逆撫で手術

●この子(イエス)の言動は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりすることになる。だから、その本当の意図を汲み取ってもらえず表面的な反対を受けることになるのを覚悟せねばなりません。そして、それはあなたも例外ではなく、あなた自身も剣で心を刺し貫かれるでしょう。この子の言葉であなたの、そして大勢の人の心の中の隠された思いが、刺激によってあぶりだされ露わにされるからです。(悪い思いは外に出さないと治せないのです。内に引っ込んでいる状態ではまずどうにもなりません。その荒療治をするのがこの子の役目なのです)



【ルカによる福音書 2章34~35節を筆者独自の言葉で言い換えたもの】



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 ひろゆき氏が沖縄の基地反対運動(座り込み)に関して皮肉る発言をしたことで、運動を行う団体から「失礼で悪意ある行為。住民感情を逆撫でしている」と抗議。

 この一件に関して、事の詳細を書くのはやめておく。ここは別にニュースブログではないし、他でいくらでも情報は仕入れられるだろうから。今回重要なのは、事件の内容よりもひろゆき氏にチクリと言われた側が「神経を逆撫でされた」という言葉で反応している点である。



 彼も筆者もよく誤解される。口の悪い人間、たいへん失礼な人間だと。

 残念だが多くの人は、ただの悪口とひろゆき氏や私の言葉との区別がつかない。

 イエス・キリストも死後二千年経った今でこそ美化され、何も悪い点や問題などない完全無欠の存在のように崇められているが、彼が身近にいない(会ったことがない)我々が忘れてはならないのは、彼が生きている当時の人間が「彼の言葉に腹を立てた」ということである。そして殺そうという流れになるほどまでに。

 もちろん、イエスの話をうんうんと喜んで聞いていた者もいただろう。だがそれは浅い意味で「イエスの言葉の指摘に該当しなかったか、言われてるのに鈍感にも自分のこととして考えるに至らなかったか」である。いくら厳しいことを言われても、自分のことを言われていると分からなかったら傷つきもしないしへこみもしない。



 一休さんが、「この屏風の絵の中の虎を縛ってみせよ」と言ってくる将軍様に対して「私が出てきたところを縛りますから、将軍様は絵の中の虎を追い出してください」と言ったという話がある。もちろんこれは盛った話で、一休さんの人となりを伝えるエピソードとして作られ歴史的事実ではないだろう。

 手術と同じだ。手術も患部(悪いところ)を開いて露出させないと治療行為ができない。我々スピリチュアル畑の指導者も(広くはカウンセラーのような人も)、人の思い(精神)を扱うので、いったんその人の問題を表面に出してあげないといけない。相手(クライアント)が始終ニコニコと顔だけいい子ちゃんして、心の奥に本当の思いを隠したままではこちらは手も足も出ず、無力化される。

 でも、イエスのような名人級は、「相手を怒らせる(感情を乱させる)」プロである。ひろゆき氏もまた、意図してか天然なのかは本人に聞かないと分からないが、結果的にそうなっている。筆者も、意図して読者を逆撫ですることを言っている。



●何に対して怒るのか、心を乱すのかが分かるとその人の問題が見えてくる。



 つまり、高度なセッションはただ相手を喜ばして帰し、うれしかったのでまたリピートしよう、などとなるものとは違う。半分以上の人間がもう結構、二度と来るかと帰っていくくらいでもちょうどいい。なぜなら、治すために問題を表出させたのに、そこの価値が分からず「失礼な人」「どこが悟った人間なんだ」と考える人が多いのが今も昔も現実だから仕方がない。

 100人いたらその中の数人が、言った相手や言われた失礼なことがどうではなく「その言葉自体が指し示すもの」だけを落ち着いて考え、確かに私には必要だ(指摘はもっともだ)と、惑わしてくる余分な情報をそぎ落して自分を変えることができる。そんな人が時々いたらいいなぁという感じでやっているので、世間的に「賢者テラは口が悪い批判ばかりの男」と思われるのは仕方がないと思っている。

 相手を怒らせて分かるのは「問題」ばかりではない。何に怒るのかによっては「この人、すごいな」という感想をもつこともある。要するに、怒ったり感情を乱したりがダメなんじゃなく「何があなたにそうさせるのか」の「何か」の質を調べるわけである。


 

 イエスのやり方は、決して人にとって気持ちの良いものではなかったので、少なからぬ反発を食った。上記の聖書の引用の中でも、「剣(つるぎ)で胸を刺し貫かれる」というすごい表現になっている。イエスの個人セッションは、強烈だった。

 ただし、弱っている者や慰めを必要としている人には優しかった。彼が厳しかったのは「自分は人よりモノが分かっている・頭がいい」そんな自信をのぞかせている人物や、自分が変わろうとせず小さなプライドを守るためにはテコでも動かないような人物に対してである。岩盤の奥深くに行くしか治すすべがないので、ダイナマイトを仕掛けるのだ。

 今回、ひろゆき氏が言った基地反対運動へのコメントは、言葉の響きだけ聞けば「一生懸命思いをもって頑張っている人に対して失礼」に聞こえる。しかし、その次元で終わってしまっては、反対運動をしている人は成長しない。(肉体的には高齢者が多いだろうが、精神的な成長という意味ね)

 ちょうどいい機会だったのだ。ひろゆき氏の言葉によって、座り込み反対運動の実態が明るみに出された。座り込みって何なのか。反対するって何なのか。もう一度原点に立ち返って考えてみるチャンスをくれたのだ。それを「悪意だ失礼だ」って反応するだけなら、あんたたちってその程度? と思う。



 言い方がもうちょっと上品で、挑発的な要素をそぎ落としたら、ひろゆき氏の言葉は百点満点であった。でも彼のキャラなのか、皮肉っぽく厭味ったらしく聞こえてしまうところで、ちと損をしている感じはある。

 生きていた当時のイエスを知る者は誰もいないが、もしかしたらひろゆき氏どころじゃなく強烈なキャラだったのかもしれない。 

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