紫水晶は青い小鳥の夢を見るか






「嫌です……怖いです……行きたくないです……!」



 泣きながらそう訴えるルリの手を握り、ラオインは杖をつきながらも昇降機に向かう。



「ラオイン、あなたは、怖くないんですか」

「とても怖い」

 とても簡潔に言い切る。事実だからだ。



 ルリは納得行かないというように、言葉を紡ぎ続ける。

「なのに、どうして行くんですか。このまま、なにも知らないふりをすればいいんです。怖いものなんてない。ここは楽園なんです。ずっと、私達は二人で楽園に暮らせるんです、それでいいじゃないですか……」

「できるのか、ルリ。本当にできるのか」


「できる、できます……だって、今までだって、ずっとそうしてきたんだもの……これからもそうすればいいだけです……」


 ルリは廊下にしゃがみこんでわんわんと泣き出す。ラオインが手を握ったままなのでなければ、この場から逃げ出していたのだろう。

「ルリ……」

 これにはラオインも困り果ててしまう。

 怖気づく新兵を叱咤し鼓舞する言葉はいくらでも知っているが、愛しい人に真実と対決する勇気を奮ってもらうための言葉など、持ち合わせがない。



 そのとき、廊下に淡々とした声が響いた。


「目標、発見しました――直ちに『裁断』いたします」

 これは――


 その声の方向を見れば、あの紫水晶のお針子人形――アメジスティーニャが、大きな裁ち鋏を右手に構えている。

「……ルリっ!!」

「え……えぇっ?!」


 裁ち鋏をまっすぐに構えて突進してくるアメジスティーニャから、とっさにルリをかばう。ほんのわずかに刃がかすって、ラオインのジャケットのウエストあたりが破けた。


「初撃、外しました。……マザーコンピューター、追加の指示を」

 紫水晶の人形から発せられる、淡々とした温もりのない音声。


「アメ、ジス、ティーニャ……なんで、どうして、親友なのに、なんで……」

 困惑するルリをかばう位置に立ちながらも、ラオインは愛用のステッキを兼のように構える。

 この廊下は真っ直ぐな一直線、ルリの背後には食堂があるだけのつきあたりで、今は他の人形も配置されていないはず。ラオインを突破しない限り、アメジスティーニャはルリを傷つけることは出来ないだろう。


「承知いたしました。『裁断』……作業を続行いたします」

 アメジスティーニャが、ラオインめがけて跳んだ。

 彼女が繰り出す裁ち鋏を杖で受けるが、手がしびれそうなほど重い。

 彼女の体格は、ルリと同じぐらいかそれより華奢なのに、この膂力とは。


「あ、あの、アメジスティーニャは、かなり力持ちですが……その、お針子人形は、そんなに頑丈な設計ではありません……っ……だから!」

 背中にかばったルリが必死で言葉を紡ぐ。

「……いいのか」

「ラオインが死ぬのは、嫌です。一番嫌なことなんです。確かにアメジスティーニャは友達です。だけど……っ……」

 涙をおさえた声。……ルリは決断したようだ。


「では……行ってくる」

「ご武運を、あなた」


 それは、まるで――戦地に赴く夫とそれを送り出す妻の言葉。




「……はぁああっ!!」

 裂帛の気合とともに、胴へと横薙ぎに杖を振るう。

「……」

 しかし、するりとアメジスティーニャはそれを避ける。

 ――そこまでは予想済みだ。


「っぁあああっ!!」

 返す刃――獲物は杖だが――で、ラオインは彼女の細い首へ、攻撃を見舞う。

 最初から、狙いはそこだった。

 華奢なアメジスティーニャの体で、狙うべきは手首や足首の特に細い箇所だろう。しかし、彼女は人形。手首や足首を落としたところで、髪の毛や爪を切った程度にしか感じないはず。


 それならば、狙いは首!


「!!」

 ばきばきと……陶磁器が割れるような音を立てて、彼女の白い首にひびが入る。

 ――これなら。


「っ……ぉおおおおおっ!!」

 咆哮とともに、ラオインは杖で彼女の首を、断ち割る。


 紫の髪を持つ頭が、ごとりと……落ちた。



 ――だが、それで油断した。



「……『裁断』続行」

 静かな声が聞こえると同時――脇腹に熱さを感じた。それは、戦場で幾度も幾度も感じた……痛み、だ。



「ぐ……あ、ああああ、あ……」


 ラオインの脇腹に、裁ち鋏を突き刺したまま……紫水晶の人形はゆっくりと、床に落ちた自らの首を拾い上げる。

「カメラアイ損傷軽微、接続問題なし」

 それは、その様はまるで……怪物・首なし女騎士デュラハンのよう。

 あぁ、たしかその怪物は伝承によると、誰かの死を告げるため、現れるのでは、なかっただろうか……?


「……『裁断』再開」

 アメジスティーニャが華奢な腕を伸ばす。ラオインの命を絶ち斬るための、裁ち鋏を掴もうとする。

 しかし、それよりも早く――裁ち鋏は引き抜かれていた。


「……?」

 彼女が小脇に抱えた紫水晶のカメラアイ。そこに映っているのは……裁ち鋏を構えたルリだった。


「さようなら、アメジスティーニャ」

 ラオインの傍らに立つルリが、人形の左胸へ裁ち鋏を刺す。

 刺す、刺す、刺す、何度も、何度も、何度も。


「さようなら……私の、大切な、親友っ……!」

 刃を突き立てながら、ルリは涙をおさえて、何度も突き刺す。

 人形の、コアパーツを刺し貫き――破壊する。


 やがて、人形は崩れゆく。

 その直前、ひび割れた音声が、小さく響いた。


「さようならですよ。私の、大切なルリお嬢様……お元気で」





 ルリは、泣かなかった。

 ……涙をこらえながら、ラオインの脇腹の傷を確認してくれる。


「これは……」

「どうだろうか、俺の見立てでは……割と致命傷に近いのだが」

 なるべく冷静に、ラオインが自身の意見を述べる。

「そう、ですね……でも、あなたの血液の中にもナノマシンが入っていますので、そのうちに塞がるはず……あ」

 その事実に思い至ったようで、彼女は悲しげに顔を歪め首をふるふると振る。


「ナノマシンが傷を修復する前に……血が、流れていってしまう……?」

「出血多量……確か……半分ほど血液を失えば、死に至るのだったか」

 屋敷の医学書で得た知識を引っ張り出し、つぶやく。

 もうこうなると、逆に穏やかな心地でさえあった。

「血が、ナノマシンが、流れてしまう……どうすれば、血を止めさえすれば、ナノマシンが流れ出るのを、防ぎさえ、すれば……でも、どうやって……」

 ラオインとは逆で、ルリはどうすればいいのかわからずにうろたえている。


「ルリ」

 そんな彼女に、ラオインはなるべく静かな声で、頼み事をした。

「お針子人形――アメジスティーニャの裁縫道具を、回収してくれ」

「そんなもの、どうするのですか……」

 彼女は、呆然と尋ねる。


「傷口を、縫う。ルリ、君が、この傷口を縫うんだ。そうすれば、ナノマシンはより早く、傷を修復するだろう」

「……!」

 衝撃と、恐怖と、悲しさと、困惑で、彼女は眉を歪めてまたも泣き出しそうな顔になってしまう。


 だが――


「裁縫道具、針と、糸……」

 彼女は歯を食いしばって、アメジスティーニャの残骸から裁縫道具を回収した。




 ルリが、ラオインの傷口を縫い合わせる。


 何度も何度も縫い針が突き刺さって、縫い糸で繋がれていく。

 大きな青い瞳から涙をこぼしそうになりながら、嗚咽と吐き気をおさえながら、その白い指と繊細なドレスを赤黒く染めながら、彼女は……ラオインが指示したとおりに、傷口を、縫う。

「……っ、ぐぅ…………ぐぁ……っ」

「これで……最後……」


 ぱちん、と糸を切る音が響く。

 ルリもラオインも、その音をきっと生涯忘れることはないだろう。



「ラオイン、ラオインっ……!!」

 ルリがすがるように抱きついてくる。

 そんな彼女の背中に腕を回して、目をつぶる。



 あぁ。

 


 死ねない。

 死ねない。

 死ねない。



 ……俺はまだ、生きたい。

 大切な人のためにも、生きたい。




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