小さなかけら、小さな願い





「では、失礼します」



 抑揚のない、感情も温もりもこもっていない、気味の悪い声――いや、音が、セリフを述べる。




 ぱたんと食堂の扉が閉まるのももどかしく、ラオインはルリに詰め寄った。



「どういうことだ。あいつは……モルガシュヴェリエは、一体どうしてしまったんだ……っ……彼に、何があったと言うんだ!!」

 感情のままに、ルリに言葉をぶつける。こんなふうに彼女を怒鳴りつけるのは初めてのことだった。それどころか、ラオインの人生の中でも初めてといっていいほどの、激しい感情の発露だった。


 怒鳴られ責められたルリはうつむいて、肩を小さく震わせている。


「なぜ、あんなことに……あれでは、本当に『ただの人形』ではないか……!!」

「ラオイン」

 震える声。

 ルリはゆっくりと顔をあげて、今にも泣き出しそうな瞳で見つめる。


「私達がモルガシュヴェリエと呼んでいた存在は、もう、いません……彼は、彼の学んだモノもなにもかも、初期化された、のです」

 彼女は涙声で、彼に何があったのか、それを苦しげに伝えてくれた。

「彼は、人に近づきすぎました。……彼の人工知能は人を学びすぎて、まるで人のような心を、持ち始めて、しまいました。だから……だから、あの時の……アメジスティーニャと同じように、彼も、彼も、また……彼ではなくなってしまった……」


 ルリはすすり泣きながら、悲しい真実と悲しい過去を語る。

 あの紫水晶の人形、アメジスティーニャも数年前には学習が進んだ人工知能を持っていて、ルリとはまるで幼い頃からの友人のような関係だったのだという。

 ……その友人が、いきなりすべてを忘れてしまったら……『ただの人形』になってしまったら。それは、あまりにも大きな喪失だ。


 ルリが悲痛に泣く声を聞くうちに、ラオインの荒波の如き感情がしだいにおさまっていく。


「なぜ、そのような、いったいなぜ、彼らの心が……そんなことになっているのだ」

 疑問を彼女に投げかけながらも、もうすでに……答えは出ている。この伏籠家でそんなことができる存在は、ラオインが知る限りただひとつだけなのだ。


「人形が人の心を持つ。それは、このお屋敷を維持するのには……都合の良くないことだと……マザーコンピューターは、判断しているようです」




 こんこん。

 扉を敲く音が、唐突に響いた。

「失礼したします」


 入室の許可さえ得ず食堂の扉を開けたのは、水色のメイド人形――アクアシェリナ。

「アクア……」

 ルリが、彼女の行動を訝しむ。

 貴人に仕える上級侍女がごとく作られているアクアシェリナは、普段はこのような無作法をしない。そう、普段なら。


 アクアシェリナは、てのひらに載るぐらいの小さな箱を差し出す。それは、白い包装紙と美しい瑠璃色のリボンが巻かれていて、まるでどこかの誰かから優しく贈られてきたプレゼントのようだった。


「こちらを。伏籠ルリ様よりお預かりいたしました。伏籠ルリ様にお届けするように仰せつかっております」


「……え?」

 ルリが、泣くことも忘れてあっけにとられている。

「バ……バグった……?」

「……ではなさそう、だぞ」


 ルリはメイド人形の故障を疑っているが、おそらくそうではない。

 彼女は――アクアシェリナは、本当に『伏籠ルリ』からこの小箱を託され、そして『伏籠ルリ』に届けようとしているのだろう。あまりにもおかしな話だが、そう感じたのだ。


「お受け取りください」

 静かな、抑揚のない音声で、アクアシェリナは受け取りを要請する。

「あ……で、でも……」


「お受け取りください」

 重ねて言われ、ルリはラオインを見る。どうしていいか判断がつかないらしい。受け取るようにと、頷いて見せる。彼女は恐る恐る小箱に手を伸ばした。


「……ありがとうございます」

 ルリがそれを受け取ったのを確認して、アクアシェリナは深々と一礼する。



「ありがとうございます。これで、ようやく……お嬢様が解放される」

 ほんの小さな小さなつぶやき。

 それは、彼女のいつもの感情のこもっていない温もりもない音声ではなく……心からの、感謝の言葉……のように聞こえたのだ。


「アクアシェリナ、あなたは……」

 小箱を握りしめて、ルリが震える声で問いかける。


「私は、このお屋敷の人形でございます。ずっとずっと、ずっと『伏籠ルリ様』にお仕えしてまいりましたメイド人形でございます」


 それだけ言って、水色の人形は退室する。





 食堂にはルリとラオインだけが残された。

「ルリ、その箱を開けてみてくれ」

 ラオインはすぐに彼女へ、受け取ったものを確認するよう促す。

「え、ええ……そう、ですね」

 リボンを解く指は、ひどく震えていた。白の包装紙が破かれて、白い天鵞絨ビロードの箱が現れる。ルリは、そっとその箱を開けた。


 中にあったのは――白金製の指輪が大小二つ。それと、水晶のようにきらめく小さな板。

「この水晶は……」

 ラオインにも見覚えがある。水晶の板は映画などの映像を保存しておくための記録媒体。目の前にあるものは、それを小型にしたもののようだった。


「ルリ」

「えぇ、すぐに」

 ルリはドレスのポケットから普段あまり使わない携帯端末を取り出し、水晶の板を読み込ませる。

 テーブルに置いた端末が、画面からふわりと光を放つ。

 そしてその光は、若い女性の立体映像となった。

 映っているのは上半身だけ。……可愛らしいピンク色のドレスを纏っていて、そして、さらさらと長い黒髪がなびく、青い瞳の可憐な女性。


「……ルリ……?!」


 ラオインは思わず、傍らにいるルリと、立体映像を見比べる。

 映像の女性とルリはあまりに似ていた。同一人物としか思えないほどに。ただ、映像の女性は、傍らのルリよりほんの少しだけ大人びていて、十六か十七歳ぐらいに見えた。


『こんにちは! 誰がこんなのを見るかさっぱりわからないけど――きっとはじめまして、よね。見知らぬあなた、はじめましてごきげんよう。私は伏籠ルリ。伏籠家の末っ子なの』

 映像の女性は、ルリとまったく同じ声で、ルリとは違う口調でにこやかに自己紹介をする。伏籠ルリ、この女性は、なぜ。……なぜ、ラオインの大切な少女と同じ名前を。


『先日、お父様とお母様は――この鳥籠楽園シェルターを完成させた。そして、とうとう今日は……扉を閉ざす日。そう、私達はこの星の終末から逃れようと、必死であがいている真っ最中というわけなのよ』

 自嘲するような笑みを浮かべる映像の中の伏籠ルリ。だが、その声は明るくて、強い意思と希望を感じさせた。


『私達は、滅びたくない。滅んであげたりなんか……しない。なにがあっても、生き延びてみせます』



 それで一度映像は終わった。

 少しして、また光が立体映像を作り出す。今度の伏籠ルリはもう少し成長していて、二十歳ぐらいだった。


『先日……お父様とお母様が……マザーコンピューターを完成させるため、その身を捧げたわ』

 沈痛な面持ちで、彼女は語る。

『お兄様は、これでお父様とお母様は永遠にこの屋敷と自分たちとその子孫を見守ってくれるのだ、と。お姉様は、なぜこんなことにと……ずっと泣いていて。一番上のお兄様は、二人のお墓を作ったわ。でもそこには、私達の大好きなお父様とお母様は眠っていないの。だって……だってお父様とお母様は……その肉体を、マザーコンピューターの、材料として……』

 ふらりと映像の中の伏籠ルリの体が傾ぐ。

 そして……そのままその映像は終わった。



 三番目に映し出された伏籠ルリは、二十代半ばほどになっていた。

『……先日、一番上のお兄様は亡くなったわ。これで、このお屋敷に生きる人間はとうとう私一人だけよ。……あんな、なんでもないような病だったのに、あっというまに、広がっていって……』

 憔悴した様子の伏籠ルリは、あまりにも悲しい出来事を語る。

 兄姉とその伴侶らと、そして子供ら。彼らがあっという間に病魔に倒れて亡くなっていった事実を。


『私、滅びたくない……そんなの嫌。だから、外から、人を連れてくることにすることにしたの。鳥籠の扉は閉ざしたまま、過去から人を連れてくる。過去にはいっぱい人がいたんですもの、何人か連れてきてこの鳥籠楽園シェルターに住んでもらうの。そのための研究を、今、独自に進めているわ。マザーコンピューターには頼らずに。だって、いつまでも親離れできないなんてあんまりだもの』



 そこで、映像は終わって、四番目がすぐに始まった。

 今度の伏籠ルリは三十歳手前だろうか。ラオインと同じぐらいの年齢だ。


『ラオイン・サイード・ホークショウという名の男性を、中世暗黒時代からこの屋敷に招くことに成功した』

 ある程度予想していたとはいえ唐突に名前を呼ばれて、ラオインはうろたえる。

 いや、しかし、どういうことなのだ。

 この伏籠ルリがラオインを招いたのなら……傍らにいるルリは。一体何者なのだ。


『けれど、ラオインという男性がこの屋敷を訪れるのは――かなり遅れることになりそうなの。……伏籠ルリの人生が何回分必要になるのか……わからないぐらいに、遅れてしまいそうなの』


「な……」

 映像の伏籠ルリは、ラオインを連れてくることができたが、彼の着地すべき時間が大幅にずれてしまったことを悲しげに告げる。

 そして、その修正のためのコストは莫大で……今の伏籠家ではとても捻出できないことも。


『だから、私は考えたの。私は、生きる。生き続ける。何度死んだとしても、何度でも生まれてくる。何度でも、私は私を産んで、生きる……!』

 心をかきむしられるような、悲痛な声。

 それは正真正銘、生き地獄に放り込まれた哀れな女性の悲鳴だった。


『私は――伏籠ルリはこれから、地下にある装置で眠りにつく。そして、私の体を切り取って二人目の『伏籠ルリ』を作り出すの。二人目が終わったら、三人目を、それが終われば、四人目を……』

 傍らのルリが、口元を抑えた。

 無理もない。多くの戦場を見てきたラオインでも、あまりの無惨さにめまいがするほどだ。

 そして……。


『そして、これを見ているあなたは……最後の伏籠ルリ、ということになるわ』

「あ……あ……ぁぁ……」


 とうとう、耐えきれなくなったらしいルリは嗚咽とともに崩れ落ちて床にうずくまった。何も聞きたくないというように、耳をふさいでいる。

 けれど、ラオインは聞いていなくてはならない。最初の伏籠ルリかのじょの言葉を。ラオイン・サイード・ホークショウをあの雨の夜から救いあげてくれた人の、遺言を。


『最初の伏籠ルリから、最後の伏籠ルリへ。私からのせめてものお詫びとして、その指輪を贈るわ。それはあなた達のための指輪よ。この贈り物を、私が一番信頼するメイドに託します』


 小箱に収められた白金の指輪たち。それは静かに外からの日光を照り返して輝いていた。




『そしてね、図々しいけど……お願いがあるのよ。最初の伏籠ルリわたしから最後の伏籠ルリあなたとラオイン・サイード・ホークショウへの、最後のお願いです』


 最初の伏籠ルリかのじょは一度ゆっくりと深呼吸をして、そして告げた。




『マザーコンピューターを……お父様とお母様を、どうか、解放してください』



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