秘密基地計画
大好きなラオインと食べるご飯は、とても美味しい。
お屋敷の外でお弁当を食べているという特別感と解放感も加わって、ルリはたわら型のおにぎりの三つめを、もぐもぐと咀嚼しているところだった。
おにぎりの具は、シンプルにして王道な塩鮭。
梅干しもいいのだが、まだラオインに食べさせたことがないからということで、今回は見送ったのだ。
伏籠邸の鮭おにぎりは、鮭の塩気が強めにきいているので、ごく薄く塩ゆでされただけのブロッコリーや、味付けなしのプチトマトとも合う。もちろん、あまじょっぱい卵焼きや、唐揚げとも。
「美味しいですね」
「あぁ、美味い」
「ラオインはどれが一番お気に入りでしょうか?」
そんな何気ない質問に、ラオインはしばらくの間考え込んでから、口を開く。
「そうだな……この鶏の唐揚げというのはいいものだな。特にこのしょうゆで味付けされている方は、肉の旨みが何倍にもなっているように感じられるほどだ。とても米と合う。腹に入れば何でもかまわないという考えもあるが、こうして毎日美味いものを食べてしまうと……そういった思考には戻れそうに、ないな」
彼は少し困ったような諦めたような様子で眉を下げていたが、瞳は嬉しそうな輝きがある。
そんな彼を見て、ルリは思わず嬉しさがあふれ出てくる。
……そうですよ。
大丈夫、ラオインは美味しいものを食べて、楽しいことをして、きれいなものを見て、そして幸せになって良いんです。
これからも、いっぱい甘やかしてあげますね、私の大切な人。
「ふふふ、それじゃあ私は塩味の唐揚げをいただきますね。大丈夫です、心配しないで。しょうゆ味は残り全部あなたのなのですよ」
「ルリ……あまり私を、甘やかさないでくれるか……その、なんというか、駄目な人間になって、しまいそうだ…………」
こういう扱いが恥ずかしいのか、彼は耳をいくらか赤くしながらやや瞳を伏せてそんなことを言う。
だが、それはできない。
ラオインと夫婦になると決めたときに、ルリはラオインを徹底的に甘やかして甘やかして甘やかして甘やかし抜くのだと決めていたのだから。
「その要求は却下します。ラオインは存分に駄目人間になっちゃってくださいね」
「ルリ……」
おにぎりを食べながらルリは、諦めたような情けないような……そんな笑みをこぼすラオインを見つめる。
あぁ、もう。
伴侶が幸せそうだと、ご飯がこんなにも美味しいなんて!!
ひととおり食べ終わって、魔法瓶の温かなお茶を飲みながら、ふとラオインが呟いた。
「……それにしても結構な勢いの雨だな」
「そうですねぇ……伏籠の敷地ではこんな急に強い雨が降るのは、珍しいかもしれません」
「なのにこの小屋は雨漏りしそうにない。小さいのに随分としっかりとしたつくりなのだな」
伏籠ルリにとっては雨漏りしない屋根は当たり前であったのだが、ラオインにとってはどうもそうではないらしい。
「雨漏りしない、です?」
「あぁ、そうだ。雨漏りしない上に、隙間風もひどくない、扉は立て付けがきちんとしているし、窓には透明な硝子が使われている。俺の住んでいた国の民の住居などよりも、ずっとずっと快適な場所だろうな」
「快適な場所、ですか……」
「うむ、なんというか居心地が良い。……なんというか、正直なことを言うとだな」
ラオインは言葉を選ぶように、ほんの少しの間瞳を閉じてから、言葉の続きを話してくれた。
「……伏籠のお屋敷は、どこもきちんとしていて、美しくて、清潔だ。だが、あまりにもきちんとしていすぎて、だな」
「あぁ。わかります」
ふふっ、とルリは肩を揺らして笑いながら、彼の言葉を肯定する。
「埃ひとつなく、チリひとつないよう保たれた空間に、居心地の悪さを覚えることは、多いです」
「あぁ、それに……」
「人形の召使いたちが常にどこかで働いていて、彼らの足音が聞こえたり気配がしたりするのが落ち着かない、ですか?」
ふぅーー……と、かなり深く長いため息を就いてから、彼は「あぁ」と頷いた。
「その、家も職場も人の出入りの多いところだったので、問題ないかと思っていたのだが……人形の召使いと人間では、やはり、勝手が違ってな……すまない」
「大丈夫です。私なんて生まれてから十四年伏籠のお屋敷で暮らしているのに、彼らがいると落ち着けないままですよ」
うなだれてしまったラオインの頭を優しく撫でて、彼を落ち着かせる。
……そして同時に、心の中だけでほっと安堵のため息をつく。
あぁ、そうですよね。やはり、あの人形召使いが動き回る空間では落ち着けないものなのですね。
そんな、安堵のため息を。
「だから、彼らのいないこの小屋は、妙に落ち着くんだ」
「……そうですね、私もそうですよ」
ルリはしばらく足をぷらぷらさせて考えていた。そして、おもむろにすっと椅子から立ち上がって、小屋の中にある頑丈な木箱や扉付きの棚からあれこれと取り出して、テーブルに置いていく。
「寒くないようにブランケットを持ち込みましたし、退屈しないように本や刺繍の道具も置いています。それにあめ玉なんかのおやつと。……そこにある花瓶だって、庭園の花を生けようと思って、わざと縁を欠けさせておいて、ごみとして処分されるものを持ってきたのです」
ずっと隠していた秘密を明かすように、ひとつひとつ、ここにある品物について、彼に話してあげた。
「ラオインがお屋敷に来る前は、ここで過ごすことも多かったんですよ。ここは私の……『秘密基地』……なんです」
コドモっぽいと笑われるかもしれないですね、と言いながら、ルリはすとんと粗末な木の椅子に座った。
けれど、ラオインはルリを嘲笑したりはしなかった、いや、口元が笑ってはいたが、それはそういう意味の、嫌な笑いでは断じてなくて、きらきらした笑みだった。
「……『秘密基地』か」
「そうです。『秘密基地』です。ラオインは子どもの頃にそういうのを作って遊んだりはしませんでしたか?」
「……本邸の使用人の子らが、使わなくなった食料保存庫でそんなふうに遊んでいたことはあるな」
「まぁ」
「私も小さい頃に二、三度ほどお招きに預かったことがある。大人には絶対に内緒だと言われながら案内されているときの胸の高鳴りは、いまでも忘れられんよ」
なるほど『秘密基地』か。と、嬉しそうに呟きながら、ラオインはテーブルの上に畳んであるブランケットを広げ、自分とルリをすっぽりをくるんでしまう。
そして、内緒話を打ち明けるように耳元に唇を近づけた。
「ラオイン?」
「ルリ、ここを本当に『秘密基地』にしてしまおう。幸い、ベッドもあるし、家具はあるし、水場もすぐ傍にあるのだから。厨房が無いが、私が外にかまどをつくればある程度は調理もできるようになるだろう」
「……本当の『秘密基地』に……?」
彼が何を言っているのかわからなくて、ルリは目を白黒させながらオウム返しに彼の言葉を繰り返す。
「えぇと、こういうのは何というのだったか……ここの書物で知った昔の言葉ではあるが……『プチ家出』とでも言えば良いのだろうか」
彼の口から、彼には随分似合わない言葉が出てきたが、言わんとしていることはルリにも少しずつ理解できてきた。
「えっと、それはつまり……ここに、住むということ、なのですか?」
「あぁ。そうだ。この小さな家に、少しの間でいいから……二人だけで住もう」
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