寄り添って生きる
お引越し
鳥籠楽園。
伏籠ルリは、その唯一の『住人』だった。
誰に聞かせるでもない歌をうたい、人形の召使いが作った食事を食べ、そしてひとりぼっちで眠る。
それは、生きている限り永遠に続く。
……そのはずだった。
あの日……満開の桜の下にぼろぼろの人形が破棄されている。そう思い込んで駆け寄るまでは、そのはずだったのだ。
ルリは、ラオインのシャツを畳んでいた。
暖かい季節用のものなので、柔らかで薄手だ。どうにもふわふわとして、なかなかうまくいかない。手際いいとは言えないだろう。
ルリがもたもたと一枚畳む間に、ラオインは二枚も三枚も畳み終えてしまっている。彼は、身の回りのことはある程度自分でやるようにしていたらしく、こういうことは慣れている様子だ。
……いいのですよ。えぇ、いいの。これはあくまで自分でやりたいからやってるだけなんですもの。
心の中で自分への言い訳をしつつ、ルリは畳んだシャツをなるべく丁寧に、箱へと収めた。
箱の中身はラオインの服や靴の類と、彼が気に入っている本を何冊か。
今日は、引っ越し作業なのである。
先日、ルリとラオインは夫婦になることを決断した。
ルリはまだ結婚可能年齢ではないので、正確には婚約ということになるが、それでも二人は夫婦だ。
そして、それをマザーコンピューターに報告すると、使用を許可されたモノがいくつかあったのだ。
『結婚祝い、というものです』
いつものように二重にだぶって聞こえる奇妙な機械音声で、あれはそう告げた。
そのうちの一つが、この屋敷のあるじの部屋の鍵だ。いささか古風に『主人と女主人の部屋』と呼ばれる場所らしい。ルリは立ち入ったことがないので、この屋敷の三階にある、という事ぐらいしか知らない。
その部屋に、今日から二人で暮らすのだ。
「それじゃあ、そろそろ新しいお部屋に移動しましょうか」
「あぁ、わかった」
作業が一段落して声をかけると、ラオインは立て掛けてあった紳士用ステッキを手にゆっくりと立ち上がった。
このステッキも、マザーコンピューターからの『結婚祝い』だ。
きれいな飴色をしていて、木目も美しい。持ち手部分は一際濃い色をしており、石突などは交換されたような痕がある。誰かが大切に長年使い込んだような、そんな品物。
初めて手にした時、彼は「まるで自分の体の一部のようだ」とつぶやき微笑んでいた。どうやら、かなり気に入ってくれているらしい。
ルリは、新しい部屋の鍵を片手に持ち、もう片手でラオインの手を取る。
僅かな荷物の入った箱は、お針子人形のアメジスティーニャに任せておく。彼女は小柄ではあるが、結構な力持ちなのだ。
彼とともに部屋を出て、ゆっくりと廊下を歩く。
広い廊下は、召使い人形たちのおかげで今日もチリ一つ無いほどに清潔だ。ずらりと並んだ硝子窓からは、午後の穏やかな日差し。
――この人には、この屋敷はどんなふうに見えているんでしょう。
ふと、隣を見てそんなことを思う。
光が当たると銀色にもきらめく白い髪。歴戦の証なのだろう、と言いたくなる傷痕がたくさん刻まれた褐色の肌。大きくてごつごつした手。神秘的な金色の瞳。彫りの深い顔立ちには、これまでの苦悩を物語るかのような悲しげな表情が浮かんでいることが多い。
ラオイン・サイード・ホークショウ。
ルリの中で、特別にして唯一の存在となった人。
この人には、この屋敷は、この世界は、そして自分は、一体どう映っているのだろうか。
……出来るのなら、美しくて善いものだと思ってもらえるようにしたい。そのための努力を、これからたくさんしていこう。
三階には部屋は多くはない。『主人と女主人の部屋』と、子ども部屋が数室。あとは主人一家のための食堂や浴室といった場所だけだ。
「ラオイン、こちらですよ」
ゆっくりと彼の手を引き、部屋の前にたどりつく。
これまでルリが使っていた子ども部屋のそれよりも、大きくて圧倒されるほど立派な白い扉。可愛らしい小鳥たちと果樹の繊細な絵が描かれている。
片手に提げていた古式ゆかしい真鍮製の大きな鍵を鍵穴に差し込み、ゆっくりと回すと、ごとりと重い音がした。
ルリとラオインは、少しの間お互いに見つめ合って微笑んだ。
これもまた大切な儀式だ。
二人でこれから暮らすための、儀式。
白い扉を押し開けていく。
少しずつ広がっていく扉の隙間から、部屋の中が見えてきた。
ごくごく薄い水色に白で花模様がある壁。
天井の中央には、きらきらとした硝子のしずくがたくさん下がった大きなシャンデリア。
百合の花を思わせる形をしたウォールランプたち。
今は炎の気配がない暖炉と、その上部に飾られた大きな鏡。
大きな出窓には、クリーム色の地に淡い緑で蔦模様が描かれたカーテンとレースのカーテンが下がっている。
水色のテーブルクロスのかかった丸テーブルと、色とりどりの花模様が座面にある椅子。
黒檀の書き物机や、まだ空っぽの硝子扉のある本棚。
そして、天蓋から青灰色のカーテンがゆったりと下がる、大きなベッド。
奥にはさらに白い扉。続き部屋でもあるのだろう。
全体的に明るくて可愛らしい印象だ。なんとなくだが、この部屋を作った『女主人』の趣味だったのだろう、とルリは思う。
きゅ、と彼の手を握り直すと、彼は感慨深げに呟いた。
「この部屋が俺たちの部屋なのだな」
「えぇ、そうです」
これから時間をかけて、少しずつ、この部屋を自分たちの部屋にしていくのだ。
楽しみと言わずしてなんと言おうか。
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