潔く非を認めたダビデ王 ~次はあなたが認める番です!~

 旧約聖書に、ダビデという王様が登場する。

 後にイエス・キリストが生まれる血統であり、聖書上でも重要人物。



 お馴染みなのは、ダビデが少年時代、ゴリアテという名の巨人と戦って、石つぶてを相手にぶつけて倒した、というエピソード。日本で言えば、源義経の少年時代の「弁慶と牛若丸」みたいなものだが、違いは『前者は本当に殺してしまい、後者は感服して腹心の部下になった』というところ。

 あと、美術ではミケランジェロのダビデ像。

 保健体育の性教育のページでは、よく登場なさる。

(だって履いてないんだもの……)



 ダビデ王の、まさかその後数千年にわたり語り継がれるとは本人も思わなかっただろう不名誉な事件がある。今風に言えば不倫だが、不倫プラス殺人である。

 ダビデはある日、小高い場所にある宮殿のバルコニーから、街を見下ろした。

 すると、とあるご婦人が水浴び(当時のフロ)をしているのが目に入った。

 当然、素っ裸である。

 興奮したダビデはのぞきまくる。で、自分の女にしたくなる。



 部下に調査させた結果、自国の軍に属する兵隊の妻だと判明。

 ダビデは、その夫に当たる兵隊を、戦闘の激しい最前線に投入して戦死させる。

 で、計画通り未亡人となったその女性を、あたかも「旦那には済まなかった」といい人ぶって近付いて慰め、肉体関係に。

 彼女は正式に王の女となり、やがて子どもも生まれる。

 


 そんなある日のこと。

 ナタンという名の預言者(神の言葉を伝える役目の宗教家)がやってきて、王にこういう話をした。

 ある所に貧しい男がいて、唯一子羊だけが一番大事な持ち物であった。

 ある日金持ちが、来客の際に自分の羊を惜しみ、貧しい男から羊を取り上げて殺し、その肉を客人に振る舞った。この話を聞いてどう思われますか?

 ダビデは、こう言った。

「その男は死刑だ。なんという無慈悲な行いであるか!」

 しかし、ナタンは王に言い返す。

「それは王よ、あなたのことですぞ!」

 そこまで言われてやっと、ダビデは自分がしたことと、今の話とが頭の中で繋がったのだ。



 最近、世の中を眺めていても、この『ダビデ王』が多い、と感じる。

 芸能人から政治家まで、最近の一般大衆は(マスメディアも含め)徹底的に何でも叩く。それも必要以上に叩く。

 たとえるなら、罪を犯して鞭打ち20回のところを、気が済まないので余計にもう5発、みたいなこと。既定の償いでは足りん、コイツはこんなことくらいじゃ許せん、という感情の先走りである。

 現代は、科学こそ発展したが生きやすい時代かと言われるとそうでもない。皆自分のことだけでも大変な中、必死な中ズルをする人間や道を外れる人間を見ると、必要以上に腹が立つ。だって、「自分はちゃんとやっているのに」と思うから。

 その人の頑張りが大変であればあるほど、ちゃんとやってない人物への憎悪は倍増する。

 ひとたび、何か噛みつく格好の材料が見つかれば、意識は全部そっちへ流れる。

 外部ばかり過敏に気になり、自分のことは都合よく忘れる。

 そうなると、ダビデ王みたいになる。



 自分のしたことに関して都合よくしっかりと忘れさせて——

 他人のしている同じようなことに関して、平気で責めまくることができる。

 自分のことと繋げる視点が欠落しているので、心が痛まない。

 痛まないので、過度に攻撃的になれる。

 歯医者で、麻酔をかけて治療されたことのある人は、分かるだろう。

 感覚がないので、唇を歯でかみしめても神経が麻痺してるので痛くない。

 痛くないので、必要以上に噛んで血が出ても、それでも痛くない。

 加減が、分からなくなる。だから、麻酔後「1時間くらい食事しないでください」と言われる。キケンだからだ。



 自分を守ることに精一杯で、ちょっとズルをした者に過剰に反応する、世知辛い世界。「こっちはこんなにタイヘンでも何とか生きているというのに!」という、ゆるせないエネルギーで、やったことの正当な処罰だけでは飽き足らず、その人の社会人生命や家族の幸せまでも奪って、それでもなお腹の虫が治まらない、という底なしさ加減。 

 コイツはそれくらい当然よ! 私が最近、何人もの人から聞いた、とても悲しい言葉である。スピリチュアル実践者の中でさえそういう人がいるのだから、呆れて開いた口が塞がらない。



 気付いた者から、ゆるんでいく。

 あれっ、よく考えたらなんでこれほど腹が立っていたんだろう?

「ゆるしが大事」「信頼が大事」と頭で分かっていたはずなのに。

「罪を憎んで人を憎まず」という言葉も知っていたはずなのに。

 相手が悪いこととはいえ、なんでこれほどムキになったんだろう?

 なんで、いつのまにか人を憎んでいたんだろう?

 罪を犯すようになってしまった背景や、人間の弱さを誘発しかねないシステムを見直すどころか、誰かを見せしめに公開処刑して鬱憤を晴らしているだけだった。

 で、刺激に飽きた大衆やマスコミは、次の獲物を求める。

 そうやって、自身の辛さや弱さを忘れるため、外部への攻撃に没頭していく。



 一日でも早く、現代世界の集合意識の危うさに一人でも多くの人が気付いて——

 心の中でゆるしてほしい。

 他人を。そうして自分を。

 何もなかったことにする、というのではない。失敗を責めること以上に、結果として皆が幸せになるためにどうしたらいいか、を優先するということである。

 そうできる勇気と柔軟さをもつ、ということ。



 あなたに、それができるかな?

 指摘されて、ムッときますか?

 ダビデ王は、ナタンに指摘されたあと、怒って逆ギレしたりなどの見苦しい反応はしなかった。 

「私が悪かった」と、素直に認めた。

 では、あなたはどうか? ダビデ王のように認められますか?

 まさにその答えが、明日の日本や明日の世界の命運に関わってくるのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る