すべての道はローマに通ず・すべての道は最善に通ず!

 あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを、耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。



 新約聖書 コリント信徒への手紙Ⅰ 10章13節



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 これは、聖書の有名な言葉である。

 この言葉に救われた人、助けられた人は古今東西無数にいることだろう。

 私も、クリスチャン時代には、ずいぶんお世話になった言葉である。

 今日は、筆者が信者としてではなく、今改めてこの言葉を読んでみた時の視点を、書いてみたい。



 特に注目したいのが、4行目である。

『試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道も備えられている』という部分。

 逃れる道(出口)が、必ずある。

 その事態を突破し、最善に至ることのできる一筋の道が、必ずある。 

 探せば、ある!

 また、ここの「逃れる道」という言葉は、「突破口」「上陸地点」という意味にも訳せる。つまり、今日の聖句は、素直に読めばこういう風に理解できる。



●どんなに人の目に八方塞がりな状況に見えようとも。 

 その闇のどこかには必ず、一筋の光があるのだ。

 一点突破・全面展開できる道が隠されているのだ。

 見つけなさい。

 それは、必ずあるのだから、あきらめないで。



 でも、これって「ちょっとショボい」理解じゃありません?

 ケチくさいな、っていうのがテラとしての感想。

 だってこれ、イメージとしては——



●沢山のはずれくじの中に、一枚だけ当たりが隠されている。



 無数の間違いがあって、神様がひとつだけ「ここが本当の出口だよ~」って蜘蛛の糸みたいに細い出口を用意している。そして、その出口は簡単には見つからない。神を信じ、その試練を耐え忍んでこそ、見えるようになっている。

 そんなの、辛すぎるし面倒だ。

 なんてセコい、なんて豊穣じゃない神なんだ!

 沢山の選択肢の中のどれかが、唯一の「逃れる道」だなんて。

「失敗する」可能性が無数にあるなんて!



 さて。

 ここで、キリスト教にスピリチュアルの視点を当ててみたい。

 もし、宇宙はあるがままで完全、なのだとしたら。

 失敗も成功もなく(それらはすべて個々人からの視点でだけ成立する)、すべては同価値で、何をしようと何が起ころうと、それは幻想性上のドラマ(演劇)でしかない。舞台上では深刻な物語でも、舞台が終わったら「お疲れ様でした~」と敵役も味方役も打ち上げで飲みに行く。

 つまり、「何をしたって最善から逃れられない」のだとしたら?



 だから、ある困難(に見える)な局面において——

 ある選択だけが、「これが正解よ!選んで~」 と輝いているわけではない。

 それを見つけるゲームをしているのではない。

 その他の選択肢が、「これは目くらましだよ。ハズレだよ~」と手ぐすね引いているのではない。宇宙は、意地悪なところではない。



●実は、全部が正解。

 どれを選んでも、ハズレくじなし!



 だから、神がどんな困難の中にも(ひとつの)逃れる脱出口を用意しているという、何ともサービス精神に乏しい話ではなく(それでも神か?)全部が、その「逃れる道」とやらなのである。

 あなたは、どんなことをしても、あがいても、「最善」を選ぶことから逃れられない。別の言い方をすると——



●あなたが何かを意図的に選択し、それが現実になった瞬間。

 そしてそれが、コンマ数秒で過去に転じた瞬間から——

 どんどんと、「最善」というラベルがバシバシと貼られていくのだ。



 この世界の事象は、起こってしまった瞬間から、最善となっていくのだ。

 もちろん、それに「人間主観からの価値判断」は関係ない。




 そういう観点から、今日の聖書の言葉を、現代スピリチュアル風(筆者風)に言い換えてみよう。



●あなたがたを襲う試練?

 フン、そんなもんあるかい!

 だいたいやな、「襲う」って何?

 宇宙の王であるあんさんを襲える、ってんなアホな!

 どんだけ、すごいヤツやねん!

「試練」ってことは、あんさんの感覚で「辛い」とか「好きじゃない」ってニュアンスがある、ってことやな?

 それは、あんさんの勝手な価値判断や。「試練」 なんてこの世にはあらへん。

 試練やないさかい、逃れるも何もそもそもない、っちゅうことや。

 宇宙はただ、あるがままにある。

 起こることのすべてが、調和して最善。

 もちろん、人間の身勝手な善悪の感覚を超越した意思のすることやから、三次元人間キャラであるわてらには、理解のむつかしい話じゃがの。

 


 だから、あんさんが何かの問題や困難に直面した時な。

 正解はひとつ。わては何としてもそれを探さなあかん——

 そんな、堅苦しゅう考えんでもええんや。

 正しい道はひとつ!なんてどケチな世界やあらへんでぇ、ここは。

 豊穣の世界やでぇ!

 あんさんが何を選ぼうとな、何をしようとな。

 その何かした瞬間にな、宇宙はその事実に合わせて世界を動かすんや。

 何をしたって、お釈迦様の手のひらの上や。

 だから、なぁ~んも心配せんと!

「どれを引いても当たりしかないクジ」やと思って、安心して引いたらええ!

 全部が、ただ個性の違う「逃れ道」であり「突破口」や、っちゅうわけやがな!



 ……何で関西弁なんだろう? (しかも、かなり「ミナミの帝王」入ってる)



 今日、皆さんにイメージを変えていただきたいことがある。

 それは、毎瞬毎瞬あなたに訪れる、無数の選択肢に関してである。あなたの人生は、その毎瞬の無数の選択によって成り立ち、人生の物語が紡がれている。

 今までの歴史の中で、人はある錯覚に陥ってきた。

 テスト問題の正解が、ひとつであるかのように。

 それを外したらバツになる、というように。

 ある困難な状況というものも、そのテスト問題と同じようなもの。

 必ず、ひとつ正解がある。それを見出す力をつけ、人生において成功する。それが生きる目的のように考えてきた。

 だから知識を追求し、修行し、向上する努力を重ねてきた。



 しかし。正解がひとつ、というのは勝手な思い込みだった。

 そんな不自由な、博打みたいな世界ではなかったのだ。

 あなたが選んだなら、その選択が即時に正解になる。実はそんな世界だった。 

 最善にたどり着くことが難しいどころか、簡単を通り越して「最善以外を選ぶなど不可能」だった。



 さぁ。あなたの前には無限の「安心」が広がっている。

 もちろん、その安心とやらが世間一般で言う普通の「安心」とはイコールではないことは、聡明な読者ならお分かりだろう。もっと本質的な「安心」である。

 だって、何を選んでも大丈夫なのだから。

 もちろん、あなたが宇宙の主人公(王)としてそれを受け入れれば、であるが。

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