イエスは奇跡で病気を治したのではなく、自分が代わりに背負っただけじゃ?
夕方になると、人々は悪霊に取りつかれた者を大勢連れて来た。イエスは言葉で悪霊を追い出し、病人を皆いやされた。 それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。
「彼はわたしたちの患いを負い、わたしたちの病を担った。」
マタイによる福音書 8章16~17節
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若い方向けの話題ではなく恐縮だが、魔夜峰央という漫画家の作品で「パタリロ!」という代表作がある。ただ、この作品が全盛期だったのはだいぶ昔のことで、今40台後半~50代くらいの人しか分からないかもしれない。
「翔んで埼玉」しかしらない、という人も増えてきたのだろうか。
原作の第38話 『FLY ME TO THE MOON』という作品がある。
そのストーリーを以下にざっと示す。
●マリネラの少年ロビーは、宇宙飛行士になる夢を持って、マリネラの植物園で働いている。
そんな彼が他の生き物の傷や病気を治す力を持っていることを発見したパタリロは、「マリネラでロケットを作ってお前を宇宙飛行士にしてやるから」と言いくるめて、その力で不治の病に冒された人などを治療しては、多額の謝礼を得て金儲けをする。しかし、ロビーの体は日を追う毎に衰弱していく。
そんなある日のこと、ロビーが体調を崩して倒れたため治療作業は中止。
だが、治療を待つ長い行列の先頭にいたのがバンコランだった。
バンコランの依頼は死にかけている枢機卿(教会のトップ)を救うこと。
この枢機卿は戦いを続ける敵国同士を和平に導いておっり、近いうちに休戦となるはずだった。この人物が今亡くなっては、再び戦いが始まり多くの人が命を落とすことになる。
実はロビーの能力は「相手の病気を治す」のではなく、「自分の命を削って、相手に分け与える」という能力だった。ロビーの生命力をこれ以上分け与えると、彼自身の命が尽きてしまう。
ひとりの命か。世界全体の利益のためか。
パタリロは、苦渋の決断をする。
最後、パタリロに謝罪か慰めか、あるいはその両方の言葉を伝えようとしたバンコランの手を「さわるな」と拒絶してパタリロは去る。
その日パタリロは、生まれてはじめて心の底から泣いたのだった。
……とまぁ、そんな筋運びのお話である。
パタリロはジャンルとしてはギャグマンガなのだが、この回に関しては泣けた。
大人になってクリスチャンになり、イエス・キリストという人物について考えた時に思い出されたのが、今紹介したお話である。
ロビーという少年の生き様と、イエスの生き様が、私の中で重なるのである。
私は、イエスに関して絶対こう、という解釈はキライだ。
イエスに関しては、分からないことが多いのだから、色々な可能性を考えて楽しむこともあっていいと思う。それが多少「不謹慎」であったとしても。
私は、以下の仮説を立てた。あくまでも、仮説だが。
●彼はわたしたちの患いを負い、わたしたちの病を担った。
旧約時代に活躍した預言者イザヤの言葉となっているが、もしかしたらこの引用は「こじつけ」か「かっこつけ」かで、大して重要な意味合いはないかもしれない。
でももし、聖書のこの部分がイエスの描写に関して何らかの真実を言い当てていたら? つまり、イエスは少年ロビーと同じだった。
●イエスは、神の子の力・奇跡の力でバンバン病人を癒し死人まで蘇らせていたが、その力の出どころは、実は「無尽蔵でタダ」ではなかったのではないか?
今どき、「無料」という言葉を聞いても、人は簡単にはときめかなくなっている。なぜなら、みんな「純粋に、ただ無料なんてものはこの世に存在しない」と知っているから。
スマホゲームやオンラインゲームが「基本無料」なのも、結局有利にゲームを進めるために「課金」が必要になることは自明の理。もちろん、無課金でも要領よく遊べる人種はいるが、そう多くはない。
カネを払わない一定人数位がいることは見越して、それを補って余りあるカネがアイテム課金やガチャで運営が稼げることが分かっているからこその「無料」。
ブログをするのがタダなのも、実はタダではなくそれを回収するための手段がすでに盛り込まれているのだが(ブログ内の広告など。お金を払えば消してくれる)、結果として利用者に現金負担がいかないというだけの話。
例を挙げるとキリがないが、いやらしい話「この世では何をするにもカネがいる」のだ。硬い言い方にすると「何にでもそれに見合った代価が必要」なのだ。
奇跡の力で治らないはずの病気を治すのに、イエスは代価を払っていたのだ。
イエスは、バンバン病人をいやした。
貧乏人を相手にすることがほとんどだったろうから、ドクターXというドラマでよく見る「二千万」とかいうレベルの報酬をもらえることはなかっただろう。
ほぼ、ボランティア状態だったはずである。いただいても、治したあとで食事をごちそうになる、程度だっただろう。
イエスは実は、ただ「自分の生命エネルギーを治癒エネルギーに転換して、与えていただけではないのか?」という仮説が立てられる。もしかしたら、「相手の病気をいったん自分に移して、それを自体内で治した」のかもしれない。
イエスが世の表舞台に立ってからたった三年(一説では一年)という異様な短さで、彼の人生は終わってしまう。もちろん、当時の権力者ににらまれて半ば強引に処刑された、というのが直接の死因ではあるが——
●イエスは、自分の力を短期間で使い果たした。
それどころか、負債(借金)まで負った。
イエスは、よっぽどいい人だったんだろう。
困っている人を見たら、ほっとけない。
でも、それも善し悪しだ。何とかしてあげたいからって、自分の身を削ってまで……ましてや、どこから借金してまで治し続けた。
『闇金ウシジマくん」のカウカウファイナンスみたいに、最終的にイエスは「回収」をされた。容赦なく借金を取り立てられた。
直接は「処刑」という死因になっているイエスだが、実は「この時点でイエスの寿命は尽きかけていた」のではないか。
ただ、闇の勢力もがめついので、イエスが自然死するのを待てず、計画的に確実に殺した。それが十字架。
イエスは文字通り、他人の患いを負い、他人の病を担った。決して、タダでも楽なことでもなかった。でも、イエス自身はそれを態度や言葉に出したりはしなかった。
相手に、何の見返りも求めなかった。
イエスに責めるべき点がひとつだけあるとするならば、それは「ひとりで抱え込んだこと」。誰にも相談しなかったこと。個人で才能と技量が飛びぬけて優秀な人物には、ありがちな傾向である。
彼は人知れず、自分勝手に偉大な業を行い、人知れずその代価を身を張って支払い、朽ち果てた。
ただ、その死はどこか見る者の心を打つところがあり、後世まで語り継がれ、ついには「キリスト教」なるものまでできてしまう。
確かに、イエスは異常だ。
損得を超える、といったって限度というものがある。
愛する子どもを、妻をとか親を治す、とかならわかるが、見ず知らずの行きずりの人を無数に治して回るんよ?
もうね、あきれるを通り越して、そこまで貫ければ「あっぱれ」ですよ。
そこまで狂ってないと、突き抜けてないと、この緩慢な人類歴史なんて揺るがすことはできないのだろう。実際、イエスの十字架以上にインパクトのある世界的なイベントは、未だ起きてはいない。
あくまでも仮説だが、私は好きなのだ。
狂ったように限度を超えて、人を癒して回るイエス。
結局最後には、その治した人たちは助けにこなかったけど。来たところで何もできないだろうが、駆け付けてくれただけでも慰めになっただろうに。
最後、イエスは周囲に誰も自分を理解してくれるものがいない状況化で、息をひきとった。
十字架が罪を贖う、とかそんなんじゃなくてさ。
私の場合は単純にイエスが好きなんだよ。彼こそが人類で一番、人の悲しみや苦しみをほうっておけず、限界を引くことなくとことんまで助け続けた、そんな「情熱のかたまり」みたいな男を。
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