なんであっちではできてこっちではできないのか
『西遊記』という大ヒットドラマが昔あった。若い人はその存在くらいしか知らないと思うが、堺正章が悟空役を務め、ゴダイゴの歌うデンディング・テーマ曲「ガンダーラ」は感動的だった。
そのあるエピソードの中で『鬼子母神』が登場する回があった。他人の子どもをさらって食べる妖怪であり、そのくせ自分には千人の子どもがいるというヘンな妖怪。ドラマ中では、若き日の和田アキ子が演じている。
ある村へやってきた三蔵法師一行は、被害に悩まされている鬼子母神の退治を依頼される。願いを聞いて敵の住処に乗り込むが、鬼子母神はめっぽう強くなかなか勝機を見出せない。まぁ、現実でも和田アキ子は強いからね!
そこで、お釈迦様が助け舟を出してくれる。細かいやり取りは省くが、千人いる鬼子母神の子どもから一番かわいがられている子を悟空を操り殺させる。結局最後にはその子は生き返るのだが、鬼子母神は愛する我が子を失うという経験をする。
「鬼子母よ、おまえは千人いる子どものうち、一人亡くなっただけでもそれだけ辛い思いをしなければならないのだ。人間の母親の持つ子どもの数は数人だ。一人欠けるとどれだけ辛い思いをしなければならないか分かるだろうか?」
お釈迦様はそう諭すのであった。
日本のドラマでもあるでしょう。外では人の命を奪ったり残酷な拷問をしても平然として見ていられる悪の組織のボスが、家に帰ると子煩悩なよい父親にスイッチし外ヅラとはまったく違う顔を見せる、というようなシーンが。
妻や子どもをそれだけ大事にできるなら、どうして同じことが外でできない? 他人を同じように大事にできない? 鬼子母神もそうだが、残念ながら人にはある残念な性質がある。
●自分に近いものは大事にできるが、遠いものはそうするのが難しい。
自分が失っても直接的な被害がないもの、惜しくはないものに対しては慈悲をかけられない。かけられないというよりは「どうでもいい」と言ったほうがいいだろうか。現代社会でも、社会的弱者は国や市町村の
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