手負いの黒鷹
――ゆりかご、ゆらゆら、ゆらゆらりと。
――優しく揺られて、静かにおねむり。
――ぼうやはよい子。
――静かにおねむり、今はまだ。
――静かにおねむり、ゆっくりと。
――そしてあなたが起きたなら……。
――たくさんたくさん遊びましょう。
――たくさんたくさん愛しましょう……。
――ゆりかご、ゆらゆら、ゆらゆらりと。
これは、子守歌……なのだろうか。
優しくて、不思議な響きを持った歌が聞こえてくる。
それほど大きくはない声なのに、耳に残る美しい声。
ラオインは、身も心も温かくてふんわりとしたものにつつまれていた。
体には、やわらかい毛布や軽い羽毛布団のようなものがかかっていて、心にはじんわりとぬくもりあるものが注ぎ込まれて、力がわいてくるような感覚。
……これ、は。
ゆっくりと、ラオイン・サイード・ホークショウは重たいまぶたをを開けた。
……目の前には、細やかな彫刻のある小さな木製の天井。
そこに刻まれているのは……何かの植物と、木の実のようなものをついばむ小鳥。
そんな天井からは真っ白な薄手のカーテンと分厚い
視線をもう少し下に落としていくと、
薄手のカーテンはしっかりと閉め切られて外の様子はわからない。けれど光はいくらか届いているので、ラオインはこうして周囲を見ることができた。
頭の下にはふかふかの枕。背中側には絹の感触のシーツと、敷き布団。
ふんわりと掛けられているのは、温かさはあるが重さを感じない羽布団と、すべすべした感触の柔らかな毛布。
……どう見ても、ここはベッドだった。それも、まるで王侯貴族の使うような……豪華さと居心地の良さを兼ね備えたベッド。
ここは、一体。
「そう…………では…………ですか、それなら…………ということ…………」
「…………えぇ…………という…………ですので…………」
ラオインが瞬き数回分ほどの時間考えていると、カーテンの向こうから声が聞こえてきた。話しているのは二人で、おそらくは両方とも女性だろう。
とぎれとぎれにしか聞こえないが、片方の声は淡々とした――感情のまったく感じられない不思議な声だった。その平坦さは、聞いているとどこか心の一部がぞわりとさせられるような、奇妙な感覚を覚えてしまう。
もう一つは、カーテンを隔ててもはっきりとわかる可憐な声だった。まるで鳥籠の中からこちらをじいっと見つめる愛らしい小鳥を思わせるような、そんな声。
……声の一つは、あの少女なのだろうか。
ラオインはベッドに横たわったまま目を閉じて、とぎれとぎれの会話を聞く。
目の前で、泥まみれ血まみれ傷だらけで気を失ったのだ。あの少女を大いに驚かせて怯えさせてしまったに違いないだろう。……申し訳無さを覚えてしまう。
この様子だと、どこかの上級貴族のお屋敷にでも保護されたらしい。
しかし、反逆者とされているラオイン・サイード・ホークショウを匿ったということは――よほどのお人好しなのか、あるいは黒鷹将軍ラオインを利用しなんらかの『厄介事』を引き起こしたいと思っている人物ということだろうか。
……カーテンの向こうの会話は、まだ続いていた。
「そうですか…………では…………状況は…………ですね」
「えぇ…………なので…………あの右足はもうまともに動くことはないかと」
飛び込んできたその淡々とした声に、ラオインは思わず目を見開いた。
右足が、まともに動くことは、ない……?
心臓が早鐘のように打つ。
足が動かなくては、もう戦場に立てない。
まともに戦えない将軍を、兵が崇拝することはない。
ラオインはカーテンの向こうの声を聞き取るために、必死の思いで目を閉じて耳をすます。
「……そうですか」
「では、あの右足はどう処置いたしましょうか」
「……」
「稼働しないパーツを着けたままの活動は、なにかと不便でございますよ。パーツ交換なさることをお勧めいたします」
淡々とした声でしかし親切げに、恐ろしいことを告げられて、小鳥を思わせる声の主が動揺し震えているのが分かった。
「……待って。お願い、待ってください。せめて、あの方の意思をお聞きするまでは、それは待ってください」
「動かないようなパーツを着けたままでは邪魔になりますよ。ですので切断し、もっと良いパーツを新たに取り付けるのがよろしいでしょう」
「だめです!! ……だめ、だめです……だめなんです」
「先延ばしにすることはよろしくないでしょう。決断を保留したままで、本当にいいのですか」
小鳥のような声の主は、今にも泣き出しそうだ。
淡々とした不気味な声の方は、そんな彼女の優柔不断さを責めるというよりは、ただただ『早く新しいパーツを取り付ける』ことの正しさを語る。
それを聞きながら、ラオインは右足に力を込める。
特に深い矢傷を負っていたのは膝だ。膝から下に力を込めて、どうにか動かそうとする。
けれど、ぴくりとも動かなかった。どんなに力を込めようとしても、そもそもそれが自分の足とは思えないような感覚なのだ。
もうまともに動かないと宣告された右足。
そして、自分でも動かないことを目の当たりにしてしまった。
これではまるで、手負いの鳥だ。
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