遠藤周作の世界『女の一生』

 私はかつて長年クリスチャンをやったので、遠藤周作という作家さんは馴染み深い。三浦綾子さんと並んで、日本におけるキリスト教作家の最高峰であると思う。

(最高と言っても、この二人しかいないと言われればそれまでだが)

 でもまぁ、遠藤さん(以下敬称略)は三浦さんとは少し違い、必ずしも熱心で純粋な信者が決して「喜ばない」ような、ちょっと意地悪な視点からも遠慮なくグリグリえぐるような作風なので、非常に考えさせてくれる。

 数年前、「沈黙」という遠藤の代表作が海外で映画化されたが、だいぶ昔に出た話のはずなのに色々ケチがついて延期し、最初日本人役に決まっていた渡辺謙が出れなくなるわで……公開実現までにずいぶんかかった。

 鑑賞したが、思ったよりよかった。

 ちなみに主演の外人神父役は、リーアム・ニーソン。誘拐された娘を追いかけて、拳銃を持って走ったりしなかったのでホッとした。(笑)



 私は、遠藤の作品では沈黙も好きだが、あえて一番は『女の一生』。

 これは、二部構成になっている作品で、第一部「キクの場合」と第二部「サチ子の場合」とがある。私はとりわけ、第一部のほうに強烈な魅力を感じた。

 第二部は良くも悪くも無難にまとまった感があり、アクの強さがない分どうしても印象が薄れる。第二部が決してダメなわけではなくそれなりに良いが、ただ第一部と並べられるとどうしても比較してしまう。

 逆に言えば、第一部がストーリー的に「えげつない」ということである。

 読めば、イヤでも一生筋を忘れない、読めば霊に刻み込まれるような重いテーマを扱っているからである。今回は皆さんも、一緒に考えてみてほしい。



●あなたは、「今」だけを本当に見つめることができますか?

 その「今」が素晴らしいなら、それまでのことは不問にする勇気はありますか?



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 キク、という勝気で美しい女性が主人公なのが第一部である。

 舞台は、幕末の日本。

 キクは、子ども時代に清吉という少年に、困っているところを助けられる経験をする。彼は、周囲では「付き合ってはいけない」と言われる集落の子どもだった。

 幼心にその意味が分からなかったキクは、物心つく年になってもう一度清吉に出会う。その頃分かったのは、彼が当時ご法度とされていたキリシタン(キリスト教を信仰をしている日本人)らしい、ということだった。キリスト教が分からないなりに、清吉の立派さは認めていたキクは、その彼が信じるキリスト教もきっといいものだと信じ、教会活動のお手伝いを始める。



 しかしある日、清吉が隠れキリシタンであることがバレ、役人につかまる。

 一度役人に捕まってしまえば、棄教しない限り彼に待っているのは 凄絶な拷問と死である。

 清吉に惚れていて、生きて帰ってほしい、いつか夫婦になりたいと願ったキクは、捕まった清吉の制裁与奪の権利を握っている役人、伊藤に「自分の言う通りにすれば清吉を楽にしてやる」と言われ、体を奪われてしまう。

 その後も、伊藤は清吉に渡すからとキクから金を巻き上げることを続ける。お金のないキクは体を売ってでも伊藤に金を渡すが、受け取った伊藤のほうでは全部自分で使ってしまう。もちろん伊藤も、その間キクを犯し続ける。

 そうこうしているうちにキクの体は限界にきて——

 ある寒い雪の日、教会のマリア像のそばで死んでいるところを発見される。



 やがて時代も変わる兆しを見せ、政府の非人道的なキリシタン迫害への非難の声が高まり、最後まで信仰を捨てず耐え続けた清吉は、やっと生きて自由を勝ち取る。

 彼はキクを探すも、もうこの世にはいないことを知るのであった。



 一方、手のひらを返したようにキリシタン迫害の責任を上から被らされた形になった伊藤は、処分される。どんなにいたぶっても信仰を捨てなかった清吉、死ぬまで清吉のために体を売り続けたキク。この二人の生き様が脳裏から離れない伊藤は、彼らにそこまでさせた「キリスト教」というものに興味をもち、意を決して神父に話を聞きに行く。

 そこで伊藤は、自らの成してきた鬼畜のような行動を告白し、懺悔する。

 神父は、驚くべき一言を言う。

「神は、あなたのような人を愛しておられます」



 ずいぶん時が経って。

 老境にさしかかった清吉に、一通の手紙が届く。伊藤からであった。

 伊藤は、清吉を救うと適当なウソをついてキクを抱き続けたこと、体を売らせたカネを巻き上げ続け、しまいには病にかかり死んでしまったこと。それらの原因は自分にあることを告白した。

 それでも、神父から「神はあなたのような者も救われる」と言われ、今日まで生きてきた。そして死ぬまでにこうして、あなたに告白して謝りたかった——。

 清吉はひとりの人間としては、怒りがこみ上げてきた。しかし、彼をこれまで支え続けてきた信仰は、最後清吉にこう叫ばせた。



●「この伊藤さんを変えたキクの一生は、決して無駄じゃなかった。」



 私は、この一言のもつ重みが、すごいと思った。

 確かにその通りなのだが、受け入れるのは簡単ではない。

 やせ我慢で言うことはできても、腹の底からこれが言えるケースはまれである。

 これが言えるには、人情を超えた次元を垣間見ないと難しい。



 今において、伊藤は過去の罪を悔いている。

 今目の前にいる彼は、信仰を持ちクリスチャンになっていた。

 そのことは素晴らしいことである。

 彼が罪を犯したのは過去であり、もう今では過ぎたことで、彼も神に懺悔している。それなら、清吉がとやかく言うことではないし、ゆるさないというのはキリストの教えに反する。

 でも、そんな簡単に割り切れないのが、地の事情に生きる「人間」である。

 私は、清吉が簡単にこの言葉を口にできたはずはないと考える。その壮絶な心の中での葛藤を思えばこそ、読む側は心打たれるのである。

 それこそが、人の美しさなのである。



 私は、与えられた平穏な日々の中で考える。

 もしも、自分が大事なものを奪われ、その奪った人物が後に本当に心を入れ替えたなら、過去を忘れてゆるせるだろうか。神もその人物を愛している、という観点で見ることができるだろうか——?

 実際にその場面にならないと分からない。下手に「できますよ」なんて言ったら、肝心な場面でイエスを三度否定した弟子ペテロのようになりかねない。

 賢者テラ、として記事を書いてはいるが、そういうことを考えるとまだまだだなぁとも思う。死ぬまで、日々の中から吸収するしかない。

 もし、あなたが清吉のように伊藤のことを消化できるとしたら——

 この地球次元でのあなたの旅は、もう終盤にさしかかっているのかもしれない。 

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