7 深い悲しみの底で役にたつ、ささやかなこと。

 好きな短編小説はありますか?


 僕が一番最初に読んで忘れられなかった短編小説は志賀直哉の「城の崎にて」でした。

 中学校の頃の教科書に載っていたのだと記憶しています。


 怪我を負った主人公が養生の為に城崎温泉に出かけます。

 温泉街で蛙やネズミ、イモリを眺めながら散歩し、死について考える。

 言ってしまえば、それだけの短編です。


 短編小説は読んでもらった方が早い面があります。

 あらすじやテーマの説明するよりも、読んでもらって話をする方がずっとスムーズですし、誤解がありません。


 これはあくまで僕の場合は、です。

 僕は物語の説明するのが下手で、更に短編に心惹かれるのは常に言葉に出来ない部分というのもあります。


 ちなみに短編小説と言ってみてもライトノベルと文芸でも意味合いは異なってきます。

 ライトノベルを人並に読んできた身としては、短編小説は長編小説のオマケという意味合いが強かったです。

 メインは長編小説で、短編小説はメインで触れられなかった伏線の回収やキャラクターたちの日常。


 つまり、ライトノベルにおける短編小説は必ず読まなければならないものではありませんでした。

 もちろん独立した短編が収録されたものもありますが、それほど多く出版されている印象は持ちません。

 もっと言えば、エッセイ集などは皆無と言って良いでしょう。


 ライトノベルにおいて著者が自身の日常を語る場は基本的に長編小説の最後、あとがきのみだったと記憶しています。

 ただ、電撃文庫には「電撃の缶詰」という折り込み広告チラシがあり、そこで来月の新刊などの紹介があるのですが、一部著者のエッセイが載っている時期がありました。


 今もまだあるのか分かりませんが、僕はそのエッセイが好きでした。

 とくに好きだったのは上月司のエッセイです。

 受験生だった頃の上月司は突然、海を見に行きたいと思い、二時間だか三時間歩いて海を見に行く。

 それだけの内容なのですが、高校受験を控えていた僕は突然、海を見に行きたくなるその気持ちが痛いほど分かりました。


 上月司のエッセイも、また「城の崎にて」もそうなのですが、長編小説よりもどこか身近に感じられます。

 別に何かの答えを「はい」と渡してくれることはないのですが、一緒に悩んでくれているような感覚があります。

 もちろん、すべてのエッセイや短編小説がそうだと言う訳ではありません。

 ただ、僕の原体験に近い頃のエッセイや短編小説にはそんな趣があるというだけの話です。

 

 さて、本題の好きな短編小説について書いてみたいと思います。

 さきほどライトノベルの話があったので、まずラノベ短編小説集で面白かったものを考えてみました。


 浅井ラボの「Strange Strange」が思いつきました。

 帯には「未成年・心の弱い方にはお勧めできません。用法用量を守ってお使いください。」と書かれています。

 なんだか不穏な内容ですが、収録されている作品を読むと納得の帯です。


 とくに「ぶひぶひ だらだら」は本当にやばかった。

 イジメの話なのですが、ここまで徹底的なイジメというか、嫌がらせをされるといっそ清々しいとさえ思います。

 ネタバレになりますが、イジメられている男の子を絶望に突き落とす為に、彼の好きな女の子の両手足(!)を切り落として、生きたまま彼の目の前に差し出すシーンがあります。


 イジメていた人間が飄々と「人の両手足を生きたまま切断する方法を調べるのに苦労したよ」と言ったりします。

 まじでトチ狂っています。


 両手足を切断された女の子を巡って、イジメられていた男の子の弱さが晒されていくのですが、そこにあるのは他人事とは言えなものでした。

 戦わず、抗わず、何も選ばなければ「ぶひぶひ だらだら」のようになるかも知れない。


 表現の全ては過剰です。

 しかし、核となる部分は素朴で、当たり前のことが書かれています。

 ライトノベル、文芸といったジャンルに囚われない普遍性がそこにはありました。


 結局、僕が心惹かれるものは、どういう表現であれ確かな普遍性が担保されているものであるようです。

 ライトノベル的に評価されるものや純文学的に評価されるものは、一時は心惹かれても時間が経つとすり抜けて行ってしまいます。


 ここから実は村上春樹の「蛍」について書きたいと考えていました。

 ただ、現状でそこそこの分量を書いてしまいましたので、「蛍」は次にまわしたいと思います(おそらく長くなるので)。


 なので、最後に好きな短編を一つ紹介して今回を終わりにします。

 白状すると、好きな短編はあり過ぎて順位を決めることは不可能でした。


 それでも、あえて一つ選ぶとするならレイモンド・カーヴァーの「ささやかだけれど、役にたつこと」にしたいと思います。

 カーヴァーなら「足もとに流れる深い川」とも迷いました。


 今回はより印象的な方にしました。

 ちなみにカーヴァーの翻訳は村上春樹がおこなっています。


「ささやかだけれど、役にたつこと」


 それは「焼き立てのパンのことである」と村上春樹は解説で書いています。

 物語は決して明るくなく、幸福でもありません。


 しかし、「焼き立てのパン」を食べる時、深い悲しみの底にいる登場人物たちをほんの少しだけ前向きになります。

 その瞬間が底なしに暖かく優しいんです。


 毎日おこなう食事は時に深い悲しみの底から救う、ささやかな助けになる。

 どうしようもなく途方に暮れた時、少しだけ落ち着いて、温かい食事をとってみてください。僕はそれが「ささやかだけれど、役にたつこと」を願っています。


 次回は村上春樹の「蛍」について書きます。「ノルウェイの森」のもとになった短編です。

 そこでホモソーシャルについて書ければと思っています。

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