雨と花と







「家族、に……」



 ラオインは、呆然とルリの言葉をオウム返しに呟く。



「えぇ、私もひとり、ラオインもひとり。ひとりぼっちが二人です。だったら、ふたりぼっちで歩き始めてみるのも良いと思うのです」


 ひとりぼっちの二人が、一緒に歩き出す。

 それは、このさみしがりやで美しい少女と一緒に歩いていくのなら、悪くないのではと思えた。……いや、良いと思う。良すぎると思う。




「貴女は、本当に良いのか。こんな……こんな俺で、本当に良いのか。こんな世界で選択の自由もなく」

 ラオインが苦々しくその言葉を吐き出すと、ルリは、震えながらぎゅっと自分のスカートの裾を握りしめていたかと思うと……荒々しく立ち上がった。


「そんなの、私のほうが聞きたいです!! 突然こんな世界にやってきてしまって! こんな屋敷に閉じ込められて! こんな小娘と! 結婚を強制されてるんですよ、貴男は……!!」


 今までにないほど激しい口調で、彼女に言葉をぶつけられる。



「それとも、ラオイン。もうあなたには決まった方がいたのですか……?」


 不安と、申し訳なさと、心細さと、寂しさ。それらがぐちゃぐちゃに混ざって、今にも泣きだしそうになっているのだろう彼女の頬にそっと手を伸ばす。

 ……柔らかくて温かい。


「ルリ、座ってくれ」

「……はい」


 彼女はもう一度、隣に座ってくれた。

 体温が感じられる位置だ。髪の感触も、花のような香りもわかるほどに近い。


「……情けないことだが、私には結婚相手もも婚約者もいなかったのだ」

「え、でも、だって……」


 ルリが、ラオインの頭からつま先まで順番に見つめる。

 本当に情けないことだが、ラオインはこの年齢まで縁談もなければ浮いた話の一つもない。

 それも、仕方がないことだった。


「若いときから、ずっと鍛錬と勉強に明け暮れた。成人してからは……戦と執務の日々」

「でも、ラオインは」

「……俺は……俺の母は……異国から流れてきた奴隷、だったんだ。俺の国ではほとんど皆、金髪や栗色の髪、茶髪でな。だから俺のようななりをしていると、異国の血が入っていることは明らかなんだ」


 ルリは、大きな瞳を歪ませていた。


 ……このひとりぼっちのお嬢様にはわかるだろうか。知識の上では知っているかもしれないが、おそらくは実感はないだろう。

 人間が、そうやって自分とは違う者達を……排除しようとする存在なのだ、と。


「俺は、努力し続けてきた。母のために勉強し続けてきて。正妻様の嫡子が急死して、父にいきなり後継者に指名されてからも、ずっとずっと……そうすれば、きっと、こんな俺でも認められる、と、信じて……でも無理だった。……だから、こんな俺の元へは、縁談話など、こなかった」


「ラオイン」


「こんな、俺には」

「ラオイン!」

 何が起きたのか、理解できない……唐突にルリに抱きしめられた、のだ。




「ラオイン、泣いていいですよ」

「……」



 頬を、しずくがひとつぶ滑り落ちていく。

 あぁ。泣いているのか。この少女の胸の中で泣いているのか、自分は。情けない。


「情けない、ふがいない、申し訳ない……」

「いいんです、いいんです。今は、あなたの瞳は雨降りなんです。それでいいんです」


 ルリが、柔らかく抱きしめてくれる。温かい。


「いっぱい雨を降らせて良いんです。きっとその後には、綺麗な花が咲きますから」




 そして彼女はゆっくりと歌い始める。

 これは――子守歌だ。




 ――私の大事な一輪のお花。


 ――私の大事な一輪のお花。

 ――折れないように抱きしめましょう。

 ――今は雨降り、ざぁざぁざぁ。

 ――いずれはぽかぽか太陽が。

 ――今は雨降り、ざぁざぁざぁ。


 ――いずれは綺麗な、花が咲く。




 歌い終わって、ラオインの髪を撫でながら彼女は優しく言った。


「……咲くならきっと鈴蘭スズランだと思ってます」

「あぁ……そういえば、この世界には花言葉というものがあるんだったな」

「えぇ、鈴蘭の花言葉は……『再び幸せが訪れる』というのがありまして」


 ゆっくりと、ラオインのぱさついた白い髪を撫でながら、彼女は言葉を続ける。


「……でも、それじゃ駄目でした。足りませんでした。ねぇ、ラオイン。私があなたに、幸せをたくさんあげます。たくさんたくさん、これまでにないぐらいに、たくさんの幸せをあげるんです。そう決めました」

 ゆっくりと、けれど優しく、決意を込めた言葉。


「ルリ……?」

「ラオインをたくさん甘やかしてあげます。二人でたくさん美味しいものを食べて、二人でたくさん綺麗なものを見て、二人でたくさん楽しい事をして、二人でずっとずっと幸せに暮らしましょう!」


 それは、なんて甘美な。


「ね……そうしましょう?」

「俺に、それが許されるのだろうか……」


 あまりにも魅力的な誘惑に、思わずそんな事を呟いてしまう。

 自分が、甘やかされて幸せになって良いのだろうか――と。


 それに対し、ルリはこう返してみせた。


「いいんですよ。そのかわり、あなたも私を同じぐらいに甘やかして幸せにしてくれれば、それでいいんです」



 ラオインの両頬を、温かな両手でそっと包み込んでくれる。

 目の前には、ルリの青い瞳。その中には、ラオインの姿が映っている。ラオイン自身が嫌っている傷だらけの褐色の肌も、ぱさついた白い髪も、鋭い金の瞳も。


「お互いに甘やかして、甘やかされるのか」

「えぇ、そうです」

「……それは、素敵なことだな」

「えぇ、とても」


 ぽすっと、ごく軽く額と額がくっついた。

 ラオインは、ルリの手の上に、自分の手を重ねる。




「伏籠ルリ様、私の妻になっていただきたい」

「えぇ、ラオイン・サイード・ホークショウ様。お受けいたします。私の夫になってください」




 あぁ、今日からは――



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