第3部 趣味嗜好編
第21話 ビターエンドと死に至る病
「死に至る病とは絶望のことである」
キルケゴール『死に至る病』(鈴木祐丞訳)
旧エッセイの方でお題をいただきましたので、語らせていただきます。
お題は、そう「ビターエンドの名作」です。
ビターエンド……解釈としては、バッドエンドでこそないものの苦みが残る結末……ということでいいのでしょうか。若干の不安はありますが、ピクシブ百科事典でもそのような解釈なので、とりあえず、それを前提とさせてもらうことにします。
真っ先に浮かんだのは、脚本家自ら「ハーフビター」と述べたアニメ『鋼の錬金術師』(BFじゃない方)でしょうか。たしかにあの結末は苦いですよね。でも、あの結末だからこそ続編のシャンバラにつながっていくわけです(これも脚本家自らも述べていますが)。ビターエンドと言えば、同じボンズ制作の『DARKER THAN BLACK 黒の契約者』も印象深いラストでした。
小説だとやっぱりトマス・H・クックですかね。彼の作品はしばしば「救いがない」と形容されるのですが、わたしはそうは思いません。むしろ誰よりも「希望」というものを誠実に描いてきた作家ではないかと。
特に印象深いのは『夜の記憶』です。傑作しかないと言われる記憶4部作の中でも特にヘヴィな1作で、終盤で畳みかけるようにして明かされる二つの真相はいずれも読者を打ちのめすことでしょう(個人的にこれまでの読書で最もヘヴィな「解決編」でした)。その後の展開もとても重く、しかし、そうであればこそ、ラストには光が感じられます。決してハッピーエンドではないけれど、それでも、そこには確かに希望がある。
「人生の最終的かつ最大の希望は、生きているうちにいつか、自分が犯したすべての誤りが、ふいに、やるべき正しいことを教えてくれるかもしれないということだ」
トマス・H・クック『ローラ・フェイとの最後の会話』(村松潔訳)
これはわたしの自論なのですけど、物語の結末において「希望」をはっきりと成就させてしまってはいけないんです。叶うかどうかわからないからこそ希望なのであって、それを実現させてしまったら、それはもうただの「安心」になってしまうのではないかと。
これはきっとバイブルである『スパイラル ~推理の絆~』の影響なのでしょうね。あの作品では希望が重要なテーマとして描かれており、ラストは、その希望が叶うかどうかわからない曖昧な結末を迎えます。それこそが希望なのだと、わたしに教えてくれた作品です。ビターエンドかって言うとちょっと違う気がしますけど。主人公の「俺は絶望の中で笑ってなきゃいけない」という言葉が示すように、一見望みのない現実に対して、それでも笑ってみせるというのがあの作品のラストでした。
こうした認識にはキリスト教の影響も多少はあるかもしれません。というのも、キリスト教において絶望は大罪だからです。生きているかぎりは希望を捨ててはならないし、希望があるかぎりは生きなければならない。そうしたシビアな考え方が、わたしの中にも根付いているのでしょう。
「大抵真実は残酷でつらいものだ。だが鋼鉄番長親子のように、取り返しがつかなくなってから真実が優しかったと気づくのはもっとつらいぞ」
城平京『小説 スパイラル ~推理の絆~ 2 鋼鉄番長の密室』
「…それでも結末は同じだったかもしれない。この先もただ繰り返し苦しむだけかもしれない。でも何もしないで後になって実は希望があったと知るのに比べれば無駄でも抵抗した方がましだ」
城平京原作/水野英多作画『スパイラル ~推理の絆~』第52話「造物主の選択」(句点引用者)
と、これらの台詞を引用するとき思い出されるのが映画『ミスト』です。見た人はわかると思いますけど、上記の台詞がまんま当てはまる話ですよね。映画史に残るバッドエンドという形で、「本当はあった希望」を浮き彫りにしている。これもやっぱり絶望は大罪というキリスト教のシビアな価値観を反映した内容なのかもしれません。同じスティーヴン・キング原作の『ショーシャンクの空に』も希望の大切さを描いてますしね。
「覚えてるね。希望はいいものだよ、たぶん最高のものだ。いいものは決して滅びない」
映画『ショーシャンクの空に』
尤も、誰もが希望を持ち続けられるわけではありません。先述したように叶うかどうかわからないこそ希望なのです。『ショーシャンクの空に』でも「希望は危険だぞ。希望は人を狂わせる。塀の中では禁物だ」という台詞が登場します。
「いつかは……やがていつかはと……! そんな甘い毒に踊らされ、いったいどれほどの時を戦い続けてきた!?」
『機動戦士ガンダムSEED』
――希望っていうのは、マッチ売りの少女が見た幻のようなものだと思わないかい?
――どういうことですか?
――夢を見るだけ、目を覚ましたとき自分の現状が惨めに思えるってこと。
「わたしがこれから出会う鳥」
https://kakuyomu.jp/works/1177354054885561659/episodes/1177354054885561664
ときに未来の不確かさに負けてしまうのもまた人間。それはそれで我々の心を打つのです。
「希望を殺すのは残された者だ。世の中夢がかなわず運命とやらに理不尽に殺されちまう人間なんて掃いて捨てるほどいる」
(中略)
「誰にだって理不尽な死はありうるんだ。ラザフォード…誰の希望もそれで終わるかもしれないなんて…あんまりじゃないか。だから残された者が希望をつなぐんだよ。後にその死が大きな価値を築く礎のひとつになるように残された者が戦い続けるんだ。たとえ理不尽な死が訪れてもどれほど間違いを犯してもそれなら希望は死なない。…すでに多くの人間が間違いを犯したかもしれない。だがその間違いをやり通したってやっぱり何も残りはしない。今すべきは間違いを認めそれを無意味にしないことだ。残された者がその意思を失わないなら希望は失われない」
城平京原作/水野英多作画『スパイラル ~推理の絆~』第73話「バベルの向こう」(句点引用者)
「きみに願いが叶えられないなら、その悔しさを誰かに伝えればいい。言葉でもいい、文字でもいい、態度でもいい、伝えられたそれが大事なものなら、きっと誰かの胸を打つ。その誰かが願いを受け継いでくれる。今は叶わない願いも、やがて百年の時を経て、血のつながりもない地球の裏側でかなうかもしれない」
あたしはそう言う鳴海を驚いて見つめた。
「鳴海、それはファンタジーだよ!」
「そうさ、ファンタジーさ。だがこのファンタジーが本当なら、私たちは予告もなしにやってくる理不尽な死という運命に耐えられる。自分の思い出がいずれ誰かの力となり、途絶えた願いを叶えられるなら、その死は見かけほど無駄じゃなくなる」
鳴海は若菜さんに語りかけた。
「死は意地悪く、時を選ばずやってくる。そいつを拒むことはできない。どんなに尊い夢も、そいつが強制的に停止させる。だが強い『おもい』や願いは死なない。永遠に生きられる。それは止められない。逝った者の夢や願いがかなう可能性はある。その人の死が無駄かどうかは未来に生きる人が決めるんだ」
城平京「ワンダフル・ハート」(『小説 スパイラル ~推理の絆~ 1 ソードマスターの犯罪』収録)
https://magazine.jp.square-enix.com/gangan/spiral/otherstory/readit/story02.html
また『スパイラル』の話になってしまいました。
ビターエンドに話を戻すと、他に好きなのはマーガレット・ミラーの『雪の墓標』でしょうか。彼女の作品はバッドエンドがほとんどで、それ以外のものを見つけるのが難しいのですが、そこにはたしかな人間愛が感じられます。これもやっぱりキリスト教的な精神かもしれませんね。「闇を見つめ、そこに静かに十字を切って祈るよう」とは宮部みゆきの表現ですが、そうした「祈り」が最も前景化したのがこの作品だと思います。
「ひどく現実的な人間になったとは思うわ。でも、シニカルとは違うわね、シニカルな人間というのは、ものの値段はわかるけれど、価値はわからない人のことですもの。わたしとは根本的に違うわ。本当のところ、わたしは人間の善性を信じているの。だけど、人間の醜悪さも、身にしみて知っているのよ」
マーガレット・ミラーインタビュー「光と翳の中で」(伊達桃子訳、『ミステリマガジン』1992年11月号収録)
ジェイムズ・エルロイ『LAコンフィデンシャル』の幕切れも泣けます。LA4部作は、他の作品もビターエンドと言えばビターエンドなんですが、『ビッグ・ノーウェア』、『ホワイト・ジャズ』なんかは苦みが強すぎて、ほとんどバッドエンドに見えてしまうかもしれません。その点、『LAコンフィデンシャル』のラストは苦くもどこか爽やかですらある。これは映画版も同じですね。エピグラフの「何もかもを犠牲にして、何の意味もない栄光――」というフレーズが刺さります。
あとはデイヴィッド・グーディスの『ピアニストを撃て』だとか『深夜特捜隊』もシビアな現実を描きながら、どこか希望が漂う幕切れになっていると思います。ノワールつながりで言うと江波光則の初期作もそういう傾向がありますね。あとは中村文則も。
と、なんだかビターエンドから話がそれすぎですね。けっきょく自分が好きな作品の話になってしまいましたし。ビターエンドの名作って言ったら世間的にはどうなるんでしょう。みなさんの意見もお聞かせください。あと、お題も引き続き募集中です。
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