第6話 時が止まってしまえば
俺達は何事もなかった風を装って教室に戻った。
誰も俺達がいなくなっていたことを不思議がらなかった。きっと時間が止まっていた皆にとって俺達が教室から出ていた時間なんて、ほんの少しの時間だったに違いない。
しばらくすると担任が教室にやってきて、様変わりした教室に驚愕しながらも俺達の労をねぎらい、消灯の時間になったことを告げた。担任も今日は学校に泊まりらしい。
俺はトイレに行くふりをして、夜食用に購買で買ってあったおやつを持って時計塔に向かった。
運動場は月明かりに照らされていて、目が闇に慣れてくれば明かりが無くても歩くことができた。
時計塔の扉を開けて階段を登ろうとすると、正面に神棚が配置されていた。
あれ、確かあのスライムの神様の依り代は階段を上がった鐘のところにあったよな。これは一体何なんだろ、お供えをするのってこっちでいいのかな?
俺が不思議そうに神棚を見ていると、後ろで扉が開く音がした。
「直孝、そっちじゃないよ。上の階にあるやつ」
「そっか。こっちの神棚は何なんだろな。美咲、知ってる?」
「それは御霊舎だよ。神棚じゃなくて、神道のお仏壇みたいなものなの」
「へぇ、知らなかった」
ぎしぎしと音をたてる階段を上がりながら美咲は「私ね、小学生の時にこの時計塔に入ったことがあるの。後でひいおばあちゃんにかなり怒られたけどね」と話し始めた。
「そのときにね、ここの御霊舎の話を聞いてたの。神道では、亡くなった人は遺族がお祀りすることで守護神になってその家族を守ってくれるんだって」
そうなのか。でもなんで学校の時計塔なんかにそれがあるんだろう?
「家族がみんな空襲でいなくなっちゃった人のね、昔はけっこう多かったらしいよ」
俺の疑問を見透かしたように美咲は言った。
「あそこに祀られてる人は戦後、他の人たちと一緒に力を合わせて本当の家族みたいに仲良く暮らしてたらしいよ。でも、川に流された子どもを助けようとして亡くなっちゃったんだって。ところが、彼をあまり快く思っていなかった人にその子どもを彼が殺したという噂を流されてしまったの。結局、彼のお墓は建てられなかったけど、彼を慕っていた人達がここに御霊舎を建てたんだろうって。私、その人の写真も見せてもらったの、今でも覚えてる」
「まさかそれ……」
「そう、あの丸刈りの人そっくり。だからきっと噂に翻弄される私たちを助けてくれたんだろうね」
俺はあの丸刈りの顔を思い出して、心の中で感謝した。でも
「俺たちが噂に翻弄?」
「そうよ」
美咲が答えたと同時に2階に着いた。
俺たちは依り代の祠にお供えをして、二礼二拍手一礼をした。
「ね、直孝」
「ん?」
お参りを終えた美咲は窓に立って校舎の方を覗いていた。俺はその隣に立つ。
月明かりに照らされた幼馴染の、いつにない真面目な顔がこちらを向く。
「私のこと、好きでしょ」
「え」
俺は固まった。予想していたどの言葉よりも衝撃的な一言だった。
どう反応したものか思案したけど、不意をつかれた頭は全然うまく回らなかった。
美咲は俺の反応を見て、案の定だという笑顔を向けた。
「あ……いや。……そうだよ」
俺は白状した。それ以外の選択肢なんてなかった。
「やっぱりね。そうだと思った」
「なんだよ、どうしてだよ」
俺は半ばふてくされて美咲に問う。
「だって直孝ったら考えてることバレバレなんだもん。私が気付いてないとでも思ってたの?」
ぐうの音も出ない。
「でもね、いつまで経っても告白してくれないんだもん。変だと思ったよ」
「だって……そうだよ美咲、片思いしてた3年の先輩にふられたんじゃなかったのか?」
「は? そんなわけないでしょ」
僕は愕然とした。
「まぁでも、そんなことだろうと思ったよ。実は以前にも直孝が女子テニス部の子が好きらしいっていう噂が流れてきたことがあってさ、私ちょっと笑っちゃったよ」
……どういうことだ?
「それでね、もしかしたら、意図的に誰かが噂を流してるんじゃないかって思ったの。私と直孝が付き合うことを妬ましく思う誰かが、私と直孝がそれぞれ片思いしている人がいるぞって噂を流したんじゃないかって」
「待てよ、もし本当に付き合ってほしくないならもう誰かと付き合ってることにしたらいいじゃないか」
「そしたら本人に噂を確認する後ろめたさが無くなって事実確認されるかもしれないじゃない。片思いってとこがミソでさ、相手に直接噂の真偽を確かめにくいじゃない」
「……なるほど」
そう言われればその通りだ。
「だからね、私、友達に嘘の噂を拡げてもらったの。『私はあるテニス部の先輩に片思いしてますよ』って。そしたら案の定、直孝を私に告白させて自滅させようとしたんだろうね。直孝には私が失恋したことになってたってわけ。私の噂を流す人、誰か思い当たる人、いない?」
「そんなやつ俺の周りには……」
脳裏に、人がよさそうな笑顔で文化祭の準備をする彼の姿が思い出されてしまった。
ショックだった。悲しかった。いいやつだと、信じていたのに。心が沈み込んで、胸の奥に重りを入れられたようだった。
あの朝、能登のなんともいえない笑顔から、何も察せなかった自分が情けなかった。
窓の縁を強く握りすぎていた俺の手の上に、美咲の手がそっと乗せられた。
それからしばらく、何も言わない時間が流れた。
夜の優しい風が吹いてきて、熱くなった頬を冷ましてくれた。
少し落ち着きを取り戻した俺には、言わなくてはいけないことがあった。
「俺さ、きっとあの噂が無くても、ずっと美咲に好きだって言えなかったと思う。今みたいな関係がずっと続けばいいって思ってたから。付き合うってったって何すればいいのか全然分からないし。でも、今夜の一件で気付いたこともあるんだ。今は今しかないんだって」
息を吸って、続ける。
「だから、俺は美咲と一緒にもっといろんな時間を過ごしたい。来年も再来年も、その先も、一緒にいて欲しい」
彼女は僕の方を見て、笑顔を作った。
時が止まってしまえば 園長 @entyo
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