イエスの系図② ~処女懐胎は事実なのか?~

 イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。

 母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。


  マタイによる福音書/ 01章 18節



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 今回の話題は、イエス・キリストの『処女懐胎』が本当かどうか、である。

 キリスト教を真剣に信仰されている方で、なおかつこのことは理屈抜きに「信仰心」で信じている、という方には今日の記事はおすすめできない。私は、別にこのことがウソだから信じるなとか、信じている人は間違っているとかそういうことを言いたいがために、ここからの話を書くのではない。

 ただ、それだけじゃないでしょ、こういう考え方もあるでしょ、ということを提示したいのだ。あちら側(信仰している側)からすれば、信仰していないこちら側の方が無条件に「間違っている」し、「真理が分かっていない」ことになるのだから、そこはお互い様だが。

 かつてはキリスト教を真剣に信じ、これ以外に真理の道はないし、神の子イエスを受け入れずに死んだらそれこそ大変だ、かわいそうだとまでマジで思っていた私だからこそ、今となって人よりよく見えてくる部分もあるのだ。そんな私だから、この記事が書けると自負している。

 間違っているという指摘としてではなく、「絶対」という思い込みを砕き柔軟に発想する可能性を与える、という意味合いから、ここからの記事を書いてみたい。



 まず、以下の文章をお読みいただきたい。



●聖徳太子は、10人もの人の話を一度に聞きわけた。

●一休さんは、「屏風の中の虎を追い出せ」と言って将軍様(足利義満)をやり込めた。

●アメリカ初代大統領ワシントンは、子ども時代に桜の木の枝を折ったことを正直に認めた。



 これらは、みな「ウソ」である。作り話である。

 きれいな言葉で言うと、「伝説」ということになる。

 なぜ、こういうウソの話が生まれるのか。



 それまで普通だったある人物が、何かのきっかけでブレイクする。

 誰もが知る有名人になる。

 その人の人気が続けば、人々の関心のポイントが変わってくる。

 最初は誰もが、その人が「なぜ有名になったのか」だが、その人の人気が安定してくると、次に人々が関心を持ち出すのは——



「いかにして、その人はブレイクするに至ったのか?

 どんな人生を生きてきたか? どんな幼少時代、少年時代を過ごしてきたのか?」



 そのような 「ビギンズ」「誕生秘話」に関心が行く。

 実際にそういうものがある場合、本人がきちっとしゃべる場合は、だいたいそれが残っていく。

 しかし、本人が何も言っておらず、謎の場合。これが一番やっかいだが——



●勝手にお話がつくられてしまう。



 あればよいが、ないと困るのだ。

 みんな、偉大な人物がどうやってそこまでになったのか、納得したいのだ。ないならないで、人々はそのニーズに答えて、色々無責任な「噂話」を生み出す。

 これは、つくった「犯人」に悪気はない。あくまでも、「その人がいかに偉大だったか」を言いたいという情熱と誘惑に負けての事。

 その辺は、寛大な心で受け止めたい。

 とはいえ、ケースによってはそれが盲信となり、その偉大な人物に惚れ込むほど、信じない者は間違っている、という考え方になる。

 今回の、イエスの処女懐妊に関しても、そのことが言えるのである。

 私が一番言いたいのは——



 見たんか~!



 ……である。

 ナポレオンが三時間しか寝なかったとか。

 ある高名な画家の描いた動物が、あまりに上手なので絵から抜け出したとか。

 見たんか~!



 聖書(新約聖書)には、『福音書』というものが4つ含まれている。

 福音書とは、イエス・キリストの生涯を描いたものである。

 それらの物語によって、イエス・キリストこそが人類の救い主である、と伝えることに目的がある。聖書学のお勉強になるが、4つの福音書とは——



 『マタイによる福音書』

 『マルコによる福音書』

 『ルカによる福音書』

 『ヨハネによる福音書』



 今聖書に載っている順番に書いたが、これは 「書かれた順番」通りには並んでいない。実は、マルコによる福音書が、一番最初に書かれた。

 次がマタイかルカのどっちかで、最後がヨハネ。 

 なぜ、二番目以降に書かれたマタイが一番最初?

 もちろん、教会側の都合である。

 マタイ福音書の最初には、読んでて頭が痛くなる 「イエス・キリストの系図」 が載っている。誰々は誰々の父……という文章が延々と続く。

 あれは、ワンちゃんでいう「血統書」のようなもの。

 イエス様は、そこらへんの馬の骨とは違いますよ。ただ救い主というだけでなく、ちゃんとこういう由緒ある立派な家柄に生まれたんですよ。と、そういうことが言いたいのだ。

 今の時代でこそ、生まれや家柄よりその人の能力や実力のほうを見てもらえるが、昔はそんな柔軟な考えはできなかった。家柄や血筋、身分制のもつ力が、圧倒的にすごかったのだ。

 だから、当時の人々にとって、イエスを救い主だと他人に納得させる上で、イエス個人がいかにすごかったか、を伝えるだけでは十分ではなかった。血筋、という太鼓判があって、はじめて人も納得するのである。

 激安の、聞いたこともない電気メーカーの商品よりも、「ソニー」とか「パナソニック」とかのメーカー品なら安心できるのと同じである。信用、というものがそこにはあるからだ。

 いい悪いではなく、当時は皆がそういう頭の構造だったのだ。

 つまり、マタイ福音書が最初なのは、系図が載っているから。ルカ福音書にも系図はあるが、載っているのが一番最初ではないので、導入としては弱いわけだ。



 さて、イエス・キリストがいかにして「伝説化」されていったか、考察してみよう。まず、イエス・キリストは、最初は普通の、ただのおっさんだったと思われる。

 それが、たった三年間ではあるが常識とは違うことを平然と群衆に説き、センセーションを巻き起こした。そしてその最後は、十字架上での壮絶なものとなり、人々の話題をさらった。



 ①イエス・ブレイクの初期段階 (ただの人)



 まだ、この時点ではイエスは有名になりたてのホヤホヤ、である。

 人物そのものよりも、「何やって有名になった人なん?」 に皆の関心がある。

『マルコによる福音書』は、もっとも初期に書かれた。

 だから、内容はほとんどが 「十字架事件が起こるまでの一週間の話」で占められている。イエスが元気な時の話など、比率としては多くない。

 さらに、マルコ福音書はお話の最初から、イエスがいきなり「大人」である。

 幼少時の話や、処女懐妊のお話などまったく載っていない。

 マルコ福音書での、イエスの描かれ方は——

 生まれる前から救い主だったのではなく、大人になって「覚醒体験」のようなものをしてから (具体的には、ヨハネという人物から洗礼を受けて、聖霊が降ってきた時)救い主になった(使命をいただいた)という視点で書かれている。

 つまり、ただのおっさんがある時を境に「救い主」と化したのだ。

 私は、このマルコの視点が一番本当に近いと思っている。

 この時期はまだ、有名とはいえただのおっさんの生まれや幼少時代など、世間にはどうでもよかった。



 ②イエス・ブレイクの中期段階 (すごい人・偉人)



 皆の中でイエスの人気が安定してきて、イエスが十字架の一件でブレイクしたことが周知の事実になってくると、人々の関心が別の方向へ向く。

「イエスってさぁ、そもそもどんな人やったん?」

「どんな親に育てられ、どんな人生を生きてきた人なん?」

 あまりにも、情報が少なかった。

 イエスが活躍したのは、たった三年。

(一年程度だったのでは、という説すらある)

 PCも録音機も出版物もない、二千年前当時。イエスのことをよく知る人物など、ほとんどいなかった。

 正しく伝える人がいないと、人々は皆の「知りたい」に答えるため、それらしいお話をつくる。でもそれは悪気があってのことではなく、善意からである。イエスへのあふれる愛(エゴが入っていてもカワイイではないか!)が動機なのだから。



 だから、マルコよりも後に書かれた 「マタイ」「ルカ」 両福音書にはじめて、イエスの誕生のことや幼少期の描写が現れる。それらは史実ではなく、創作である。

 処女から(エッチもしないのに)生まれる、というエピソードがあるのは、何もイエスだけに限ったことではない。偉大な王様とかにも、そういう逸話は結構ある。つまり、本当かどうかよりも「その人はフツーとは違ってすごいんだぞ!」ということを言いたいのが一番の目的である。

 イエスの人気が高まり、ひとつの宗教としての体裁を成してくると——

 救い主イエスが、「それまで普通人だったのに、神から召命を受けてから人が変わった」では都合が悪くなってくる。元は、「ただのおっさん」ではイメージが悪い。だから、「最初っから神に選ばれた人だった! 預言されていた救い主として生まれたのだ!」ということにしておきたい。

 そうして生まれたのが「処女降誕」という奇跡のエピソードである。



 ちなみに、「マタイ」と「ルカ」では、物語が全然違う。

 これは、マタイとルカがお互いを知らずに書かれたからで、「口裏合わせ」という小細工がきかなかった。

 ちなみに、聖書に載っているお話で、ヘロデ王が生まれたイエスを殺すために2歳以下の赤子を皆殺しにしたとか、当時の皇帝アウグストが住民登録を行うよう勅令を出した、という史実はない。



 ③イエス・ブレイクの最終段階 (神格化)



 もう、イエスが偉くなりすぎた。(世界一の有名人、と言ってもいい)

 人の中でも、ものすごい人、でも足りなくなってきた。

 人よりも偉くしようとすれば、次は「神」しかない。

 だから、神になった。

 ついに、キリスト教はイエスが「神の御子」というよりは——

 神そのもの、と主張するようになった。

 神そのものなのに、イエスという人間となってわざわざ地上へ?

 そのあたりの矛盾に辻褄を合わせるために、『三位一体』(父・子・聖霊は三つに見えて実はひとつ)という概念が生み出された。もちろん、生前イエスはそんなこと一言も言っていない。



 最後の福音書 『ヨハネ福音書』では、再び幼少期の物語が削除されている。

 系図もない。なぜか? 必要ないからだ。

 人ではなく神だから、幼少期にこんなすごいエピソードが! などと飾る必要がなくなった。

 ヨハネ福音書の一番最初の言葉 「初めに言葉があった」 以降の聖句は、イエスは神だ、ということを力説している。神だから、出生がどうだろうと別に構わないのである。由緒ある家柄だろうが血筋だろうが、人間を越えているのだから、全然意味がない。

 そういう意味で、同じ幼少時代のお話がないにしても、マルコ福音書とは全然意味合いが違う。



 いかがだろうか。

 いち人間が、いかにして伝説化(美化)されていくのか、お分かりいただけただろうか?



  有名になる

 → 最初はその人物がブレイクした理由や内容に興味が行く(十字架の死)

 → 落ち着いてきたら、何をしたかから「どんな人物か」「どんな人生を歩んできたのか」に焦点が移る

 → 情報伝達の未発達な古代では、情報が皆無な場合もある

 → で、さもありなんというエピソードがねつ造される

  (処女から、聖霊によって生まれたんだぜぃ!)

 → 評判が良ければ良いほど、良くも悪くも大げさなその話は「さもありなん」と世間に受け入れられ、広まる。

 → 世代をまたぐと検証もしなくなる。(教科書に載っている内容のように、最初から疑わない)

 → 世代を超えて、その人の存在が生き続けると、もはや「神」のような扱いになる。必然、 そのような人物が失敗したとか、とても愚かしいことをした、間違ったなどという類の話は、消滅する。たとえあっても、黙殺される。あるいはそこに何か意味があるに違いない、と深読みすることで逃げる。



 こうやって、ひとりの人間が完全無欠な存在となる。

 実際のイエスは、後先も考えないし反省もしない男で、この人物の在る所嵐が巻き起こっただろうと思われる。

 だから、一般的感覚でいうと 「問題だらけの人物だった」。

 でも、人のうわさと願望と勝手な解釈の力って、すごい。

 いち人間イエスを、神にまで押し上げちゃったんだからね!

 イエスを神だというのは、ある面間違っちゃいない。でも、それを言うなら、「イエスだけじゃなくみんな神」って言わなきゃダメなんです!



 だから、おそらく昔の覚醒者(聖者、と言ってもいい)は——

 山奥にこもった。世間とあまり接触を持たなかった。地位、名誉、財産。それらを求めず、この世の人生ゲームを積極的に楽しまなかった。

 それはきっと、この「伝説化の構造」が分かっていたから。

 どうなるかが、読めたのだろう。自分という存在が誤解される、と。

 極端に美化されるか、その反動で極端に迫害されるか。

 当時の文明レベル、人類全体の精神的成熟度レベルでは、聖者が全面的に表舞台に立つのは時期尚早、と考えたと思われる。

 そんな中、イエスだけが冒険的で無鉄砲だった。案の定、十字架にかかった。



 処女懐妊が本当だったかどうかなんて、どうでもいい話。

 気にする人に逆に聴きたいのですが——

 それが真実でないと、イエスの素晴らしさに傷でも付くのですか?

 イエスの真価は、彼の偉大さは、そんなことがどうかで揺らぐような、ちゃちいものなんですか?


 

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