続・映画鑑賞『父と息子の男二人ごはん』
今日もまた、太陽はさんさんと眩しくて、それはそれは元気に庭園を照らしてくれている。
「……今日も……映画鑑賞にしましょう」
ルリは窓を開けて、気温を自分の肌で確認すると、諦めたようにため息をついてからラオインにそう宣言した。
この青い瞳の愛らしい乙女は、その儚げな見た目どおりと言うべきかとても苦手な儚い存在だ。
けれど、それも仕方がないだろうと、ラオインは思う。
ここ伏籠邸は天候も穏やかで過ごしやすいところだが、温度も湿度も整った室内はさらに快適なのだから。
二人で仲良く手をつないで、一階にあるシアタールームまで移動する。
「今日は、ラオインがどれを見るか決めてくださいな」
「俺が選んで良いのか?」
ラオインは、自分はは未だに映画とテレビ映像と動画の区別もついていないが本当に大丈夫だろうか。と思いつつも、シアタールームに保管されているたくさんの箱を見る。
その箱の中には、記録媒体が納められたプラスチックケースが整然と並んでいる。
伏籠邸では、このようにして記録媒体が残されている映像はほんの一部だけで、ほとんどはデータのみで保管されているのだとという。
ただ、ルリは――書籍にしても同様だったが、データだけのものよりこうして何かしらの形があって触れられるもののほうが好ましく、わかりやすいと思っているようだ。
ラオインとしても、何か形があったほうがわかりやすいと思う。
何もかもが画面に表示される文字列や光の点滅で表されてしまうのには、寂しさを感じずにはいられないのだ。
……与えられた環境に適応できないのだな、と言われればそれまでだとは思う。
けれど、ここにはルリとラオインしかいない。お互いを除けば誰に迷惑をかけるでも無いのだ。どんな思考をもっていても好きに生きることが出来るはずだ。
「では私はその間に、モルガシュヴェリエに飲み物なんかを頼んできますね」
「あぁ」
「ラオインは今日もコーラにしますか?」
「そうだな……いや、今日は冷たい茶がいい」
炭酸飲料は確かに魅力的だ。魅力的なのだが、あのすっきりとしたのどごしの良い甘さは……人を容易に堕落させてしまいそうで、恐ろしいのだ。
「ふふふ、わかりました。では、行ってきますね」
「あぁ。廊下で転ばぬようにな」
「む。そんなことしませんよ、子どもじゃないんです」
ルリがぱたぱたとシアタールームを出るのを微笑ましく見守ってから、ラオインは箱の中をあさる。
いろんなタイトルがついたものがある。その中から、見るからに流血シーンや暴力シーンがありそうなものは避けていった。
それとホラーものと呼ばれる作品もできる限り避けておきたい。ラオインには、恐怖を娯楽にする感覚がまるでわからない。きっと、こういうホラー作品を楽しめるのは――とても幸せに育った人々、なのだろう。それは少し羨ましいと思う。
「ふむ、これは……」
ラオインはいくつか同じ題名の作品を見つけた。これはいわゆるところの連作映画だろうか。
「いち、にの……四作目まであるということだな。大したものだ」
ラオインが手にしたのは『父と息子の男二人ごはん』という題名がついたケース。
一作目にあたるケースの表面には、作品のイメージを表しているらしい絵、というか写真が挟み込まれている。中年男性と少年がたき火を挟んで向かい合い座っている。そして男性も少年も、スープの入った小鍋のようなものを持っていた。どうやら野営で夕食をとっているシーン……らしい。
「これにするか」
四作も出ているなら、きちんと作られたもので、なおかつ人気のある作品だったのだろう。
それにこれならおそらく、暴力シーンともホラーシーンとも無縁で見られるはずだ。……多分きっと。
「あなたは、こういう……のんびりした映画のほうが好きなんですか?」
戻ってきたルリが、ラオインの選んだ作品を確認してケースの中の水晶板を取り出しながら言った。
「……好き、というか、まだ映画のことはよくわからないのだが……俺は流血も恐怖も、もう腹一杯だからな」
そう言うと、ルリは悲しいような困ったような、それらがないまぜの切ない表情になってしまった。
あぁ。そんな顔をさせたいわけでは……ないのに。
「……俺は、ルリにはあまり血が流れたりだとか、人が恐怖して泣いているところだとかを、見せたくないのだ。むろん、これらがすべて作り物だとはわかっている……だが、それでも」
あぁ。身勝手だな。と思いながらもラオインは言葉を紡ぐ。
「……ありがとうございます」
大切な彼女に優しい世界だけを見せたいなんて。
彼女は彼女のみたいモノをみるべきであって、自分はそれを止めてはならないのだろう。
なのに。
「本当はね。私も、誰かが苦しんでいたり泣いていたりは苦手なんです」
ふふふっ、とルリは笑ってくれる。
「ほらほら、映画始まっちゃいますよ」
「あぁ」
物語は父と母と息子の幸せな日々が突如崩壊した。
そんな悲劇の……ほんの少し後から、始まる。
あまりにも突然に亡くなった母の弔いを終えて、喪服のまま家に戻ってくる父と息子。
息子が靴を脱いで家に入った途端、腹の音が二つ盛大に鳴り響く。
『……父さん』
『腹、減ったな』
息子役の子役はルリとそう変わらないか、少し幼いぐらいの年だろうか。スクリーンの中で困ったように、どうしようかと父におずおずと尋ねている。
いつもなら母親が用意してくれた温かなご飯。
――でも今となってはそれが、ない。
すると父親は、喪服のジャケットを脱いで、黒いネクタイも外して――妻が遺したエプロンを着ける。明るい黄色に白水玉模様の、なんだか可愛らしいエプロンだ。
そして手早く米をといで、冷凍庫に残っていた冷凍食品やらを解凍しはじめ、冷蔵庫の野菜や缶詰類で手早くお惣菜を作っていく。
その手際がいいのに多少驚きながらも、息子も冷蔵庫に残っていた卵を使って、卵焼きをおぼつかない手付きで作りはじめた。学校の、調理実習という授業で作ったことがあるのだという。
『フライ返しどこにあるんだろう』
『あいつのことだから、この辺に……あぁ、あったあった』
『……よくわかったね』
どうやら、この父子はキッチンにこうして並ぶのは初めてだったらしいが、それでも調理はどうにか進む。
そして――
『『いただきます!!』』
父と子はテーブルについて、そこにずらりと並んだおかずと大盛りの白米をこれでもかとばかりにかきこみ始める。
息子が作った卵焼きは黒焦げだらけでぼろぼろの悲惨なできばえだったが、それでも二人は、とても美味しそうにそれらを食べていた。
ありあわせの食事なのに、大切な人を亡くしたばかりなのに、二人は幸せな満腹を迎えるまで白米を食べて、食べて、食べる。
食卓を挟んでぎこちなく笑い合う二人。
その日から、少しずつ、疎遠になっていた父と息子の絆が再生していく。
――そんな作品のようだ。
手にしたアイスティーを飲むのも忘れ、ラオインはスクリーンの中の二人を見つめる。
今映し出されているシーンでは、父子は、野営――いや、キャンプに来てご飯を作っていた。
あの二人にはちゃんとした家屋敷があるのに、野外でわざわざ不便をするために遠乗りに出たのか、と思わないこともない。
だがラオインは、ふとあることを思いだしていた。
まだ幼い頃――父が、遠乗りに連れて行ってくれたことを。
あの頃はまだラオインは嫡子でもなんでもなく、奴隷女が産んだ子どもに過ぎなくて、父という存在は遠い遠いものだった。
あの日、父はラオインを馬に乗せてくれて、小高い丘に連れて行った。
秋の夕方だったので、とても長い日没を見ることが出来て、その時にいろいろと話をした気がする。内容はまるで覚えていないが――父が、ラオインや母のことを優しく気にかけてくれているのだ、ということはなんとなくわかった。
スクリーンの中の父子も、たき火を挟んで座り、ぽつぽつと会話をしていた。
『……学校は、どうだ』
『まぁまぁ。別に、何もないよ。……仲の良いヤツとかは気をつかってるみたいで、俺の前で母親の話とかしないようにしてるみたいだけど。でも、なんかそれって』
『ははっ、こっちも職場で似たようなもんだ。……難しいもんだよなぁ、人の優しさとかって』
こういう話を出来るのは、羨ましいな、とラオインは思う。
父親とは、職務や家の話ばかりだった。
確かに、父はラオインのことを認めてくれていた数少ない人物だったが、結局は能力だとかそういう部分しか見ていなかったのかもしれないのだ。
そんな父も結局、ラオインが将軍職を継いで一年ほどで、あっけなく病で亡くなってしまった。
……自分は父に、何かできただろうか。
何かを、返せたのだろうか。
求めてばかり、いなかっただろうか。
スクリーンの中では、シーンが変わっていた。どん、どん、と腹の底に響くような太鼓の音がする。どうやら夏祭りのシーンらしい。
父と息子は浴衣なる装束を纏って、屋台から屋台へと楽しげに見て回っている。
ふと、ラオインは隣に座っているルリの顔を見た。
彼女もその視線に気づいたようで、ポテトを摘まんだままこちらを見つめ返す。
「ラオイン?」
「いや、なんでもない」
焦らず行こう、ゆっくりと。
子だの父だのという以前に、まずはルリが大人になるのを待って、彼女と夫婦にならなくてはいけないのだ。
それまでに、自分も『家族を持つ覚悟』を決めればいい。
『父さん、黒出目金そっち行った!』
『任せろ!』
金魚の水槽前ではしゃぎ合っているあの親子のようには、なれないかもしれない。
それでも、ラオインは……善い父親になろうと、心に誓った。
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