聞きたい話を聞く権利、聞きたくない話を聞かない権利

【パウロ、若者を生き返らせる】


 週の初めの日、(集会において)パウロは翌日出発する予定で人々に話をしたが、その話は夜中まで続いた。わたしたちが集まっていた階上の部屋には、たくさんのともし火がついていた。

 エウティコという青年が、窓に腰を掛けていたが、パウロの話が長々と続いたので、ひどく眠気を催し、眠りこけて三階から下に落ちてしまった。起こしてみると、もう死んでいた。

 パウロは降りて行き、彼の上にかがみ込み、抱きかかえて言った。

「騒ぐな。まだ生きている。」

 そして、また上に行って、夜明けまで長い間話し続けてから出発した。

 人々は生き返った青年を連れて帰り、大いに慰められた。



 使徒言行録 20章7~11節 (理解に不必要な言葉を一部省略)



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 パウロというのは、キリストと出会ったこともないくせにイエスを『十字架で死に、人類の罪を身代わりとしてつぐないに来た、神の子であり救世主』という洗脳を全世界に施した張本人である。

 別に、悪口ではない。この世ゲームの展開上、起こるべくして起こったものであり、それ自体何の問題でもない。ただ、この次元での彼の人生はそういう流れだったというだけ。

 まぁ何せ、聖書の情報を読む限りでは、パウロはこと「弁論(スピーチ)能力」においては超一流だったらしい。



 パウロは、信者同士の集まりで、お話会を開いた。

 この時代、今ほど交通機関が発達していないので、一度遠方への旅行のためその地を離れるとなれば、数年は戻ってこれない場合も多い。ゆえに、パウロも 「この地の友人たちとも、数年は会えないだろう」という名残惜しい思いも手伝って、トークも熱を帯びた長めのものとなった。

 さて、そこにあまり気のりしていない一人の青年がいた。

 親にでも付き合わされたのか、あまりにもパウロの話が長いので、退屈してきた。

 どんなに話術に長けた人物の話でも、興味の対象となり得ない場合何の価値もない。必然、青年は眠たくなった。

 ここがちょっと不思議なところだが、この青年はわざわざ窓際にいたという。

 そして、眠くなりフラフラして、三階から下に落ちた……らしい。



「この青年、危機管理能力なさすぎ!

 生存本能薄すぎ!」



 普通に考えたらおかしな話だが、真実だという保証は皆無なのでまぁいいか。

 で、えらいこっちゃということで落ちた青年を見に行ったら、死んでいた。

 そこでパウロは、イエスがしたような奇跡の力をもって、青年を生き返らせたようなことが書いてある。ここでの単純な読み方は、パウロ先生すごい! そして愛がある! せっかくの神の御言葉にいい加減な態度で接した不届きな青年をも、パウロ様は寛大な心でお救いになられた!

 ここはだいたい、クリスチャンにとっては 「パウロ先生すげー!」 ってな感じで信者のパウロへの信頼を強化することで、より一層信仰を高めるためにある。

 あと、神の言葉というものに対しての、人間の在るべき姿勢を教える。決して「自分なり」ではいけないと。そして、例え人の側に落ち度や失敗があっても、神(イエス)はゆるしであるから、お助けになるという神の慈悲(愛)を教える。 



 筆者は、ここはまったく違う解釈で読む。



●聞きたい話を聞く権利。

 聞きたくない話は聞かない権利。

 


『ヨソはヨソ。ウチはウチ』の法則である。

 きっと、青年は親か誰かの都合でしぶしぶつれてこられたのだろう。

 青年を連れてきた側は、彼がキリスト教に大して興味がないことは百も承知で、でも「もしかしたら、これで興味を持つかも?」という引き入れたい望みをもって、良かれと思って連れてきたのだろう。

 でも、それこそが「思いやりの名を借りた押しつけ」でありエゴなのである。

 興味が大してない上に、話が長々と続くので、そりゃ眠くもなろう。

 結果、悲劇が起こった。

 これは次のことを象徴的に表している。



●聞きたくない相手に「正しいから」という理由で強制的に何かを吹き込んでも——

 ろくなことになりませんよ。悲劇が起こるだけですよ。



 この青年にだって、聞きたいことを聞く権利があり、聞きたくない話は聞かない権利がある。

 でも、連れていく側が日ごろお世話になっている人物か、保護者の立場に近い誰かで、断れなかったのだろう。そして絶対パウロ先生の話はこの子のためになる、と思ったのだろう。

「あなたの……ためだから」

 昔の外為オンラインのCMみたいだ。ダイエットしている友達のために、パフェを代わりに食べてあげる(それをぶんどると言うのだよ)、みたいな。



 先ほど挙げたふたつの権利が守られていたら、青年は死なないシナリオだったかもしれない。

 そして、パウロの側、すなわち「話す側」にもふたつの権利がある。

 発信する以上、不特定多数に伝わるのは避けられない。

 その場合、当然相手の好みに合わなかったり、聞きたい内容ではないこともある。

 その不可抗力に関して、責めを負わない権利。

 思想信条の違いに基づく「批判」に、無理に取り合わなくてもいい権利。

 そういうリスクはあることも承知で、それでも「聞きたい人」のために堂々と発信する権利。聞く側は文句を言う前に、賢くなれば済むこと。

(情報の取捨選択能力をつける。文句を言いたくなる話と分かっているなら最初から触れない賢さ)



 よく、スピリチュアルなブログなんかでも、常連的に批判する人がいる。

 そんなにイヤなら来なきゃいいのに、来る。

 よく、それは 「興味があることの裏返し」だとか言われるが、そんな「好き」などありがたくもなんともない。来るな、ってカンジ。

 この手の人、つまりイヤなのに見ずにはおれない、ってのは情報の取捨選択能力が著しく低い、って話だ。その根本には「素直じゃない」ってのがある。素直じゃないから、あまのじゃく的な選択をする。嫌なものにあえて突進していく。

 頼むから、何事も同じ楽しむのなら「健全に」楽しんでほしい。

 凶器を忍ばせて、AKBの握手会に行って問題を起こすような人にはなるな。

 善悪はなくすべて同価値だが、郷に入らば郷に従え。

 その観点から、あえてそうお薦めする。 

「正しさ」を大義名分にして、嫌いな者同士が頑張ってやりとりをしても、いいことはない。



 だから、改めてお願い。

 私をキライな人はもう見に来ないで!

 それがお互いのためである。

 この人を惑わす問題人を葬り去らないと! この人を何とかしてあげないと!

 そういう慈悲や正義感はいらないから。

 私なんて、売れてるスピリチュアルからしたら全然脅威でも何でもないから、安心しな。まず、広まる心配はない。(笑)

 こういう調子の記事でも喜んでくれる、ご奇特な方を対象にした場所だから。

 マニアのための集い。 

 これからも、マニア同士 (?) 楽しくやっていきまっしょい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る