誰を恐れるべきか、教えよう ~神ではなく、自分の意識~

 友人であるあなたがたに言っておく。

 体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない。

 だれを恐れるべきか、教えよう。

 それは、殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方だ。

 そうだ。言っておくが、この方を恐れなさい。



 ルカによる福音書 12章4~5節



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 宗教的には、「人より神を恐れよ」というメッセージである。

 人は、目に見える脅威を恐れる。

 実際に迷惑をかけてくる人。危害を加える人。

 自分の人生を、気持ちひとつで左右できる人——

 でも、それらをすべて含め、「神」が創造した。

 神こそが、すべてを統べ治めている。

 だから、人や現象などを恐れていて、どうする?

 それらをつかさどっている神のほうをこそ、意識したほうがいいんじゃないか?

 だから、神を信ぜよ。

 神を信頼すれば、あなたも神から信頼される。

 目の前の現象を何とかしようとするよりも、それを作り出している神を動かす方が早い。



 とどのつまり、「神を信ぜよ」ということであり、ベタに言ってしまえば、「神への信仰の正しい方法をお伝えできる、キリスト教へどうぞ!」という宣伝でもある。

 残念なことに、聖書に載っているのは、純粋なイエスの言葉であることは少ない。

 聖書には、以下のタイプの言葉しか残っていない。



 ①本当にイエスが言ったが、誤った文脈で用いられ、違う意味に解せられるもの。

 ②イエスが言った正味の言葉に、教会の都合のために言葉を付け足したり変えたりしたもの。

 ③イエスはまったく言っていないが、言ったことにしてしまったもの。



 ①が多い。ただ、発想的に進み過ぎた覚者イエスの言葉の意図を弟子たちが汲み取りきれず、イエスを自分たちより「偉くてスゴイ」存在としてあがめる、という誤った観点からイエスの言動を振り返り解釈しようとしたので、結果誤解されることとなった。

 ②も時々ある。③も、意外だろうが数箇所ある。

 今回の聖書箇所は、①に当たる。

 確かに、イエスはこの言葉を言った。

 しかし、ある考えに誘導させる仕掛けがしてある。

 上記の聖書の文章を読めば、読者はまず間違いなく「このお方」を「神」と理解する。キリスト教文化を背景としない我々日本人でも、まず神の事を恐れよと言っていると読める。だったら、キリスト教文化圏である欧米の人などは、なおさらだ。

 でも、本当は、ここは「このお方=神」ではない。 

 


 イエスは、本当は「何を恐れろと言いたかったのか?」

 実はー



●自分

 つまり、あなた自身を恐れよ



 そういうことを言いたかったのである。

 宇宙には、あなたしか存在しない。

 あなたが宇宙の王であり、神。そして(限定的ではあるが)創造主。

 だから、あなたが生みだした外の幻想を恐れるとすれば——

 映画監督が、自分の撮った映画が怖くて、チビってしまうようなものである。

 まことに、滑稽である。

 自分を恐れよ、ということは文字通り理解すると味わいが浅いものになる。

 自分をキャアキャア怖がっても仕方がない。



●神として、「存在意識」というすごいものを持っているのだ。

 ゼロポイントより、すべてを生み出すことのできる力を持っているのだ。

 だから、心して使えよ。

 せっかく使うなら、人生ゲームが楽しくなるように使え。

 


 親が、子どもに自転車を買い与えた。

「気を付けて使いなさいよ」

 楽しいことにも使え、役に立つ代物ではあるが、時として人を傷つけたり、自分も不幸になる可能性もある。(事故など)

 イエスは、自らが神であると同時に、他者もそうだと分かっていたので——

 意識、という名のハンパなく強力なおもちゃ(使いようによってはシャレにならないとんでもないことも可能)というギフトをもらっているのだから、大切に使え。気を付けて使え。

 そういう、アドバイスだったのだ。イエスの元の言葉は。

 それを、「皆が神」だという概念に危険性を感じた当時の人の手によって、あわてて「お前たちを含め宇宙を創造した、偉大な唯一絶対神を恐れかしこみなさい。が高いぞ、哀れな罪人(つみびと)たち!」という、宗教権力に都合のいい内容に読めるようにしてしまった。



 あなたが神なので、あなたが「自分はダメな人間」「欠けのある人間」だと本気で思えば……宇宙の王たるあなたの思いのとおり、それが実現する、

 あなたのその思いが強化されるような事実が、どんどん起こっていく。

 でも、あなたが自己受容できたら。

 外側の条件によってではなく、無条件で「受け入れる」ことができたら。

 自分をいじめることをやめたら。

 宇宙の王たるあなたが「自分をOK」とするので、世界はそれにひれ伏す。

 ただ、この世界は時間性という幻想の制約を受けているので、魔法のように一瞬には変化しない。(変化はただちに始まるが、肉眼という原子分子レベルに比べたらマクロすぎる視点では、ほぼ変化していないように見える)その他にも、いくつかのゲーム上の制約(それを述べていたらこの記事は途方もなく長い書物になる)も絡んでくるため、エゴの思い通りに物事が展開することはまれである。



 新車を買えて喜んでいても、喜んで調子に乗って運転していて事故を起こして人でも死なせれば、喜びの世界は一瞬にして暗転する。

 あなたはもとの正体が神であるがゆえに、恐ろしい力を持っている。

 ただ、神である自覚を封印している分、コントロールに難があり、時としていい結果ではない事態も引き起こす場合がある。

 だから、オレもお前も神なんだし。

「意識」という武器をうまく使って、いい夢見ようぜ!

 そういう激励の言葉を、イエスは言いたかった。


 

 友人であるあなたがたに言っておく。

 体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない。

 だれを恐れるべきか、教えよう。

 それは、殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方だ。

 そうだ。言っておくが、この方を恐れなさい。

 謎かけのようにいったが、それはあなた自身だ。

 あなた自身だけが、自分を地獄に投げ込むことができる。決して他人ではない。

 だから、あなたが「意識という賜物」の使い方を誤ってとんでもない事態を生むことを恐れなさい。しかし、それを逆手にとれば、あなたはあなた自身の意識の力で、幸せを生み出すこともできる。

 それが、「人生はゲーム」であると言われるゆえんだ。



 ま、せいぜいきばりなはれ。

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