あとがき

あとがき ~それでもイエスが好きなんだ!~

 長い連載にお付き合いくださった方、ありがとうございます。

 書いている筆者自身、この書の内容が一般受けしないことは分かっています。

 この書の読者様であっても、ここに書かれてあるすべての記事に共感! なんてことはほぼないだろうと思っています。

 何せ、書いている筆者自身が、書いていて時々自分で「マジか!」とツッコミを入れるくらいなのですから。



 筆者の執筆のスタイルは、スピリチュアルで言うところの「チャネリング」という手法に近いです。シャーマニズムと言ってもいいかもしれません。

 芸術家や作曲家によく見られますが、「あ、今神様が降りてきた」という状態です。何かに取り憑かれたように、湧き水のようにこんこんとインスピレーションが湧き、思考ほぼそっちのけで書きなぐる。

 なので、書いたあと自分でも「それマジかよ~」となることが多いのです。だから、受け取って書くだけの私ができることは、「降りてきた内容を自分で勝手に変えたり薄めたりしない」ということです。これだけは、全力で守った自信があります。そのおかげで、超一般受けしないであろうおかしな書ができました。



 これは、真面目にクリスチャンされている方には、大変失礼な内容となっていることは重々承知しています。これをネットで、小説投稿サイトで公開するからには、あらゆる方に読む可能性が生じます。そういった真剣にキリスト教をされている方との間で波風が立つ可能性は大いにあります。(すでにいくつかありました……)

 そんなリスクを負いながら、なぜ私はこのような書を世に問うのか?



●問題提起しなければ、何も前に進まない。



 明らかに宗教は迷走しています。

 昔なら皆神を信じやすかったでしょう。どんなおかしな理屈でも(イエスの十字架による死の贖いもそうですが)、感動すれば、心が動かされすれば信じました。

 でも今、科学や文明水準が上がって、宗教は昔のような信じさせ方が通用しなくなりました。今、そこらへんを歩いている大人のだれかを捕まえて、「神を信じましょう」と伝道してみなさい。まず言われるのは「証拠を見せてくれ」でしょう。

 神が存在する、と納得できる証拠。証明してみせてくれ、それができないもんをこの科学の時代に信じるほどばかじゃない——。

 もちろん、心から信じている側には、「神を信じるとはそういうことじゃないんだ」と、腹立たしく思うことでしょう。でも、いくら「信じるタイプの人」が頑張って活動しても、この世界は変わらないでしょう。

 そもそも、信じれる人と「証拠を見せろ」という人とは、人種が違うのです。いつまでも平行線です。



 だから、既成のキリスト教の理屈ではもう限界なんです。

 この書は、真面目に信仰していたのではまったく光を当てられなかった、気付けなかった側面を遠慮なくえぐっています。その分、嫌われやすい内容にもなっていますが、それこそ望むところです。怒らせるにせよ何にせよ、大事なのは「皆に考えるきっかけを提供すること」です。

 人間は楽をしたがります。今までそうだった常識に関して、ひっくりかえすには相当のエネルギーと労力が要ります。皆、心の片隅では何か違う、と思いながらも、慣れ親しんだ論理に身をゆだね、神とイエスを讃えて祈ってハイになっているのです。

 キリスト教が当たり前に近い欧米ならまだしも、日本で同じことをやっていてもいずれ教会は衰退します。なくなることはないにしても、世界を変える力は持たないままでしょう。



●あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。

 そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。

 今から後、一つの家に五人いるならば、三人は二人と、二人は三人と対立して分かれるからである。

 父は子と、子は父と、母は娘と、娘は母と、しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、対立して分かれる。



【ルカによる福音書 12章51~53節】



 もちろん、イエスは人類に「ケンカせよ」とすすめているのではない。

 この世界が完璧だったら、何も傷付けずに守ればいいだろう。

 ただ、どう考えてもこの世界は不完全であり、もっと言えば矛盾に満ち、理不尽があふれかえている。イエスが言ったのは、人々が面倒くささのゆえに、そういうものに目をつぶって毎日を漫然と生きるのはやめよ、ということだ。

 何かが間違っているからこそ、そ~っと大事に扱って保存なんかするな、ということだ。剣を投げ込み、分裂させてこそ「問題点が浮き彫りになり、解決への道筋ができる」のである。

 平和を壊せ、ではなく「偽りの平和なら壊せ」ということ。

 私は、そのための剣を投げる。あえてかき回すのである。

 さて、筆者がそのせいであなたと「仲違い」するのか、それともあなたが「新しいことを考えるきっかけとでき、筆者に感謝する」のか、それは分からない。

 どっちでもいいが、人情的には後者であることを願っている。



 一応、これにておしまいとなるが、まだここで触れていないイエスの言葉もある。気が向けば、随時新たに記事を書き加えるかもしれない。

 では、また近いうちに。See You Again!




 2019年12月4日  賢者テラ 

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