いつもと同じ
今日は――いや、今日も伏籠邸はいい天気だ。
だんだん春めいてきて、太陽は眩しい。このぐらいの気温なら、外に出ても問題なさそうだ。
ルリはクローゼットを開けて、外出のためのコーディネートを考える。
手にとったのは、くすんだ薄緑色のスカートと共布のケープ。ウグイスを思わせるような色合い。最近ようやく、あの独特の鳴き声が聞こえてくるようになったので、これを着たいと思っていたのだ。
お針子人形のアメジスティーニャは、ルリが生まれたときからずっと服を作ってくれている。彼女は自分の保管しているデータを基に、いつもルリ好みのドレスを用意してくれるのだ。
ひとりぼっちで暮らすのだから、身につけるものなんてなんでもいいのかもしれない。それこそ、夏は裸でいいだろうし、冬は毛布でもなんでもかぶって過ごすこともできる。
けれど――こんな暮らしであるからこそ、服ぐらいは自分の好きなものを着たい。
それになにより、用意してくれているのが……アメジスティーニャなのだ。
彼女は確かに人形ではある。だが、ルリにとっては大切な存在のままなのだ。あんなことがなければ、きっと、あのお針子人形は今も、人懐こい笑みで、隣にいてくれた、はず、だ。
軽くため息をついてから、くすんだピンクの帽子を被る。
ごく薄いベージュのブラウス、帽子と同じピンクのボレロ。うぐいすの色をしたスカートとケープ。足元は焦げ茶色のブーツで活動的に。
鏡を覗き込み、一人つぶやく。
「うん、可愛い……ですよね……?」
『何を仰るんですか、今日もとても可愛いですよ、ルリお嬢様!』
元気に力強くそう言ってくれた彼女は――今はもう、いない。
庭園に出て、お屋敷から離れた場所へ足を運ぶ。
どこまで行っても、人間は一人もいない。
人影はたまにあるが、すべてお屋敷で働く人形たち。彼らは庭園を手入れし、牧場で動物の世話をし、果樹園や菜園でルリの食べ物を集めているのだ。
石が敷き詰められた小道を外れて、さらに歩く。
向かう先は、ルリが秘密基地と勝手に呼んでいる場所。
高い生け垣や樹木に囲まれて、外からは様子を窺い知ることはできない花園の、更に、奥。
そこにある大樹が、今日いちばんのおめあて。
「……まぁ、もうつぼみが膨らんでいますね」
それは、大きな大きな桜の樹だった。
もう枝先のつぼみは膨らんでいて、近いうちに今年最初の開花となるのでは、と予想できる。
ここが、彼女のお気に入りの場所。
桜の大樹。その根本に座って、ひとりのんびりとお花見をするのが、春の楽しみだった。
その昔には、お花見となれば沢山の人が桜を見に集まったらしい。
画像データに残された写真、画集にある絵、それに昔の新聞やニュース記事といった情報からも、それはよくわかる。
ルリはそっと目を閉じた。
満開の桜の下には、大勢の人々。老若男女関係なく、服装もさまざま。
家族や恋人、あるいは友人。もしくは学友か。それとも同じ職場で働く仲間。
用意してきた茶や酒を大いに飲んで、手作りのお弁当やら仕出し弁当、あるいはそこらにある屋台で買ってきたものを食べている。
あるものはにぎやかに歌い、あるものはグループでゲームに興じ、あるものは連れてきたペットとはしゃぐ。
皆、ばらばらに、だけど――彼らは一様に楽しそうにしている。
ルリは、静かに瞳を開けた。
……かつては、そんな光景もどこかであったのだろう。
だけどもう、今はルリひとり。
世界でたったひとりきり。
「そうですね、花が咲いたら……アメジスティーニャにコサージュを作ってもらいましょうか。桜のような、優しい薄紅色の花びらのコサージュを」
寂しく呟いて、ルリはぼんやりとまだ花の咲かない枝を見上げる。
あぁ。このあとはどうしようか、夕食の時間まで、まだある。
時間はいくらでもある。
花畑で冠を作るのもいいだろう。
今なら何が咲いているのだろうか。
花冠をかぶって、お花のお姫様になるのだ。きっと楽しい。
たとえ、花冠を捧げる王子様がいなくても、きっと楽しく過ごせるはず。
ゆっくりと残酷に、お屋敷の時間は流れていく。
王子様は、いない。
伏籠ルリは、ひとりぼっちのお姫様。
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