応援コメント

3 神様になれば誰かに認めてもらえる。」への応援コメント

  • 憧れは昔からあらゆる場所、あらゆる場面で抱いてきましたね。
    しかし、誰か特定の人というよりも、誰か特定の性質が多かったです。この人のこういう所が良いなぁ、と思う時に憧れを抱きます。

    そう言う人の友達になりたいなぁ、と思ってきたので今でも友人は良いなぁ、と思う部分を持つ人ばかりです。
    美談に聞こえるかもしれませんが、誰かに憧れるよりも質が悪いかもしれません。劣等感の塊に堕ちた高校生の時から周りにいる全員を羨み続けて来たと言っても過言ではないですからね。

    下劣で醜い同情心がムクムクと湧いてきますね。すぐ家庭環境のせいにしたくなる浅ましい自己憐憫も含めて。途中の言葉がとてもくっと来ました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    僕も色んなことを家庭環境のせいにしている時期がありました。
    その頃、周囲にいた友人たちはうんざりとしていただろうなぁと思います。

    まさに自分に同情していた時期ですね。

    けれど、今になって思えば、家庭環境が十八歳までは世界のすべて(とは言わなくても八割くらい)を占めていたのですから、
    そこから抜け出した後に、過去の自分に同情してしまうのは、大人になる為のプロセスとして必要だったんじゃないかな? とふと思います。

    下劣で醜い感情や劣等感を乗り越えれば、必要なことだった。
    みたいな感じに都合よく解釈してしまうのが、大人の処世術なのでしょう。

    そうやって、大人になっていくことで良いのか、僕はよくわかっていません。(すみません、変な返答で)


  • 編集済

    村上春樹ファンを標榜し、もちろんノルウェイの森も読んでますが、
    さすがにこの年月の間、読み返していないので、
    細部を忘れてるんだなぁと思うところです。
    また読み直したいけれど、まだ一度も読んでないいろんな本も待機しているし、
    時間がいくらあっても足りませんね。
    しばらくは、郷倉さんの文章の中のノルウェイの森を楽しませてもらいます(笑)

    憧れの人。
    いろいろ考えてみましたが、盲目的に憧れてきたのは、
    やはり遠くて手の届かない有名人だったのかなぁと気づきました。
    近くの「生身の人」は、生々し過ぎて憧れとまではいけない?
    目標になる人はいましたが、憧れかと言われると、どうかな?と。
    憧れの定義にもよりますかね。

    そういう意味では、小説の中の人は手が届かない遠い人であると同時に、
    リアル界だったらわかり得ないような生い立ちや内面等が描かれることもあり、
    それも含めて憧れに至る場合は、最強の憧れの人になり得ますね。
    結局、郷倉さんにとって永沢さんはそこまでではなかったのかもしれませんが。

    実は、こちらの「3」を何日も前に読んで、憧れの人をすぐに思い出せずにコメントできずにいました。
    結局、今も思い出せてないのですが、もし思い出したら、自分でも書いてみようかと思ったりしてます(笑)
    あまり内容のないコメントを長々書いてしまいました、すみません。。。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    読書好きになると時間はいくらあっても足りなくなってしまいますよね。
    あれも読みたい、これも読みたいって。
    結局、その時に読みたいものを読む他ないっていう結論にいきつくよう思います。笑

    ノルウェイの森に関しては、この先も言及しますが、
    なにぶん頼りないマナイタですので、料理しきれない部分は多々あると思います。
    ご容赦いただければ幸いです。

    仰る通り近くの人って生々しすぎるんですよね。
    それでも憧れて僕は色々アレな体験をしました。笑

    小説を含む物語の人物こそ最強の憧れの人になり得ると僕も思います。
    ただ、物語の人物は人数も思想の仕方も多様な為、
    憧れる人が多くなって本当に困ります。

    たまきみさえが憧れる方がどんな方なのか、作品内で書かれるを楽しみに待っています。