保存食と、お砂糖たっぷりのクッキー





 梅雨の間、ルリとラオインは『秘密基地』をささやかな住まいにするための計画を立てていた。




 あの小屋と周辺の簡単な見取り図を作ったり、必要な品物をリストにしたりと、二人はとても楽しい時間を過ごすことができた。

 今日もまた、ルリはラオインと自室のソファに寄り添うように座りながら、見取り図を眺めて相談を重ねる。




「ラオインが外にかまどを作ってくれるなら、鍋なんかも欲しいですね」

「あまり立派な大きくて重い鍋よりは、軽くて小さいほうがいいだろうな。二人分の食事を作るものなのだから」

「わかりました。では」

 厨房から取ってきますね、と言ってソファからぴょこんと立ち上がる。

 早速部屋を出ようとしたルリを制したのは、ラオインだった。

「いや、ルリ。厨房に行くなら私も行こう」

「ラオインも、ですか」

 首を少し傾げて尋ねる。ラオインが毎朝丁寧にいてくれている黒髪が、さらさらと肩から流れていく。


「あぁ、そうだ。せっかく厨房に行くのなら、日持ちする美味しい食材や料理をモルガシュヴェリエに聞きたい」

「ふふふっ、それは大切なことですね」

「兵糧は重要だからな」

 わざと真面目くさった顔で言うラオイン。ルリはくすくすと笑いながら彼と手を繋ぐ。



「それじゃあ、二人で厨房に行ってみましょうか。ちょうどやってみたかったこともありますし」






「なるほど、日持ちする食材や料理。それも、常温保存が可能なもの……ですか」

 モルガシュヴェリエはほわほわしたピンクの短い髪が植毛された、まるでとれたての桃を思わせるヘッドパーツを傾げて、考えているような様子を見せた。


「えぇ。料理を少し勉強してみたくなったのです。教えて下さい、モルガシュヴェリエ」

 ルリは、ピンクの召使い人形の硝子の瞳……その中央部分から目をそらさずじっと見つめながら、言う。


 召使い人形達は、命令を断ることがほとんどない。その『ほとんど』の例外となる主なところは、人間を――特に命令者本人を傷つけたり死に至らしめたりするようなものだ。……ただ、そういう『安全装置』さえも、最上位の権限があれば外れることはルリでも知っている。


「ふむ、そうですね」

 そう呟いて頷く仕草をしたあと、モルガシュヴェリエはくるりときびすを返し、厨房の隅へ向かう。

 そしていくつか食材や瓶詰めを選び出し、それらをカゴに入れて戻ってきた。


「こんなところ、でしょうね」

 ルリとラオインは、厨房の大きな作業台に置かれたカゴの中を覗き込む。

 入っていたのは、じゃがいもや人参、たまねぎ。いくつかある瓶の中には真っ赤ないちごジャムと、からからに乾燥している葉野菜と、きゅうりのピクルス、たっぷりの油に漬かった魚らしきもの、それに乾燥パスタ。くしゃくしゃの紙にひとつひとつ包まれて保存されているのは卵だ。


「これはまた、随分といろいろあるのだな……これは魚の身を油に漬けてあるのか……保存食に油のような高価なものをこんなにたっぷりと使うとは……」

 ひとつ瓶を手にとって、ラオインがため息とともに呟いた。

「それはツナ、いわゆるマグロの油漬けです」

伏籠邸うちのは、あの小さな缶じゃないんですね……初めて知りました……」

 昔の書物や映像に出てくるのは、平べったくて小さな缶に入ったツナフレークだったので、てっきり伏籠邸のもそうなのかと思いこんでいた。……なんとなくだが、ささやかな夢が一つ壊れたような、そんな感じがしてしまう。




「冷蔵庫などの設備を使わずに食材を保存するには、いろんな方法があります。人間の歴史は冷蔵庫なんてものが無い時代のほうが多いですから、いろいろと工夫がなされました」

 モルガシュヴェリエは流れるようにそんなセリフを言いながら、カゴから食材を出していく。

「まずは乾燥。食材そのものを天日などで乾燥させて水分を抜くことで、腐敗を遅らせます。干し野菜……特に干ししいたけは、生のしいたけと異なり、乾燥により旨味成分が生成されています。これはまさに、乾燥保存するために生まれてきたような食材ですね」


 といっても、私には味覚はないから違いはわからないんですがね。と、そう言って苦笑いのようなものを彼は浮かべた。

 人形だから当たり前だ。モルガシュヴェリエには味覚なんてわからない。

 だけど、そんなふうに少し悲しそうに呟いていると、なんだか申し訳なくなってくるのはどうしてだろう。


「それから塩漬けや砂糖漬けですね」

 優秀な人形はすぐに話題を切り替えて、今度は赤いいちごジャムの瓶を取り出す。

「ジャムって、保存食だったのね……」

「保存にはどのぐらいの砂糖が必要なのだ?」

 ルリは赤く輝くジャム瓶を覗き込む。一方、ラオインは真面目に保存食についての質問をしてくれている。

「常温での保存目的なら……そうですね、果物の重さが一千グラムなら、六百グラム以上は欲しいですね。普段お二人が朝食などで食べているジャムよりも倍近く砂糖を使ったものになります」

 それはまた随分甘そうな……。歯が溶けてしまいそうな気がする。


「ふむ、それなら……塩漬けについてだが……」

 質問はラオインにまかせて、ルリはポケットから筆記具と小さなノートを取り出して、今日勉強したことや教えてもらったことのメモを取る。知識は大事なものだ。知りたいことを知ることが出来るというのは、尊いものなのだ。

 今は『秘密基地』という目的がある。そのためにこうして勉強するのは、義務教育として学ばされていたときよりもずっと気持ちが入る気がした。




 ひととおり保存がきく食材と、食材の保存方法などを聞くことが出来た。ノートにもきちんと書き留めた。

 筆記具と小さなノートをポケットにしまってから、ルリはモルガシュヴェリエに確認する。

「ねぇ、今何時ぐらいでしょうか」

「そうですね、二時十五分と四十二秒となります」

 だいたいでよかったのだが、桃色の人形はとても正確に時間を告げた。

「それなら、今からならちょうどお茶の時間に間に合いそうですね」

「ルリ?」

 ラオインが首を傾げている。今から何をしようとしているのかわからないらしい。


 くるりとラオインの方を向いて、ルリは笑った。

「今度二人で『ちゃんと美味しいクッキー』を作ってみましょうね……って言っていたでしょう?」

「……あぁ!」

 ラオインが合点がいったというように、瞳を輝かせたのだが。少しして考え込み始めた。

「だが、クッキーを今から作り始めてお茶の時間に間に合うのか?」

「あ、それは――」


 ルリが少し不安になってモルガシュヴェリエの方を見ると、彼は変わらず微笑みを浮かべながらこう告げた。

「大丈夫ですよ。すぐにオーブンを温め始めますから。今から生地を作りましょう。お茶の時間には焼きたてのクッキーが食べられますよ」


 さすがはモルガシュヴェリエ。頼りになる高性能人形だ。



 先程まで保存食の話をしていたためか、彼は「せっかくですからね、保存に適したクッキーを作りましょう」と材料をあれこれと用意して、レシピを表示させた端末も持ってきてくれる。

 その上、ルリとラオインに色違いのエプロンまで用意してくれていた。本当に頼りになる。

 ルリのエプロンは生成り色で、ポケットのところに青い鳥のアップリケがあった。ラオインのエプロンはシンプルに黒。しかしそのぐらいのシンプルさが潔くて格好よさをより引き立てている、と思う。


「クッキーの基本材料は、小麦粉と砂糖、それに油脂ですね」

「油脂……というと、無塩バターじゃなくてもいいのですか?」

 クッキーと言えばバター。ルリが読んでいた大昔の小説や漫画に出てくる女の子たちは、いつもバターをたっぷり使ってクッキーやケーキを焼いてるイメージがある。

「えぇ、食用油なら基本的に何でも大丈夫です。オリーブ油やなたね油でも構いません。昔はラードを使ってクッキーを作っていた地域もあるそうですよ」

「ラード……豚の脂で、甘い菓子か……どうにも想像がつかんな……」


 そんなふうに雑談しつつも、ラオインが指示されたとおりに材料を計量して力強く混ぜ合わせていく。

 あっという間に、ただの小麦粉や砂糖だったものが一つにまとまり『生地』に変身していくさまは、みていてなんだか面白い。


「それでは、ラオインさまはこちらの麺棒で生地を伸ばしておいてください。ルリお嬢様は、使うクッキー型を選んでおくといいでしょう」

 ざらざら、と紙袋から取り出されたのは、星型やらハート形やら人の形やらのさまざまなクッキー型。花の形だけでも大きさや花びらの違いで、何種類もあるほどで、見ているとわくわくする。


「それじゃあこれと……これと……」


 いくつかクッキー型をつまみ上げていると、モルガシュヴェリエが優しげに微笑んでいた。いや、正確にはそう見えるようににヘッドパーツを動かしているのだが、けれど、ピンク色の硝子の瞳グラスアイ、その奥には……深い慈しみのようなものが見て取れる、気がした。

 それは、まるで。


「モル、ガ……」

「お嬢様、そのクッキー型をお使いになりますか?」

「……えっと、えぇ、うん。これにしますね……鳥さんの形と、ハートの形と花の形とあとは……」



 ――だけど、その慈しみの輝きはすぐに消えて、いつもの気が利く人形としての彼に戻ってしまった。




 それでいい。

 そのほうがいい。

 ルリはもう、あんな喪失をするのは、嫌だった。


 日々学んだことがすべてなくなって消されて、性格や人格さえも失ってしまう。

 ……それを目の当たりにするのは、もう嫌だ。


 だから、ルリは知らんぷりをすることにした。



 見て見ぬ振りを決め込む。


 モルガシュヴェリエの人工知能が、人形があるべきそれを超え始めているという、事実を。



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