相手のどこ見てますか? ~イエスはあなたなんか知らないと言う~

 わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。

 わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。

 かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』 と言うであろう。

 そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。

『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』



 マタイによる福音書 7章21~23節



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 私は男性なので、これを語る資格があるかは微妙なところだが——

「美人」はそれなりに大変なのである。

 美人は得をする。外野は、だいたいそういうことを考えやすい。

 でも、彼女らには美人独特の悩みどころもあるのである。

 やっぱり、外見の刺激から 「ノックダウン」 される男も少なくないようで。

 そして、魂が幼いとそれを「真実の愛情」と勘違いできてしまうほどになるらしく。沢山言いよられても、そこが透けて見えると本当にウンザリする、と。

 でも、人間も動物の一種、と考えたらそれでいいんだけどね。動物や昆虫の中にも、その特殊な見た目の色や形などが、異性を惹き付ける役割を果たす、という事実があるのだから。見た目に惹かれるのは、自然界の営みにおいてなんら悪いことではないのに、「精神性」とやらをもった人間だけが、見た目でハァハァすることにマイナスイメージをもつ。

 そんな面倒くさい「人間」だから、結婚して(しない場合も)子どもができるまでに、大変なプロセスを経なければならない。少子化も、進むわけだ。



 話を、「美人は見た目で好きになられることを快く思わない」ことに戻そう。

「本当の自分」 という言葉はちょっと言い過ぎかもしれないが、少なくとも 「中身」をこそ認めてほしい、分かってほしいと思うもの。でも、下手に美人過ぎると、外見をいったん置いておいてその人の在り方や思想信条といった「中身」に到達するのは、ボンクラ男子にはちと難易度が高い。

 よって、美人に恋する場合に問われるのは、あなたその人のどこを見てんの? ということである。達人の場合は、先に人柄に惚れて、後でよく見たらたまたま美人だった、である。(あり得るのか? 笑)



 最初に上げたキリストの言葉は、実はこのことを言ったものである。

 神を信じてイエスを信じて信者になれば、もうそれでよし、救いに入ると普通は考えてしまう。

 しかし、なぜ信じた? なぜ神様を、イエス様を愛しているのだ?

 実は、「救われたいから。罪ゆるされたいから」ではないのか?

 そのために「神を信じる」「愛している」のであって、実はあなた神に会ったこともないし、イエスに会って話をしたこともないし、本当は神のこともイエスのこともよく分かってないんでしょ?

 良く知らないものを「真実に愛している」って、よく言えたもんだ。

 まるで、美人に恋して、実はあなたが勝手に思い描く彼女の幻影(きっと美しい外見に見合って、内面もキレイ)に恋しているにすぎないのと同じ。



 イエスはこう言いたいのだ。

「好き好き愛してる、って言ってもらったからって、オレも神様もそれほどうれしくねーっつーの。

(オレは一休さんじゃねぇんだ!)

 オレのどういうところが好きなわけ? で、何をもって命懸けで信じてくれる、っての?

 テキトーに聞いた話で、いい加減にオレのこと信じてくれちゃっても迷惑だよ。

 オレのどこを見てそう言ってくれるのか、マジ教えてよ!」



 イエスを信じたら罪がゆるされる、って一体誰が決めたんだい?

 イエス本人もこれにはびっくりである。

 まさに死人に口なし!

 皆、教会という組織やトップ聖職者の都合により利用されたイエス像を見て聞いて、真実のイエスを知った気になっている。聖書の記述をそのまま鵜呑みにして、イエスを理解した気になっている。

 


 私の立場も、細々ではあるが一応人に好いてもらって、信頼してもらって生計が成り立つ商売である。私も人間なので、好かれたらうれしい。嫌われたら悲しい。

 だから、嫌われるよりは好かれる方がいいが、だからといって頑張って好かれようとしたら、好いてくれる人の中に「少々ズレた見方で好きになってしまう」人が含まれる可能性が増えてくる。これは、有名人なら誰でも背負うリスクである。

 一時はいいが、後にその収拾で頭を悩ませることになる。

 これは、一般向けというより指導者・発信者向けのメッセージとなるが——


 

「沢山を一度に引きつけるより、少々敷居の高い言い方をしろ。

 それでもなおついてくるくらいの者だけを相手にしているほうが、堅実である。

 華やかな道にはならないが、その代わり魂の安定が図りやすい道となる」



 ここで「敷居の高い言い方」というのは、何もわざわざ難しい言い方をしろとか、わざと嫌われる言い方をしろとかいうことではない。

『徹底的に、自分に素直な物言いしか選ばない』ということだけでいい。

 芸能人や文化人などの「人気で食う商売」の者は、相手にどう思われるか、という「好感度」まで考慮して、戦略的に言葉を紡ぐ。相手に受け入れられるという目的を重視した場合、自分の言うことを変えて飾ってでも「望ましい言葉」を使おうとする。もちろんそれは必要だがバランスによりけりで、例えば吐く言葉のほとんどがそれだと、かなり問題だ。



『徹底的に、自分に素直な物言いしか選ばない』とは、果汁の話で例えると「濃縮還元」しない、ということだ。。ストレートしぼりそのままをジュースにする。

 わざわざ嫌われようとすることでは、断じてない。素直に内側をアウトプットしたその結果として、嫌われたり誤解される分は仕方がない、ということ。それはもう、ご縁がなかったと割り切る。

 それでもなお、表面的な言葉の誤解を乗り越えてあなたを理解し、好きだと言ってくれる人物も出てくる。その人たちこそが、あなたが本当に必要とする人であるし、相手にとってもあなたが本当に「必要な人」となるのである。



 どうだろう。あなたは、そのような関係で誰かと結ばれていますか?

 人気や利害関係、表面的な損得を超えた部分で、関われている人が回りにいますか? あなたが尊敬する宗教指導者、スピリチュアル発信者のどこを見てますか?

 一体、どういうところが好きなんですか? もしかしたら、相手の人気であるとか実績であるとか、「何かを与えてくれるから」とかではありませんか?

 その人物のファンであることが「周囲に誇らしい」だけではありませんか?



 あなたは普段、人の「どういうところ」に注目するようにしていますか? どういうところを見て、あなたにとってのその他人の「位置づけ」を決めていますか?

 その作法と流儀が、あなたの人間ゲームプレイヤーとしての熟練度を示すことになります。

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