの森のキヅキはどうして自殺してしまったのですか」

 と質問をしていました。


 村上春樹の回答は

「あの物語はキヅキがなぜ死んだのかを巡る物語じゃなかったでしたっけ」

 という内容でした(うろ覚えです、すみません)。


「ノルウェイの森」の主題は「なぜキヅキが自殺してしまったのか」というものになります。

 それは「なぜ、直子が自殺してしまったのか」にも繋がる問いのようです。


 こちらについては、また別の機会に語りたいと思います。

 ホモソーシャルについても詳しく語れていないので、こちらもどこかで。

 

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