朝ごはん、ただし難易度高め









「うむ、やはりこの杖は手になじむ感じがしていいものだな。では、ルリ……行こうか」



 きれいな飴色のステッキを持ち、ラオインはルリに手を差し伸べてくれる。

 彼はまだ右足が完治していないので、本当はこちらが彼を助けながら歩くべきなのだろうが、今朝のところは――甘えてしまいたい。甘えてしまおう。うん、甘えるべきだ。



「はい、ラオイン。お願いしますね」

 彼のごつごつとしたたくましい大きな手に、自分の手を重ねる。

 エスコートされながら、二人で話をしながら部屋を出て、廊下をゆっくり歩く。




「今日の朝食は何でしょうね」

「昨日はあの晩餐で、しかも風呂上がりに氷菓まで食べてしまったからな。今日は粗食かもしれんな」

「……ううぅ……それは嫌です…………私は栄養クッキーや栄養ゼリーやビタミン剤でもいいですし、もう缶詰でも何でも良いですが、ラオインにはもっと美味しいものを食べさせてあげたいです……」

 数年ほど前、食事に意味を見いだせなかった頃のルリは、簡素な包装に入った栄養クッキーというモノを口に詰め込むことで、必要なカロリーを摂取していた。あとは栄養ゼリーやビタミン剤で補えば、それで充分に生命は維持できたのだ。


「……その栄養クッキーなるものは、まだ食べたことがないな」

「そうですね、味はまずくない程度にはそれなりに調整されていますが、あまり美味しいものでは……ない、ですよ……」

「ふむ。……美味しくない、のか」

 何かを察したようで、ラオインはルリの手をやや強く握っていた。彼の声が、こわばっている。


「そうです。なので、今度二人で『ちゃんと美味しいクッキー』を作ってみましょうね。モルガシュヴェリエなら作り方を教えてくれると思います」

「あぁ。そうだな、二人で作ってみよう」

 ようやく、彼の口元には柔らかい笑みが少しだけ戻った。

 ……優しい人だ。

 そんな彼に、不用意に不安を与えてしまって、今更ながら申し訳なさを覚えた。


 ルリには『何気ないこと』や『当たり前』でも、ラオインにはそうではないこともあるのだ。

 ……今度からはもう少し気をつけねばならない。彼を不安にさせては、いけない。





 食堂には、昨日と同じ小さな丸テーブルが用意されていた。それに隣り合う近い位置に、椅子が二脚。

 ただ、ちょっとだけ違う点もある。

 丸テーブルにはテーブルクロスがかかっている。それは同じなのだが、落ち着いた色合いの和風な柄布がランチョンマットとして二つ。


 ということは、今朝の朝食は……。



 ルリがその答えに行き着いたちょうどそのとき、アクアシェリナがやってきて「お食事の時間でございます。どうぞ、お席についてくださいませ」の声が響いた。




 席に着くと同時に、運ばれてきたのは黒い漆塗りのおぼんが二つと、おひつだった。


 アクアシェリナがおひつの蓋を開けて、ルリの小ぶりなお茶碗とラオインの大きめのお茶碗に、炊きたてなのだろうほかほかご飯をよそってくれる。


 ラオインはお盆の上を見て「これも初めて見るな……」とつぶいていた。

 本日の朝食は和定食。

 彼にとっては初めて見るものばかり並んでいることだろう。


 小鉢や小皿には少しずつたくさんのお惣菜や漬物。それにぱりぱりの海苔が数枚。

 まだ温かいだろう卵焼きは、見た目からするとおそらくはルリが好きなお砂糖多めのあまじょっぱい味付け。あえて焦げ目が強めなのも、ルリの好みだ。

 焼き魚は白身魚。おそらくは味噌に漬け込んだサワラあたりだろう。

 まだ蓋がされているお椀の中は、これは絶対に味噌汁。お吸い物もいいのだが、こういう朝にはやはり味噌汁のほうがいい。



 料理人であるモルガシュヴェリエがやってきて、人なつこい笑顔でこう言った。

「料理の説明……なんて野暮でしたね。どうぞ、冷めないうちにおいしく召し上がってください」




 退室する人形召使いたちの背を見送って、ルリはさっそく箸を構える。

 そして、ニンジンの漬物を箸で摘まんだのだが――


「……ルリ……まさか」

「ラオイン?」



 ラオインは、瞳を見開いて驚愕の表情だった。

 信じられない、なぜそんなことが、ありうるのか、いやしかし。

 そんな感情が、ありありと見て取れる。


「……ルリ、それは、まさか……その細い棒きれ二つだけで、食事を……?」


 そう、彼の視線はルリの持つ細い棒きれ二つ――すなわち、箸に向けられていたのだった。



「これはですね、箸というものですよ。ラオインの住んでいたところには無かったのですか?」

「……ない。見たことも、聞いたことも、無い」


 そういえば……とルリは思い出す。


 昔々の大昔、まだまだこの星に人がたくさんいた時代でも、箸というものは全員が全員使えるというわけでは無かった……らしい。

 フォークとナイフを主に使う地域もあれば、素手で食事をする地域もあったようだ。子供の頃に、ちょっとした好奇心からルリも素手だけで食べてみるのを試してみたが、食べ物が熱すぎてとても同じ事はできそうになかった。

 ……本当に、大昔はどれだけ世界は広かったのだろう。そして、一体どれだけ多種多様な人間がひしめいていたのだろうか。


 ちょっとお行儀が悪いが、一度漬物を小鉢に戻し、ルリは箸を開いたり閉じたりして動かしてみせた。

「ほら、こうして動かして小さいモノを摘まんだり、大きいモノを挟み込んで切ったりして口に運んで食べるんですよ」

 そう言って、ひじきの煮物に入っている大豆を摘まんだり、卵焼きを切り分けたりしてみせる。

 ラオインの表情は驚きを通り越して、サーカスや手品を見ている子供のように輝き始めた。

「これはもしや、なにかしらのからくりでも仕込まれているのか?」

「いいえ。これはただのお箸、ただの細い棒二つだけです。仕掛けとかからくりとか、そんなの無いですよ。手指だけで動かしてるんです」

「信じられん……いやしかし、このような技術があれば……ふむ、野営時の食事でも、現地で採取した枝などを材料にこういった棒を削って使用……いや、そもそもこれだけならさほどかさばるモノではないのだから……」


 箸を見つめながら、彼はぶつぶつとしばらく何かつぶやいていた。


 彼が何かに興味を持ってくれたのは嬉しくはある。しかしこのままではせっかくの料理が冷めてしまうだろう。

 そこで、ルリは小さな卵豆腐を箸ですくい取って、ラオインの口元に差し出した。


「はい。どうぞ、ラオイン。早く食べましょう」

「……あ、あぁ、ルリ、すまない……つい」

 彼が卵豆腐を食べてくれたのを確認して、ルリは気持ちお姉さんぶってこう宣告する。


「それじゃ、食べ終わったら、お箸の使い方を練習しましょうね?」

「まさか、この技術を俺も身につけられるのか?」

「えぇ、ラオインもちゃんとお箸で食べれるようになりますよ」

「……それは、嬉しいな」


 ラオインが金色の瞳を柔らかく細めて、微笑む。

 倍も年上の大人の男性である彼に、まだ小娘である自分がものを教えられる。ということが嬉しくて、ついルリもにまにましてしまう。



「さぁさぁ、冷めないうちに食べましょうね。それじゃあ次はこの海苔で、ご飯を巻きますね」

「……な……なんだと……そんなことができるの……か?!」







 伏籠邸の新しい一日が、こうして賑やかに始まった。




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