ここは楽園なのだと
「風が気持ち良いですね、ラオイン」
「そうだな、ルリ」
ふわり。黄と白の花びらが混ざった可愛らしい風が、二人を撫でては通り過ぎる。
二人の『秘密基地』にある花園に、今日はピクニックに来ていた。
敷地全体からみればごく小さなスペースが高い生け垣や樹木に囲まれて、外からは様子を窺い知ることはできないここは、やはり落ち着く場所だ。
中では、アーチに絡んだ薔薇を始めとして初夏の花々が今を盛りと咲き誇っていた。
優しい風が、さらさらとルリの長い黒髪を揺らしている。
ラオインが毎日丁寧に
誰かの――ぬくもりある手に自分の髪を触ってもらえることが嬉しくて、それをそのまま彼に伝えると「そんな可愛らしいことを言われるとまた触れたくなる」と言われてしまう。何という幸せの循環だろう。
芝生の上にシートを敷いて持ってきた荷物を置く。
これは自分が持つのだと、大きなピクニックバスケットを大事に提げていたルリもシートの上に丁寧にそれを置いた。
ラオインは――まだ長距離を歩くのに杖が欠かせない。おそらくは一生、それは変わらないのだろう。だけど、生活には特に支障はない。彼はもう、あんなに傷つくほどに戦うことなんて無いのだから、それでいいのだ。
ルリが、ラオインのもう片方の手を握っていよう。
ずっとずっと手を握りあって、一緒に歩こう。
隣には穏やかな表情の彼が、小さな詩集を広げて読んでいる。
バスケットの中には美味しそうな食べ物と温かなお茶がたっぷりと。
目の前に広がるのは色とりどりの花々と生き生きとした緑。
蝶がふわふわと空を踊り、小鳥たちのさえずりがちょっと向こうから聞こえてくる。
気温は少し暖かいと感じる程度で、太陽も風も穏やか。そして、澄み切った青空にはわたあめのような雲がふわふわりと浮かぶ。
この場に足りないものなどなく、逆に過ぎるものもない。
まさにそう思える、幸せで満ち足りた光景。
そう。ここは楽園なのだ。
そこに住まう伏籠ルリは、何の不足もなく満ち足りている。
楽園なのだ。楽園の住人なのだ。そう自分に言い聞かせる。
ぷち。
花畑で花を摘み取る。
濃いピンク色の、名前がよくわからない小さな花。
その生命を摘み取る。
たくさんたくさん摘み取る。
だって今日はラオインに花冠を作ってあげたいのだから。沢山の花を摘み取らなければいけない。
シートが敷かれた場所に戻って、花どうしを絡ませ組み合わせて花冠を作っていると、本を読んでいたラオインが問いかけてくれる。
「さっきから何を作っているんだい?」
「お花の冠ですよ。上手に作れたらラオインの戴冠式をしましょう」
可愛いお花の冠。きっと彼に似合うことだろう。
いや、似合わなくてもつけさせるし、似合わなくてもつけてくれる、彼はそういう優しい人なのだ。
「上手に作れるまでは私は冠なしの身分なのかい。お姫様」
からかうような調子のその言葉に、ルリはぽっぺたを片方膨らませた。
「む、私はお姫様じゃないです」
じっと、彼の金色の瞳を見つめる。
「私はあなたのお妃様ですよ。お姫様とお妃様は違いますからね」
子供扱いはしないで欲しいという意思を込めて、彼に抗議する。
ラオインは一瞬驚いたように目を丸くしたが、すぐにとろけるような優しい笑顔になった。
「あぁ、そうだな。ルリは俺のお妃様だ」
「それならいいんです。……ふふっ、ふふふふ。そんなあなたが大好きです」
彼が、ルリの頭をそっとなでながら笑う。
あぁ、そうだ。ずっと。ずっとずっとずうっと。
「こういう恋を、してみたかった」
「ふふっ。私もです……こんな温かくて幸せな恋を」
そう言ってルリは笑う。そして、彼にもっと頭をなでてくれとせがむ。
ここは楽園の中。
本当は――伏籠ルリがこんな恋を出来るだなんて、あまりに分不相応な幸福。
だけど、楽園の中ならそれも許されていい、はずだ。
許されるはずなのだ。
さらさらと、気持ちがいい風が吹いていた。
歌っていた小鳥たちは、いつしかシートのすぐ側にまで来ている。
「もう、その花は食べてはだめですってば……今、パンをあげますから待ってて……!」
ぼんやりとしているうちに、せっかく摘んできた花冠用の花がまさかのピンチに陥っていた。
ルリは急いでバスケットの中のパンを細かくちぎって、小鳥たちに与える。
ここの小動物たちは、基本的に人間を警戒することを知らないのだ。
ようやく小鳥たちが満足して飛び去ってくれた。だが、ラオインはいつの間にか横になり、目を閉じていた。
「花冠が完成したら、起こしますね」
ルリは小声でそう告げて、彼にブランケット代わりの薄手の大きなストールをかけてあげる。そして、花冠作りを再開したのだった。
初夏の、ふんわりと柔らかに澄んだ夕暮れ時。
二つの長い影が、庭園の道に伸びていた。
「今日も楽しかったですね」
「あぁ」
ピンク色の花冠を頭に載せたまま、ラオインはこちらを見て応えてくれる。
ルリが幸せを噛み締めていると……ふと、緑の植え込みのむこうに、夕日よりずっと濃く赤い髪が見えた。
「あれは、ガーネディゼット?」
彼は、旺盛に茂った植え込みの向こうにあるものに、頭を下げているようだった。
あの
「ガーネ……」
「あぁ、ルリお嬢様とラオイン様でしたか!!」
ガーネディゼットは二人が近づくとぱっ、と頭を上げて、にっこりと人の良さそうな笑顔を見せた。
「それでは、自分は仕事がまだありますんで、これで失礼しますね」
「え、えぇ……」
会話を打ち切るようにして、ガーネディゼットは足早に屋敷の方へと消えてしまう。柘榴色の髪が完全に見えなくなるのを確認してから、ルリとラオインは彼が頭を下げていた方向にあるものを見る。
それは、人の背丈ほどのつるりとした石の柱のようなものだった。
飾り気のないつくりだが、表面には模様と文字が彫られている。
「えっと……」
なんとなく、その文字を読み上げてみる。
先人の偉大な発明たるナノマシンのおかげで、どんな文字でも読み解くことはできる。ラオインの体内にも、怪我の治療の時にいろいろなナノマシンが入ったようなので、問題なく読めるだろう。
――伏籠家の父と母、ここに眠る。
――彼らは我々にとってよき父であり母であったが、お互いにとってはよき夫であり妻であった。
――彼らの肉体はここには眠ってはいないが、彼らの意思と願いはこの伏籠家を永遠に守り続けるだろう。
――世界が果てようとも、永遠に。
「……これって」
「この鳥籠楽園を作った者達の、墓というわけか」
こんなものがここにあったなんて。いや、たとえ知っていても、ルリはさほど興味を抱かずに忘れていたのだろうが。
「まだ続きが彫られているな」
ラオインが指でなぞるそこには、男女の名前と、生まれた年をあらわすらしい数字と、彼らのそれぞれ医師と科学者としてのあれこれの功績らしきものと、家族としていかに素晴らしい人物であったかという文章と……。
「……ルリ。ここでは、墓には没年は書かないものなのか?」
「没年、亡くなった年ですか。普通は書くと思いますよ」
ほら、とルリは墓石の更に下を指差す。そこには、彼らの子供や孫と思しき者たちの名前と生年と没年がそれぞれ彫られている。
「あ」
そして気付いた。
鳥籠楽園を作り出した男女――伏籠夫妻の没年がどこにも書かれていないことに。
ひゅぅ、っとルリは息をのむ。
「……ルリ、今日はもう屋敷に戻ろう」
「でも」
「きっと、これは彼らの子どもたちの思いなんだ。父母はまだ亡くなっていないと思いたいから没年をあえて書かなかった。そうに違いない。そういうことだ」
ラオインは苦々しい顔をしながら早口で言い切り、ルリの手を引いて歩きはじめる。
「そう、ですね」
ルリも、その意見に同意しておくことにした。
それでいい。
そういうことにしてしまおう。
夕暮れの風は、初夏であるにも関わらず冷え冷えとしていた。
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