イエスの系図③ ~こんなご都合主義の系図、どうでもよくね?~

 アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。

 アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、ユダはによってペレツとゼラを、ペレツはヘツロンを、ヘツロンはアラムを、 アラムはアミナダブを、アミナダブはナフションを、ナフションはサルモンを、サルモンはによってボアズを、ボアズはによってオベドを、オベドはエッサイを、 エッサイはダビデ王をもうけた。

 ダビデはによってソロモンをもうけ、ソロモンはレハブアムを、レハブアムはアビヤを、アビヤはアサを、アサはヨシャファトを、ヨシャファトはヨラムを、ヨラムはウジヤを、ウジヤはヨタムを、ヨタムはアハズを、アハズはヒゼキヤを、ヒゼキヤはマナセを、マナセはアモスを、アモスはヨシヤを、ヨシヤは、バビロンへ移住させられたころ、エコンヤとその兄弟たちをもうけた。

 バビロンへ移住させられた後、エコンヤはシャルティエルをもうけ、シャルティエルはゼルバベルを、ゼルバベルはアビウドを、アビウドはエリアキムを、エリアキムはアゾルを、アゾルはサドクを、サドクはアキムを、アキムはエリウドを、エリウドはエレアザルを、エレアザルはマタンを、マタンはヤコブを、ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。

 こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である。



【マタイによる福音書 1章1~17節】



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 特に「ホンマかどうか調べてやろう!」なんて人でもなければ、この部分は読み飛ばすか、「ああそうなんだ」と事実として受け入れておくかになる。

 人は、『教科書』に弱い。そこに書かれてあることは無条件で受け入れ、疑わない訓練を子どもの頃に受けている。ましてや、「聖書」などという権威ある書物はさらに疑わない。日本ではクリスチャン人口が少なく、民族風土的に「合わない」部分があるので、聖書に書かれてあることが真実だ、と本気で思っている人の絶対数は少ない。なので、聖書のこの部分に関して、読むのに予備知識がないとただ「スゲー」だけで終わる。



 今から言う話は、実は調べれば誰でも分かることであるが、聖書を素晴らしい書物にしておきたい意図でもあるのか、聖職者が触れようとしない話である。

(中には、以下の情報を隠さず信者に開示した上で、なお信仰していこうとする筋金入りの教会もある)



 まず一行目。

「アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図」。

 アブラハムというのは、旧約聖書において「信仰の祖」と尊敬される偉大な人物であり、ダビデ王はこれまた偉大なイエスラエルの王である。つまり、「イエス様の先祖には、こんなすごい人たちが名を連ねてますよ!」というアピールである。

 しかし、アブラハムはいくら神の言いつけとはいえ実の息子を殺そうとし、本妻の恨みによって2号さんのハガルとその子イシマエルを追い出せとプレッシャーをかけられて逆らえず、それを実行している弱い男である。

 また、神様から燔祭の捧げものをある手順によって実行せよと命じられて、眠気のゆえか知らないが寝ぼけて、言われたとおりにしなかった(鳩を裂かなかった)ので、神様に怒られている。

 またダビデ王も全体像は偉大な人物というイメージだが、裸をのぞき見した女性に一目ぼれし、彼女に夫がいることが分かると、夫を戦争の最前線へ行かせ(たまたま夫はダビデの配下だった)、殺した男である。で、見事その女性を慰めるような格好で、宮廷に召し抱え妻としてしまう。

 だから、この二人は私個人の考えだがあまり「すごいぞ~」という宣伝にはならないと思う。むしろ、我々とそう変わらない「人間臭さ」のする人たちじゃないか?



 次に、傍点を振った4人の女性に注目。

 まずは、タマル。詳しい話をすると長くなりすぎるので要点だけ言うと、娼婦に化けて義理の父(元夫の父親)に近づき、関係をもつ。で、ちゃんと子どもまででき、それがイエスの血統へとつながる。

 次は、ラハブ。彼女は、娼婦である。タマルのように「フリをした」のではなく、本職。もちろん、ラハブは実は娼婦ではなかったのでは、とか実はイエスの血統に書かれている「ラハブ」とは同名の別人だ、とかいう説もあるが、決定打に欠ける。

 そしてルツ。彼女はモアブ人であった。モアブ人は、日本に置き換えれば「部落差別」に似ている。要は、ユダヤ人たちからは下に見られていた民族である。

 イエスの血統に、実に「娼婦のふりをして夫の父親と関係を持って子どもまで生んだ女」と「本職の娼婦」、そして「格下のモアブ人」が名を連ねている。

 4人目の「ウリヤの妻」については、前述した。ダビデ王が夫であるウリヤを間接的に殺してまで奪った女性である。



 みなさんは、ここのところをどう考えるだろうか?

 信仰の立場からは、いくつか考え方がある。



●選民思想があり、自分たちこそ一番みたいに思っているユダヤ人の高慢さを打ち砕くため、神がこの血統を祝福された。

●神の恵みは、どんな罪であれ拭い去って、恵みに変えてしまう。

●イエスの母マリヤへの誹謗中傷から目をそらさせるため。(婚約者ヨセフと関係していないのに子が生まれた。聖書には聖霊によって身ごもった、と書かれてあるが、キリスト教が完璧に揺るがない立場を築くまでは、やはり婚前交渉を疑われたであろう)



 もちろん、私はこれらの考えを否定しない。

 各人が信じたいように信じる権利がある。

 ただ、私には「説明としては苦しい」と感じるし、それ以前に「どうでもいい」。



 あと、聖書は都合の悪いことは隠し、都合がよいと思えば誤魔化しも平気でする。

 1章8節に「ヨシャファトはヨラムを、ヨラムはウジヤを」とあるが、ヨラムとウジヤの間に実は「アハズヤ・ヨアシュ・アマツヤ」の3人が抜けている。

 そして10節、ヨシヤのあとの「エホヤキム」がすっとばされている。

 これらは、きっと意図的なものである。

 なぜなら、すっとばされたやつらの共通点は「評判の悪い王様」、つまり悪王。

 それほどイメージが大事なのか。

 あと、もうひとつ数人省いた理由がある。



「こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である。」



●ウソこけ!



 つまり、人数あわせである。

 14×3にしておいたほうが、縁起が良いのだ。

 7は完全数。それに2をかけたら14。

 あと、「ダビデ」という名前をヘブル語アルファベットで書くと、順番数字で表記して4、6、4。足したら14。これも、縁起がいい。

 もちろん、ひとつの説に過ぎず、絶対確かだという理由付けではない。

 先ほど紹介した考え方のうち、


●神の恵みは、どんな罪であれ拭い去って、恵みに変えてしまう。


 これ言うんだったら、皆名前隠さなくてもよかったんじゃ?

 でもそれしたら、きれいに14代×3にならないからだろうな。



 要するに、イエスの家系(血統)は立派なのは見せかけだけで、実は問題だらけだということだ。

 ここで書いた情報をどう受け止めるかは、各人の自由である。

 もちろん、学問的に色々な研究もあり、どれが絶対正しいと言えず、きっと好みから互いに論戦となることは必至なので、私はこの情報が間違っている可能性があろうが最終「どうでもよい」という立場を表明しておく。



 私にとっては、「イエスはイエス」なのだ。

 系図とか、本人の外のものに箔をつけてもらわなくて結構。

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