いわゆるところの無断外泊






 ルリにまず見えたのは、頑丈そうな木材が組まれたもの。いわゆる梁だった。

 ……何かが違う、と考えこむ。




 そう、違う。

 いつもなら最初に見えるものは、花模様が描かれた天蓋。そこからゆったりと伸びる青灰色のカーテンと……大好きなラオインの姿。



 そこまで考えて、ルリはがばっ! と勢いよく起き上がる。

「……あ」



 そこは、自分たちの『秘密基地』だった。




「おはよう、ルリ」

 苦笑いしながら、隣で眠っていたラオインも体を起こす。

「……おはよう、ございま、す」


 目が覚めたら知らない天井という状況にうろたえてしまったことが恥ずかしくて、毛布で顔半分を隠しながらたどたどしく朝の挨拶をする。


 そう、二人はここに泊まったのだった。

 いわゆるところの無断外泊である。

 ……はたして自宅の敷地内が『外泊』になるのかどうか、それはともかくとして、こんなことをするのは初めてだったので、昨晩はわくわくとどきどきでなかなか寝付けなかったのだ。




「顔を洗って、朝ご飯にしよう」


 ルリの黒髪を優しく撫でながら、先に水場を使ってくるようにと彼は促す。

「はい、行ってきますね」




 秋の朝。蛇口から出てくる水は、冷たくて気持ちが良い。身も心もしゃきっと伸びるような感覚だ。


 ルリはちらりと本邸のほうを見る。

 お屋敷でなら、冷たくないし熱すぎないぬるま湯が蛇口から出てくるのだろう。

 けれど、ちょっとの間だけなら隠れ家での生活だって快適なはずだ。


 ――人形召使いたちも、ここにはいないのだし。



 水色のメイド、アクアシェリナ。

 柘榴色の庭師、ガーネディゼット。

 桃色の料理人、モルガシュヴェリエ。

 それに――紫色のお針子、アメジュスティーニャ。


 人形召使いの中でも、特に大事に思っている彼ら。

 その彼らを思うと……きゅっ、と心臓が切なく痛む。




 ルリは頭を振って、思考を追い出してしまう。


 これから、ラオインと朝食を作らなきゃいけないのだ。







「それじゃ、朝ご飯を作りましょう!」

 身支度を軽く調えて、ようやく朝ご飯の支度だ。『秘密基地』では座って待っていてもご飯は出てこない。自分たちで用意する必要があるのだ。


「あぁ。俺はかまどを温めて、そこの菜園から食べられそうな野菜を探しておく」

 小屋の軒先にあるかまどをちらりと見ながら、ラオインが段取りを考えてくれる。


「じゃあ私は……」

「鶏小屋に行って、卵をとってきてくれるかい?」

「ふふ、ラオインは昨日酷い目に合いましたものね」


 彼の手の甲や腕には、まだ新しいひっかき傷のようなものが残っている。昨日卵をとるために鶏小屋に入ったら、めんどりたちに一斉に襲われたのだ。めんどりたちは、同じく侵入してきたルリのことは気に止める様子は無く、ラオインをひたすら攻撃し続けた。

 試しに、ルリだけが入ってみたら……めんどりたちはそれはそれは大人しく、無事に卵を拾うことができたのだ。


「なぜ俺だけ……」

「なんか、フェロモンでも出てるんじゃないでしょうか。ラオインですからありえます」



 くすくす笑いながら、ルリは足取り軽く庭園の道を歩き、鶏小屋へと向かう。


 伏籠の庭園には牧場もあり、乳牛や肉牛なども育てられているが、絞った牛乳の殺菌や食肉の加工などは伏籠邸の地下にある施設で行われている。なので牧場に直接行っても乳製品やお肉の入手は難しいだろう。


 伏籠ルリはいわゆるところのプチ家出中なのだから、おうちのひと――召使い人形達ともできるだけ顔を合わせたくない。

 なので、人形たちが働いていそうな場所は避けながらの道中となった。



「お邪魔しますね」

 今日も、めんどりたちはとても大人しい。

 彼女たちは暴れる様子など見せず、のんびりと飼料を食んだり、ゆったりと座っていたりする。


「やっぱりラオインから何か出てるんでしょうか」

 そんなことをつぶやきながら、卵を拾ってはハンカチで拭き、持参のバスケットに入れていく。

 今日はたくさん卵を産んでくれたようで、八個ほど拾えた。二人で食べるには充分すぎる数だ。

「ま、余ったらゆで卵にしても保つって、モルガシュヴェリエが言ってましたしね」



 ルリはぺこりとめんどりたちに小さくお辞儀をして、鶏小屋を出る。

 まるで見送りのように、彼女たちは一斉に「こっこー、ここー、こここー」となんとも可愛らしく啼いた。




「ただいまもどりました」

「おかえり、ルリ」

 戻ってくると、ラオインはかまどを温めながら、ウインナーの缶詰を開けているところだった。小屋のテーブルの上には、既に菜園野菜を使ったサラダが用意されている。さすがというか。仕事が早い。


「卵、こんなにたくさんあったのか……これだけあるなら、ここはオムレツを作ってみるか」

「ラオインは、あのひっくり返すやつができるんですか?」

「やったことはない。が、なんとかなるだろう、人間がやれることなんだ」


 そう言って彼は、卵を4つほど割って二人分の大きなオムレツの卵液を作り始める。


 冷蔵設備はないので、生クリームや牛乳がないのが残念ではあるが、それでも彼が作ってくれて、彼と食べるものなのだ。きっと美味しい。


 ラオインがオムレツを手際よく焼いている間、ルリは食料保存棚(廃棄されていた木材でラオインが作った)から食パンを取り出したり、塩こしょうを用意したりする。

 いつもなら、オムレツにはケチャップ派のルリだが、ここではシンプルに素材の味を大事に食べたい。なので塩こしょうだ。


「オムレツはもうすぐ焼き上がる」

「お皿はこちらに用意済みです」


 ルリの用意したお皿に、ぷるるんふうわりとオムレツが鎮座する。

 そこに、軽く焼いた缶詰ソーセージを添えて……。


「完成ですね」

「あぁ」



 お屋敷で使うような銀のカトラリーではないが、扱いやすい素材のフォークを用意して、二人は朝食の席につく。



「それじゃあ、いただきましょうか」

「あぁ」



 ルリは当たり前にラオインが最初に食べたいものを聞き、ラオインもまたルリの食べたいものを聞いてくる。

 二人の食べさせ合いっこは、もう毎日毎食行う、大切であたりまえの『習慣』だった。


「お野菜、しゃきしゃきで美味しいです」

「あぁ、美味い。ルリがたくさん卵をとってきてくれたから、このオムレツが作れた」

「ふふ、ラオインが作ってくれたから、こうして食べられるんですよ?」





 食後は、二人それぞれ好きなことをする。



 ルリはベッドに腰掛けて刺繍を、ラオインは木の椅子で本を読んでいた。


「ルリ」

 不意に、ラオインに名前を呼ばれた。

 彼はこちらを見つめている。

 ルリもまた、手元から顔を上げて彼の金色の瞳を見つめ返した。


「何ですか?」

「もしも、悩み事があればきちんと話してほしい」


 その言葉にルリは、なめらかに頷き応える。

「はい、ラオイン」




 ――悩みなど、ない。


 ――本当に、ない。




 ――もう、諦めはついたことなのだから。




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