おおきなさくらのきのしたで





 桜の樹の下に『それ』は廃棄されていた――

 




 満開の桜。はらはらと薄紅が舞う、その根本。

 そこには大きな人形が、ぼろぼろで横たわっていた。



「これは……動力が、切れてしまったのでしょうか。それとも外傷でどこかの回線がだめになってしまった……のかしら」

 ルリは、困惑と混乱がまぜこぜ状態になりながらも、その人形がなぜ停止したのかを考える。



 見たこともないような……明らかに変な、おかしな、異質な、人形だった。

 男性型の大柄な見た目で、顔は彫りが深い。

 それになにより、金色の瞳。

 他の人形と違って硝子の瞳グラスアイではなさそうだった。涙のようなものに濡れたそれは美しくて、そして複雑な虹彩であった。何より、じっとこちらを見つめてくるのに震えるように揺らいでいたのだ。


 痛いと、言っていた。

 あまりの痛みに泣きたいとも言っていた。

 こちらが差し出した、なんの役にも立たない包帯代わりの布にも、微笑んで感謝の言葉をくれて。

 ……まるで本物の人間のように、そんなことを……言ったのだ。



 いや、人間でなくても学習の進んだ人工知能を持った人形なら、そう返事をくれることもある。ルリは知っている。かつて、ルリが大切な友達と思っていた存在も、そういうものだった。


 けれど。


「……なんで、体温があるの」

 彼に触れた時、まるで体温のような、程よいぬくもりを感じた。


「……なんで、涙や血のようなものを流していたの」

 彼の体からは、今も赤い液体が少しずつ流れていて。


「……なんで、呼吸するみたいに体が揺れるの」

 彼の胸は、ほんのわずかではあるが、確かに上下していた。停止した人形は動かないはずなのに。


「……なんで、なんで、あんな悲しい瞳やつらそうな表情をしていたの。それは、まるで人間じゃないですか!!」

 なぜ、あんな、心が掻き立てられるような表情をして、ルリに自分は人間だと訴えかけてきたのか――





「直さなきゃ……すぐに彼を、直さないといけない」

 ルリは、がくがくと震える足でどうにか立ち上がる。

 おそらくは、もう使い物にならないと廃棄された人形だ。この伏籠家を管理し、ルリを管理するマザーコンピューターには、なぜ廃棄したモノをわざわざ拾うのかと怒られるのかもしれない。

 けれど。

 ……助けないと、いけない。

 そう強く思ってしまったのだ。



「……えっと、ここからなら、今一番近くにいるのは……」

 バスケットにお弁当や水筒とともに放り込んでいた、普段は使わない携帯端末。それを取り出して、緊張で冷たくなっている指先を滑らせて操作する。

 自分ひとりでは彼をお屋敷まで運ぶことは、到底不可能だ。



 庭園で働いている人形に、こちらへ来るようにと指示を出した。これでお屋敷まで運ばせればいい。

 たまたま近くに居たのは庭師人形のガーネディゼットだ。彼なら、このおかしな人形と同じぐらい大柄だし、それに見合うだけの力持ちなので、運搬には適している。


 お屋敷までいけば、修理だってできるし充電もできる。

 すぐに破損箇所は交換してもらうなり塞ぐなりして、彼の褐色の肌はすぐきれいになるはずだ。


「……大丈夫ですよ、大丈夫。きっと直してあげますからね」

 倒れた人形に言い聞かせるようにつぶやき、そっと白い髪にふれる。……なんだかぱさぱさしてごわついているので、髪はあまりいい素材ではないのかもしれない。一体これはどういう設計コンセプトなのだろうか。


「……大丈夫です。マザーコンピューターがあなたの廃棄処分を命じていたって、私が、どうにかしますからね……ちゃんとあなたを守ってあげますからね……」

 白いぱさぱさの髪を、なで続けている。




 そして、それほど待つこともなくガーネディゼットが姿を見せてくれた。

 百九十センチを超える身長のがっしりしたボディが、こういうときは一層頼もしい。


「よく来てくれました、ガーネディゼット。あの、こちらをお屋敷に運んで修理したいのです。それに充電も必要となるでしょう。……あとは、マザーコンピューターにも話しておかねば、ならないですね」


「なるほど、荷物の運搬でしたか。お任せください」

 彼はこの状況におよそ似つかわしくない朗らかな笑顔で、その仕事を請け負ってくれた。


 がっしりした腕で、ガーネディゼットは白髪の人形を小脇に抱えて歩き始めた。ルリも、少し慌ててバスケットを掴み、小走りでついていく。



「ルリお嬢様、これはどちらまで運べばいいでしょうか?」

「……えっと、とりあえずは人形を修復するのだから地下へ」

 すると、庭師人形は首を傾げるような動作をする。


「二階の客間でなくていいのですか?」

「客間?」


 今度はルリが首を傾げる番だった。


 伏籠邸には、二階に客間がいくつもある。今では何のためにあるのかよくわからない部屋だが、かつては誰かがここを訪れることもあったらしい。


 その、ずっと使われていない客間に、この人形を……運ぶ?


「なぜ……客間なのですか」

 いつの間にか、口の中がからからに乾いていた。

 なぜ、どうして、人形を客間に運ぶ必要があるのか。




「そりゃあ、これは俺たちと違って人形じゃあないからですよ。『お客人』を客間に案内するお役目なんてものを、まさか庭師である自分が承るとは思いませんでした」


 朗らかな笑みのまま、庭師人形はそう言ったのだった。 



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