お風呂とおやつと





 沈み込むようにゆったりと、自室の長椅子に腰掛け、ルリはほうっと満足のため息をつく。


 まだ口の中には、さきほどの食事の余韻が残っているような気がする。

 美味しかった。

 二人で食べて、二人で食べさせ合って、二人で美味しさを共有する。

 あぁ、それはなんて幸せ。



 ルリは何をするでもなくぼんやりとしたまま、さっきのメニューや話の内容を思い返していた。

 ラオインは、先にお風呂に入ってもらっている。

 ここでもレディーファーストは無視。ラオインが優先だ。ルリはそれでいい。




「……二人って、こんなに……楽しいんですね」

 そう呟いてから、投げ出した足を意味もなくぱたぱたと動かす。

 ひとりぼっちのルリが、ラオインがやってきたことでふたりになった。


 ふたりぼっち、楽しい。


「ふふふー」


 なんだかじっとしていられない。

 ばしばしっと、刺繍がびっしりと施されたとても固いクッションを叩き始める。

 一体、この甘酸っぱい衝動はどこへ持っていけばいいのか。

 早くラオインがお風呂から帰ってこないだろうか。


 ばしばし。

 ばしばしっ。

 ばしばし。

 ばしっ。

 ……叩かれ続ける哀れなクッション。


 だがしかし。こんなの、浮かれるなというほうが無理だろう。

 そう、無理だ。

 少なくともルリには無理。だって今までこんなの味わったことがない。



「……楽しい」

「クッションを叩くのが、かい?」


 唐突に、ルリの言葉に返事が降ってきた。

 見上げればそこには、まだ白髪から雫がしたたっているラオインがいる。いつの間にか帰ってきていたらしい。

「……水もしたたる」

「ん? ……あぁ、すまない。あのドライヤーという道具はまだうまく使えなくて、髪はタオルで拭っただけだ」

「えっと、ラオインはそんなに髪が長くないので、ドライヤーなしでタオルドライでも、きっと大丈夫ですよ。私はこのとおり長いので、ドライヤーで乾かさないと次の日でも生乾きになって大変ですが」


 そうか。と返事をして、ラオインはごく自然にルリの隣に座る。

 ……なんだかいい匂いがする。

 今日のお湯は、なんの入浴剤を使っているのだろうか。ラベンダーのバスソルトだろうか、それともローズマリーだろうか。



「それじゃあ、わたしもお風呂いってきます。なるべくすぐに戻ってきますので、一緒に湯上がりでシャーベット食べましょうね」

「うむ、待っている」


 彼の笑顔に見送られて、いそいそと部屋を出る。

 あぁ、楽しみ。


 もう何もかもが、楽しみで。

 そして、楽しみというそのことすらも楽しくて。






 お屋敷にはいくつか浴室やシャワールームが存在する。

 かつての伏籠家の住人はよほど風呂が好きだったのだろう。家族の住まいである三階には、大きな湯船を備えた大浴場があった。



 ちゃぷん。


 湛えられた乳白色のお湯からは、馥郁としたローズの香り。


 今夜は、ミルクとローズを使ったにごり湯。

 まるで古代の美しい女王様になったような気持ちで、華やかな芳香を浴びながら、柔らかなお湯にゆったりと浸かる。


 ルリは、乳白色のお湯を両手でそっと掬う。

 はちみつか何かが入っているようで、ミルクにありがちな生臭さなどは一切感じられない。


 ちゃぷちゃぷと湯が肌を撫でるたび、お肌がきれいになっていくような気持ちになれる。

「そうですね、これからは……いっぱいきれいにならないといけませんね」

 あぁ、そうだ。ラオインの隣にいるのだから、いつもきれいでいないといけない。

 ……彼が、私と結婚してよかった、と……そう思ってくれるような、とってもきれいな『妻』になるのだ。


 決意の炎を心に灯しつつ、ルリはお湯をちゃぷちゃぷさせる。


 このあとは、ローズマリーのオリーブ石鹸で体を洗って髪を洗って、それからハーブとレモンのリンス。お風呂上がりのお肌の手入れはどうしようか、ラベンダー水か、あるいはローズ水を使おうか。それからあと保湿のためのクリームは……。


 ちゃぷちゃぷ。


 いままでなら、いつも清潔にしなければ、という義務感だけで行っていたお風呂の時間でさえもこんなに楽しい。


 けれどいつまでも湯船に浸かったままというわけにもいかない。

 そう。なぜなら……お風呂上がりには二人でベリーのシャーベットを食べる約束なのだから――






「ただいま戻りました」


 かなり急いで髪にドライヤーをあて、ルリは部屋に戻ってくる。

 ラオインはさっきと同じ長椅子に座り、何かの本を読んでいたらしかった。

「おかえり……髪が、まだ濡れているようだが。そんなに急がなくとも大丈夫だったのに」

 彼に指摘され、ちょっとすねて膨れながら言い返す。

「もう。私は自分で急ぎたいから急ぐんですよ」

「……そう、か」

 彼には、私が何故膨れているのかあまりよくわかっていないらしい。

 もしかしなくてもラオインは、こうして気を使いすぎることで逆に相手を傷つけてきたのではないだろうか。……なんだか、ありそうな話だ。



「それよりも、せっかくの湯上がりのお楽しみですよ。早速シャーベットを持ってきてもらいましょう!」



 さっきは一匙しか味わえなかった、ストロベリーとラズベリーのシャーベット。

 それを、お風呂上がりという絶好のコンディションで贅沢に味わえる。

 こんなの絶対テンションが上がるだろう。


「あぁ。そうしよう」

「それじゃあ、モルガシュヴェリエを呼びだしますね」


 そう言って、ルリは硝子のベルを手に取る。

 携帯端末を使えば、召使い人形に指示を出すのはもっと簡単に済むのだ。が、ラオインがこの硝子ベルを気に入っているようなので、最近はもっぱらこちらを使うようになっている。



 しゃららら……。心地いい、澄んだ硝子の音が響いた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る