試みにさえあわなければ ~皮肉にも自分の祈り通りにならなかったイエス~

●私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。



【マタイによる福音書 6章13節】



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 上記に紹介しているのは、有名な「主の祈り」の一節である。

 イエス・キリストが「こう祈りなさい」と教えたものである。聖書にもやくが色々あって、新共同訳聖書では上記の試みが「誘惑」、悪が「悪い者」となっているが、この訳は筆者的にはダメである。その訳では、この言葉の深い奥行きが伝わらない。やっぱり、ここでは試み(試練)とするほうがよい。



 手越祐也という芸能人がいる。

 ジャニーズの男性アイドルグループ・NEWSのメンバーとして活躍したが、ある時を境にその立場を捨てて独立。

 筆者は、余計なお世話にはなるが「こいつ大丈夫かな」と心配して見ていた。心配するのは、多分うまくいかないだろうなと思ったからだ。案の定だった。

 つい最近の芸能ニュースで、手越の手がける脱毛サロンが全店閉店と報じられた。同時に、彼のYouTubeチャンネルの登録者数も全盛期に比べると20万人以上落ち込んでおり、そんな中で彼はなんと「テレビ復帰を嘆願」しているのだとか!

 彼は調子に乗れていた時代にこう言っている。

「自分は地球でトップ3に入るぐらいポジティブ」

 今になってこの言葉を振り返ってみれば、大見得を切ってジャニーズを退所した彼と、やっぱりダメだったから戻してと泣きつく彼とがちぐはぐすぎて、悲しいほどに滑稽である。シータの言う「国が滅びたのに王だけいる」のよりも滑稽だ。



 イエス・キリストが言った「試みに会わせず、悪より救い出したまえ」とは——



●できたらそれ、分からないで済むほうがよかったよね。



 我が子が犯罪に巻き込まれ、その尊い命を奪われてしまった親がいて。

 その親が一時は人生に絶望して苦しんでいたが、やがて自分のように苦しむ親と被害者の会を結成し、少しでも世の中をよくしようと立ち上がった。

 数年前までは、ごく普通の幸せな家庭だった。自分より先に子どもに死なれるとは夢にも思っていなかった。でも、昔は他人事だった「我が子を失う」という経験をした親の気持ちがよく分かるようになった、とその親は語る。

 言葉はヘンだが、それは人間としての、精神面においての「成長」である。でも、その成長は本当に我が子という犠牲に見合った成果だろうか?

 きっと私のような弱い人間なら、こう思うだろう。



●こんな立派な精神境地なんて要らないから。

 なくていいから、あんな経験なかったことにしてほしい。



 歴史に伝わる偉人や聖人の人生に関するエピソードを聞けば、壮絶なものが少なくない。その波乱万丈な出来事の数々がその人物の魂を磨き、高い精神的境地を得させた側面は否めない。イエスは十字架にかけられ、ジャンヌダルクは火あぶりに。キング牧師やガンジーもタイヘンな人生だった。

 でも、筆者は思うことがある。もし、そうした人物が大きな悲劇に巻き込まれず、愛する者も喪失せず、それなりに幸せな人生を送れていたら?

 もちろん、それなら歴史に名が残らず、大勢の中の無名の一個人として人生を終えたことだろう。でも、私なら歴史に名が残るよりも寿命まで家族と仲良く過ごしたいし、子どもにも自分よりあとに死んでほしい。その望みが叶うのなら、名声や過分な富など要らない。



 イエスは皮肉なことに、他人に「試みに合わせず悪より救い出して」と祈れと教えた本人が見事に試みにあい、悪に絡めとられた。

 人間、追いつめられると本性が出る。イエスは十字架上で、辛すぎて思わず言った。我が神我が神、なぜ私をお見捨てになったのですか、と。

 言ったあとで、これにはイエス本人もビックリである。自分に実はそんな心があったとは! こんな機会でもなかったら分からなかったぜい!

 この経験がなかったら、自分は誰よりも神のことが分かっていて、神に一番近いと思えたまま人生を気持ちよく終えられただろうに!

 手越祐也も、コロナ禍や様々な事情が偶然重ならなければ、もしかしたら今も「ジャニーズきっての人気者・手越祐也」として今も変わらぬ活躍をしていたであろう。でも、覆水盆に返らず。進んでしまった時計の針は、もう戻せない。

 彼も考えたら可哀そうだ。このような道に進まなければ、「地球でトップ3に入るポジティブ」と思えたまま生きれたのに。真実とは時として残酷で、人に「それ分からなくてかまわないから、夢を見させ続けてくれ」と思わせる。



●人は試み(試練)によって、その真の姿が暴かれる。

 だからイエスは、次のように祈ることをゆるしたのだ。「確かに辛い出来事によって自分の本当の姿が分かり、魂の成長が得られることがある。でもそのために払う犠牲が、その成果に見合わないほど重い場合がある。私は人の弱さを知っている。ゆえに、皆さんはバカのままでいいから、平凡でも穏やかな暮らしでいいから、どうかひどいことが自分と自分の愛する者の身に起きませんように、と祈っていいよ」と。



 手越は、まさかやーの時に売れていた時代には見えなかった自分の弱さを露呈した。おとこ・手越という言葉を彼は使っていたことがあると思うが、自信満々に表舞台を出ておいて、ダメになったら「やっぱり戻して!」なんて、それ「おとこ」じゃないよね? おとこの風上にも置けないよね?

 筆者も、できたら試みにあいたくない。でも5年間程度の表舞台での活動を経て、一般的な尺度で言う「人気」がなくなってオカネが入ってこなくなった。試みにあったのだ。

 でもよかったことは「自分って、試練にあってみたらこんなにダメやったんか!」と落胆するような、暴かれたものは何もなかったことだ。売れても売れなくてもやっぱり私は私のままだった。でもそれは結果論であって、やはりありかなしかで言うと、できればそんな経験しないですむほうがいい。



 きっと、これを読む読者の皆さんも、とりあえず平和だからこそ自分の自己イメージを高く持ち、自己受容できてて幸せでいられる部分があることだろう。

 でも、できたら分かりたくないよね。

 昔の戦争映画「203高地」でも、もとは子ども好きの優しい教師だった男が、日露戦争の前線で豹変していく様が描かれているが、身震いするほど恐ろしい。その映画の主人公も、自分の中の「いい人」は極限の状況では通用しなかったことを知るのであるが、そんなこと知らないで人生を終えられるほうがいい世界だと言えるのだ。



 筆者は、声を大にして言いたい。

 立派な精神的境地などいいから、自分も世界も素敵だと思えたまま人生を終えられるほうがいい。バカなままでいいから、大事な人たちに囲まれて穏やかに暮らしたい、と。 

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