わたしはアルファであり、オメガである① ~あなたは人としても永遠~
神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」
わたしはアルファであり、オメガである。
最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである。
【ヨハネの黙示録 1章8節、22章13節】
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悟り系スピリチュアルでよく言われるのが、「あなたは(本来は)人間ではない」 である。
(ここでは、ワンネスと
あなたは、田中何々佐藤何々という名前をもった 「個」 だと自分のことを思いこんでいるが、実はそれが「この世を体験するための乗り物」であり、100年そこそこもつかもたないかという「一時的なもの」で、プレイヤー意識なるものはその乗り物をとっかえひっかえしている。
こういうスリチュアルピメッセージの長所は、「意識の拡大」を促すところであろう。この広い宇宙で、自分というちっぽけな存在の内側だけが自分の持っている世界だと思いこんでいたのが、実は今の自分は幻想を味わうゲーム上の「方便」に過ぎず、本当はその大元である「
「あなた自身が神である」という言葉を、いくつかの悟り系スピリチュアルのメッセージで聞くことがあるだろう。まさに、このことを言ったものである。
でもまた、今のあなたは本当のあなたではない、というメッセージには短所もある。確かに自分はどうせ、自分なんてと思いすぎ、とんでもない失敗や思い出すのも辛い体験を背負っている人には、心の重荷が軽くなる考えかもしれない。
しかし——
●幻想だと思うことで、自分を軽んじる部分も生まれる。
解放される一方、真剣勝負をしなくなる。
自分もこの世界も幻想だと思うことは、救いにもなる一方肩の力が抜けすぎることもある。
スーパーマリオをやっているあなたは、自分がマリオではないし、たとえマリオがミスで死んでも、本当の自分は死にはしないということが分かっている。だから、気楽にプレイできる。
でももし、あなたが自分をゲーム内のマリオだと思い込み、クリボーやカメに当たれば死に、ジャンプを失敗して穴に落ち込んでも死ぬのだと本気で思ったら?
おそらくあなたは、自分の命のかかったそのゲーム、超真剣になるはずだ。
その本気度は、間違いなくゲームだと思ってやる時の比ではないだろう。
最近のスピリチュアルに多い「人は死なない」「私たちは人間ではなく、本来は神」「この世は幻想」というメッセージの短所は、「大丈夫」という罪作りなキーワードに洗脳されて何でも良いように解釈し、外の世界と戦わなくなり、そうして獲得した状況を「これこそが最善だった」と思うことである。
牙を失った狼にされる。
人間、死んだら終わり。そういう区切りがあると本気で思えるからこそ、今を真剣に生き大事にする緊張感が生まれる。でも「死はない」「意識は永遠に生き続け、あなたが死んでも大元の意識には何の問題もない」と本気で思えたら? おかしな安心感は、悪い意味であなたの欲を無くさせる。ハングリー精神や上昇志向を失わせる。
だって、「今に足る」ことを間違った意味で習得してしまうから。
今すべてがもうあり、何も不足はないなんて本気で思える境地は、そう簡単に付け焼刃で得られるものではない。「難しいとするから本当に難しくなる」という考え方もあろうが、やはり難しいものは難しいのだ。
人にウケがよく、聞く者に心地が良いのは「簡単だと思えば簡単」という教えだろうが、私はそんな確実でもないことを言ってまで適当な夢を見させたくはないので、正直に「簡単ではない」と言おう。
すべてが足りてると本気で思えるなら、それは本当に覚者か、自己暗示による思い込みか、まったく恵まれた環境にある人くらいなものだろう。
悟り系スピは、どうも 「田中誰それ」 という個の観点は好かんらしい。
「幻想」 とか 「本当のあなたではない」 とか 「乗り物」 と言って、どうもその価値を低めようとしている。そんなことない、と言われるかもしれないが、皆が皆ちゃんと深いところまで察してくれるとは限らない。表層的な理解だと、そう受け取ってしまう人だって多いだろう。
輪廻、という発想もまた、今の「個」の価値をビミョーなものにしている。
だって、今のあなたは長~い長い生まれ変わりの連続の果てにいる、何億番目くらいの走者なんでしょ?で、あなたが死んだら、その先も何世代にもわたりまたバトンは受け継がれていくのである。(ちなみにキリスト教は輪廻を認めていない)
いうなれば、本物は輪廻を利用しているプレイヤー意識で、個としてのあなたなど「一時的」だというわけだ。だから、死んだらあなたは終わり。先祖供養などということをしても、死んだ当人は生まれ変わって幼稚園生をしてはしゃぎ回っているかもしれない。
直線的な歴史観、時間意識においてはこう考えるしかない。
●生まれる前、あなたという「個」は存在していない。
死後、あなたという「個」は存在していない。
ただ、あなたの正体が「もっと大元」という視点においてだけ永遠。
しかし私は、あなたという存在は幻想ではない、と言おう。
時間というものに関しては、冒頭に提示した聖書の言葉が的を射ている。
神のことを、何と言っている?
「今おられ、かつておられ、やがて来られる方」
これは実は、「神」だけの特性ではない。
すべての存在に当てはまる。もちろん、この世キャラである人間にも。
私たちは、自分の所属する世界の時間の流れしかないと思っている。
しかし実際には、あらゆる可能性の「私」が並行宇宙(パラレル・ワールド)において存在する。それだけではなく、究極にはすべてに前後という順番などなく、『同時』だとしたら?
過去も現在も未来も、つねにひとつであり、常に同時に起こっているとしたら?
すべての物事が「今」においてもうすでに起こっていて、今起こっていて、まだ起こっていないのだとしたら? あなたが過去に生まれて、今生きていて、死を迎える瞬間が常に起こり続けているとしたら?
分かりにくい話かもしれないが、あらゆる縦横の時間軸がすべて同時にアクティブであるということだ。私たちはその可能性のひとつしか見れないので、過去はもうなく今だけがあり、未来はまだないと捉えてしまう。
この、「すべては永遠に起こり続けている」 という発想を採用した時——
●大元の意識だけが永遠で、あなたは有限の一瞬に過ぎない、という考えは砕かれる。あなたという「個」さえ、どこかの次元を常に使ってでも永遠に生き続けることになる。
キャラとしてのあなたさえ、幻想どころかスピリチュアル的に確固とした存在 なのだ。この世界で「体験」をするために、大元の意識が着替える「服」程度の扱いはできなくなる。
だって、「あなたの無限の可能性 つまり誰と結婚したかとか、どの学校に行ったとかの横軸の可能性だけでなく、一分前や5年後といった、縦軸すらも全部が常に繰り返されているわけだから。究極な話あなたはこの世界から消えようがない、ということになる。
個としての、プレイヤーキャラとしてのあなたは、一時存在して消える泡ではなく、アカシック・レコードに刻まれる「れっきとしたあなた」なのだ。
あなたは、幻想などではない。プレイヤー意識が着替える肉の服でもない。
あなたは永遠にあなた。
ここがややこしいところだが、もちろん過去にあなただった前世の記憶をもって、今の別人をしている自覚をもつケースだってあるだろう。その場合は、生まれ変わったという自覚をもつその人もあなたであれば、どこか別の時間軸で依然として存在し続けるあなたもまた「あなた」なのである。
こういう話は、追求しだすとどんどん本質から外れる。
どうも、ダウンロード(チャネリング)元はここらで話を終えたいみたいだ。
結局は、何事も「バランスが大事」ということかな。
あなたは永遠の魂の存在、今の肉体の生はかりそめの姿で、本当のあなたではないとすることは、人生の悩みの深刻さからあなたを解放するかもしれないが、逆にその気楽さから真剣になるべきところをおろそかにしたりする弊害が起こることがある。
『背水の陣』ということわざがある。それと同じで、人生は限りがあると本気で思うからこそ、真剣になれることがあるのだし。そのせいでものすごいエネルギーを発揮できることもある。
スピリチュアルの理屈で安心した人は、良くも悪くも「余裕」なのである。永遠だし、宇宙ではすべてが「何の問題もない」のだから、ここ一番での瞬発力において一般人に劣る。
偉業を成して世に名を残すのは、スピリチュアル実践者よりも一般人の方だと思う。生きる覚悟が違うからである。
たとえ良いものでも、自分の今の精神ステージに合わないメッセージを仕入れてしまったら、それはあなたを追いこんだり、あるいはあるいは甘やかしたりする。
スピリチュアル・メッセージは何でも有り難がってはいけない。
あなたにそれを「扱いきる力量」がない場合、かえって毒になることがあるからだ。言い訳や自己正当化、甘えの隠れ
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