神はあなたを誘惑などしない ~本当の心地よさとは何か~

 誘惑に遭うとき、だれも、「神に誘惑されている」と言ってはなりません。

 神は、悪の誘惑を受けるような方ではなく、また、御自分でも人を誘惑したりなさらないからです。

むしろ、人はそれぞれ、自分自身の欲望に引かれ、唆されて、誘惑に陥るのです。

そして、欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。



 新約聖書 ヤコブの手紙 1章13~15節



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 スピリチュアルの世界で、『心地よさを選ぼう』というメッセージがよく口にされるようになって久しい。私はこのことについて、ずいぶん前から否定的な意見を述べてきた。

 正確には、これが 「間違っている」と言いたいのではなく、「皆心地よさの意味を誤解している」ということが指摘したいのだ。何をもって「心地よい」とするのかのレベルが低いのだ。



 だいたいにおいて、「心地よい」という言葉で何を連想するだろうか?

 ふかふかのふとん。快適な空間。ストレスのない、解放された軽い心持ち——

 そのように、分かりやすく「感覚的・体感的・気分的」な範囲であることが多い。言い換えると、「その人にとって一番都合がよい(好ましい)状況」が選択できることであり、そのように在りたいと願うあなたの欲求が阻害されないことを指す。



●気分よくいること=あなたが心の願う通りの状態でいれること。



 幼い人にとっては、ぶっちゃけ「心地よいこと=ラクできること」であると言っても過言ではない。



 だから、心地よさを大切にしよう、という話はどんなケースで使われるかというと、だいたいにおいて——

「自分がしたくないことはしない」「ムリをしないで、イヤなことはイヤとちゃんと意思表示する」という流れの話に、必然的になる。

 だから、スピリチュアル実践者のブログなんか読むと、「今日、今までガマンしてやってきたことをすっぱりやめました! やっと、心地よさを選ぶことができました! ホント気持ちいい~♪ という記事があったり、「仕事のためだから、と我慢し続けた人間関係に、やっと終止符を打てました。今まで、どうしてこれができなかったんだろう? やれてみれば、こんなラクな世界になるんだということに感動し、ビックリしています~」だとか。



 まぁ、大変結構なことではある。

 でも、これは「どんな時にでも、例外なく心地よさを選べばうまくいく、という真理」にまで格上げするべきではない。そうすればうまくいくこともままあるよね、程度のこと。

 全員がそんなこと実行したらどうなるか、考えただけでも分かるよね。



 だから、これを心の片隅に記憶していてもらいたい。



●この二元性世界は、もぐらたたきゲームである。

 あなたが心地よさを選び、それを押し通せていい気分になれた場合——

 あなたの知らないところで、どこかが我慢している。

 あなたのその心地よさを支えるために、地球のどこかで何かが頑張っている。

 


 決して、心地よさを選ぶなとかいう乱暴なことは言わない。

 ただ、そこで「自己完結しないでほしい」ということ。

 自分の内側で、すべて完結しやすいのだ。「私が心地よさを選ぶ決断をした。その結果、(私のその功績により)人生が上向いた。いいことが起きてきた。幸せになった」と思う、その帰結の仕方をやめるということ。

 あなたのその心地よい状況は、あなたの外側の色々なもののおかげなのだ。

 それを忘れたスピリチュアルは、地に堕ちる。

 分かりやすい単純なたとえを出すと、あなたが休みの日に遊園地に行きレストランで食事をとり、「楽しかった~」と言う時。その裏で、仕事に出勤し遊園地でレストランで労働に従事し、時には辛い思いもして働いた従業員がいたからこそなのだ、という視点。



 筆者は活動初期に、「一人ひとりが神であり、宇宙の王」 とメッセージしてきた。それは今でも間違っていると思っていないが、当時にはやはりTPOがあって言ったことだった。

「自分がキライ」「自分に価値なんてない」という自己イメージの人が少なくなく、そこを何とかすることがスピリチュアルの取り急ぎ取り組むべき課題だと感じたので、極端だが「自分を神だと思え」くらいに言うことが、この場合適切であった。

 スピリチュアル界でそのような「自己肯定」のメッセージが流布して、もうだいぶ年月も経った。

 その成果か、今ではスピリチュアルに触れる人の中では、比較的よい自己イメージが持てる人が増えた。でも、今度はその揺り戻しか「必要以上に良いイメージを持ち過ぎた」人も出てきた。

 


「心地よさを選べる」ということも、裏返せば「自己イメージを良く(高く)もてている」ことの副産物なのだ。でないと、「私にその資格はない」と恐縮したり遠慮したり、あきらめたりするから。「じゃ、遠慮なく」と素直に受け取れるためには、自分がそれにふさわしいという意識の前提が要る。

 でも、自己イメージを高く持てというメッセージに甘やかされすぎて、弊害が起きてきた。それを象徴するのが、冒頭に挙げた聖書の言葉である。



「誘惑」という言葉が使われているが、皆さんあまり良いイメージはないだろう。

 確かに口には甘いが、いざのどを通ってお腹に入ってしまうと、苦い。

 つまり、刹那的には快楽であるが、まわりまわって結局はその人のためにならない、という種類のことを「誘惑」という言葉で表現する。人間は弱いので、時としてこの「誘惑」を、心地よさとすり替えて考えることがある。



 実際は、自分が弱さに負けている、ラクなことに逃げようとしているだけなのに、「心地よさを選ぶ」というメッセージを利用して、自分がさもよい選択をしているというように自分を誤魔化すことで、自己正当化している。

 積極的な攻めの意味で「心地よさ」を選んでいるのではなく、あくまでも自分を守るためだけのために、心地よさという口当たりの良い言葉を盾にして、ラクをしようとする人がいる。



 キリスト教の表現では、このことを「神に誘惑されている、なんて言うなよ」となっている。

 すべてのことは神の起こす最善、ならば目の前のこれ(例えば妻のある身で、女子高生に5万くれたらヤラせてあげるよ、と提案されている状況)は、神が与えたもう状況では? 

 表面的に「いけないこと」ととらえず、この体験からも何らかのことを学べ、ということかもしれないじゃないか。何事も体験だ。体験なくして、人は成長しないではないか! うん。

 ……そう考えて、関係をもってしまったとする。ちょっとたとえとしては極端だが。



●あきらかに、アカンでしょ。



 スピリチュアルで深くものを考え過ぎる人にありがちな、自己正当化パターンである。だから「視点を変えてものを見る力」って、人によっては悪用する。

 未成年との淫行はあきらかに良くない。ただ、変に見方を変えたら「今起きているこのことにも意味があるかもしれないから、身をゆだねてみよう」みたいな、歪んだ用法にもなる。

 今日紹介した聖句を、キリスト教風でなくスピリチュアル向けにすると——



●心地よさを、何でもかんでもひとくくりで「良いもの」と考えるべきではない。



 あなたが 「心地よさを選ぶ」 と口にする時、そこに本当に誤魔化しはないか?

 ただ楽な道を取ろうとしてるに過ぎないことを、さもスピリチュアル的にちゃんとやってる風に言い換えていないか? 格好つけていないか?



 私は長年の探求で、「心地よさ」については自分なりの落としどころを得た。

 心地よさとは、自分の奥深くからの (抽象的には魂からの)納得を得ることであると。この場合気を付けないといけないのは——



●奥深くの納得は、必ずしも表向きの快不快や、都合のいい悪いが関係しないこともある。



 他人の目にも、「どう考えても幸せじゃないだろう、喜べてないだろう」という状況でも。本人にとっても、「辛い、苦しいことは否定できない」ような状況でも。

 それでも、その選択をしたことが「分かりやすい心地よさ」を逃したとしても、これで後悔なくむしろ本望、という芯の強い落ち着きを得ることがある。

 要するに、皆が言う「分かりやすい心地よさ」に関しては、もちろんあるに越したことはないが、それが第一ではないということ。

 たとえそれを犠牲にするとしても、奥深くの納得を優先した結果、はた目には「自虐的」と見える選択をすることがある。「心地よさを選んでないじゃん。なんでそんな苦しいことわざわざするの?」と不思議がられる。

 でも実は、それが「表向きな快」よりも値打ちのあるものを得ることに繋がる。

 それは、たとえるならまるで台風の目のようである。

 周囲はものすごく荒れていても、その中心は凪いでいて静か。



 スピリチュアル的に不器用な人は、その逆をやる。

 台風とは逆で、その外側が静か。他者評価としても「うまくやってるなぁ、幸せそうだなぁ」と見え、本人も自意識としては「心地よさを選べて、自分はよくやれている」と思える。

 でもそれは、実は内側が決して安定などしていない実態を、誤魔化そうとしてるだけ。その現実から目を逸らそうと心地よさに逃げているだけ。

 もちろん台風のたとえなど使わなくてもいいような、外も内も平和でハッピー、というのが一番理想的なんだろうが、このドラマ追求型劇場世界では、なかなかそうはさせてくれないようだ。

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