神様に命令されたら、我が子を殺せますか? ~アブラハム、息子イサクを捧げる~
今日も、聖書のある物語の解釈を、ひっくり返してみたい。
旧約聖書における主要登場人物は何人か挙がるが、その中のひとりに絶対入るのは『アブラハム』であろう。
聖書にあまりなじみのない方でも、子ども向けの「アブラハム体操」くらいは知ってるのでは?
♪アブラハムに~は7人の子
ひとりはのっぽであとはチビ
み~んな仲良く暮らしてる
さぁ踊りましょ 右~手♪
アブラハムは、キリスト信者にとっては「信仰の父」と呼ばれる偉大な人物である。もちろん、彼の血統からダビデ王、そしてイエス・キリストにまでつながっていった。
そのアブラハムにまつわる有名なエピソードとして、「イサクという子どもを捧げる」話がある。
神様が、(愛であるはずの神様が!)お前の子どもであるイサクを供え物として捧げよ、と命じたのだ。
ここで神様に捧げるという具体的な意味は、殺してから火で焼け、ということである。しかも、ただ殺すのではなく燔祭を捧げる流儀にならうと、子どもの死体を真っ二つに裂かないといけない。
ゲゲー! 筆者なら、うちの子にそんなこと絶対にできない!
ちょっと長くなるが、聖書からその個所を引用するので、読んでいただきたい。
長いし余計な言葉も多いので、私が意図的に縮めた部分もある。
【アブラハム、イサクをささげる】
ある時、神はアブラハムの信仰を試された。
神が「アブラハムよ」と呼びかけ、彼が「はい」と答えると、神は命じられた。
「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。(つまり殺せということ)」
次の朝早く、アブラハムはろばに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、息子イサクを連れて神の命じられた所に向かって行った。三日目になって、やっとモリヤの地にある山に着いた。
アブラハムは、焼き尽くす献げ物に用いる薪を取って、息子イサクに背負わせ、自分は火と刃物を手に持った。二人は一緒に歩いて行った。
イサクは父アブラハムに、「お父さん」と呼びかけた。
彼が「ここにいる。わたしの子よ」と答えると、イサクは言った。
「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。」
アブラハムは答えた。「子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」
二人は一緒に歩いて行った。
神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築いて薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。
そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を殺そうとした。
そのとき、天から使い(天使)が、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。
彼が、「はい」と答えると、天使は言った。
「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」
アブラハムは目を凝らして見回した。すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角をとられていた。アブラハムは行ってその雄羊を捕まえ、息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげた。
アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。
そこで、人々は今日でも 「主の山に、備えあり(イエラエ)」 と言っている。
天使は、再び天からアブラハムに呼びかけた。
「わたしは自らにかけて誓う、と神は言われる。あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」
【創世記22章1~19節】
まずは、一般的かつ常識的なキリスト教的理解から。
イサクという子どもは、アブラハムが100歳、妻のサラが80歳くらいの時に生まれた。(マジか!)
これは、実際にその立場に立って見て分かるものかもしれないが、歳をとってから生まれた子どもって、めちゃかわいいらしい。
だから、有名な「目に入れても痛くない」という比喩の通りに大事だったはず。
そのイサクを、神様に捧げろと言われた。
普通なら、捧げることができなくても、不思議ではない。
しかし、アブラハムの偉大なところは——
●自分の一番大事なもの以上に、神様を大事にした。
何よりも、神様のお言葉を信じ、従順に行動できたことが素晴らしい!
アブラハムこそ、信仰者の鑑(かがみ)である!
ご存知の通り、イエス自身が「人類のために十字架でご自分を犠牲にされた」ので、それを「素晴らしい」と思う感覚のクリスチャンは、こういうお話に感動する。
断言するが、もし子のいるクリスチャンが本当に神の声が聞こえてきて子どもを殺せと言われても、できないはずだ。つまり彼らは、実際にできた(らしい)アブラハムをほめ、尊敬することで、「永遠にたどり着けない目標」に向かって歩いていこうとしている。もしできたら、それは通常の精神状態ではない。
キリスト信者の間では、なぜ愛である神様が、例え本当に殺しかけたら止めるつもりだったとはいえ、そんな無茶なことを命じられたのか、は問題にされない。また、神様の言葉に従うことが信仰上一番大事とはいえ、そもそも子どもを殺すなんて良くないことだ、という観点もスルーされる。
ただただ、アブラハムの神への従順さを褒めるのみ。
あの伝説の番組 『どっきりカメラ』だって、確かに人はだますがあまりにも精神的打撃が大きいと思われるドッキリは、ちゃんと「倫理規定」なるものに従って避けている。例えば、「あなたの家が火事です」とか「お子さんが事故に遭ったそうです!」とかいうウソ。
それに比べても神様、あんた酷なやっちゃなぁ! というところである。
これなら、まだ神より私(筆者)のほうが優しいぞ。
あと、もうひとつ。
息子であるイサクの側の「信仰」も、ここでクリスチャンたちに賞賛される。
文中、こういうセリフがありませんでしたか?
「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。」
イサクは聡明な子だったらしいので、すでに気付いていたはずだという。
燔祭(神様に焼き尽くす供え物を捧げる)に行くのに、肝心の捧げ物(動物)がいない。こんな大事な儀式だから、お父さんが「あ、忘れちゃった。テヘ♪」などといううっかりミスである可能性はない。百歩譲ってそうだったとしても、三日も歩き続けているのだから気付かないはずがない。
ってことは、考えられる可能性はひとつ。
もしかして、『僕』が供え物なのか……?
でもここで、イサクはジタバタしなかった。
死にたくない! 理不尽だ! なんで僕が? そんな風には思わなかった。
彼が殺されかけても逃げなかったのは、神と、神を信仰する父アブラハムを心から尊敬し、また信じていたから。
だから、殺される、という表面的な現象を克服できた。
これにはきっと何か訳がある。そっちの解釈に命を懸けることができた。
なんと素晴らしい、親子の絆! そして信仰!
●父は、神を信じて一番大事な子どもすら捧げた。
子は、神と父を信じて従順な姿勢を崩さなかった。
この、信仰の二人三脚こそが、神をして見事だと思わせた。
イエス様が、人類の救いのために自身の命を惜しまなかったように——
信仰の祖であるアブラハムも、その子イサクも、神のため命を惜しまなかった。
このことから、「神様のために、あなたの一番大事なものを捧げる覚悟がありますか?」という信者向けの覚悟の促しネタになりやすい。神様より大事にしてしまっているものはありませんか? それは優先順位がちがいますよ、と。
それがさらにお話がすり替わって、具体的に献金とか、献品(金品土地財産)や奉仕(教会のために時間と労働力を割く)という話になっていく。
さて。この一見美しい(?)お話を、これからひっくり返してみたい。
このお話の、キリスト教的な理解の大前提にある考え方は——
●イサクは、アブラハムにとって一番大事なものだった。
一番大切な、何にも代えがたい存在だからこそ、それを捧げることができたということの価値が跳ね上がるのである。
これが、大して大切でもないものを捧げたんなら、何にも感心されないのである。
さて、ここからが筆者流の身もフタもない解釈なんであるが、実は……
●アブラハムにとって、イサクはそれほど大事じゃなかった。
…………。
ええええええええええええ!?
( ̄□ ̄;)
では、なぜそう言えるのか、検証していこう。
実は、アブラハムの子はイサクだけではない。
彼には、『イシュマエル』という兄がいた。
でも、彼はアブラハムと本妻サラの子どもではない。本妻であるサラに子どもができないので、ハガルという女奴隷とエッチしてつくった子ども。
この時代では、子孫を残すということが、大昔のこの地方の人々にとってもっとも大事なことであった。特に由緒ある家柄はそうで、本妻との間に子ができないなら、他の女と寝てでも子どもをつくろうとした。
妾(めかけ)とか側室というのはそのためで、決して贅沢な王様が色んな女とエッチしたかったら、というくだらない理由からだけではない。
そして、もうひとつ。当時の常識的感覚として——
●長子(長男)が、絶対的に大事だった。
次男、三男の価値は、長子のそれとは比較にならないほど低かった。
今でも、その感覚の名残はあると思う。
外国や発展途上国などでは、いまだにそういう文化が残っているところもあるだろう。アブラハムとて、実は例外ではなかったのだ。
彼にとって、一番大事なのは 「長子であるイシュマエル」 だった。
現代の感覚だと、女奴隷に産ませた子よりも、本妻との間にやっとできた次男、だろう。年老いてから、子どもなどもう持てない、とあきらめていた時にできた子の方がかわいいだろう。
でも、そんなことをものともしないほど、長子である、というその事実は当時の世界では大きかったのだ。
それを証拠に、聖書には次のような描写がある。
神様が、すでにイシュマエルという子どもがいるアブラハムに、こう告げるシーンがある。
●私はなたの妻サラを祝福し、彼女によってあなたに男の子を与えよう。
わたしは彼女を祝福し、諸国民の母とする。
諸民族の王となる者たちが、彼女から出る。
つまり、奴隷との子イシュマエル以外に、本妻との間に子どもを授けてあげよう、というのだ。でも、アブラハムはこう返答する。
「どうか、イシュマエルが御前に生き永らえますように。」
【創世記17章18節】
これが、アブラハムのホンネなのだ。
何よりも、イシュマエルの幸せを願っている。本妻との間に子が生まれるよ、と神様から聞かされているにもかかわらず、この発言である。
もし本当に神様の言う通りになったら、そっちの子の方が大事だよなぁ、と思ったら出てこない発言である。
アブラハムの中では、この後に本妻との子ができようが、長子こそが大切だったのだ。彼の中で、世の中で一番大切なもの、という不動の位置を占めていたのだ。
後にアブラハムは、ある事情からイシュマエルを家から追い出さないといけないことになる。きっと、イサクを捧げる時以上に、苦しんだに違いない。
だから、アブラハムのこのセリフの後、神はあわててこういう意味のことを言っている。(以下、筆者による意訳)
「ちょっと待ちなさい。勘違いしないでよ、大事なのは、イサクのほうでしょ! おまえにとって一番大事なのはイシュマエルかもしれないけど、私の計画の中では違うの! 次男のイサクこそが、私がつくった脚本の主人公なんだから! そこんとこ分かってんの?」
神のセリフが、ちょっとおオネエキャラがかっているのはご容赦を。
アブラハムは結局、自分の一番大事なものを神に捧げたわけではないのだ。
二番目を、何とか捧げたのだ。
アブラハムが苦しんだのは、自分の一番大切なものを手放さなければならなかったからではない。だから、なんとか試練にクリアできた。
仮にこれが、「イシュマエルを捧げよ」と言われていたら、結果は違っていたかもしれない。だから、このお話は二通りのメッセージに解釈できる。
【その1】
神様は、アブラハムの信仰を試すために、『一番大事なもの』 を供えさせようとした。神様の感覚だと、彼にとって一番大切なのは、イサク……だろうと思った。
一番大切なものを捧げることなんて、なかなかできないはず。
でも、神様はビックリした。
一番大事な子どもに対して、たかが三日ほどで、殺す決心に至れたのだ。
どう見ても、殺す気で刃物を振り上げている。
この時、神様は悟った。
……そうか、読み違えた! アブラハムにとって、イサクは一番じゃなかった。長子イシュマエルの方が大事だったか! な~んだ、二番目に大事な供え物なら、いらないや。
興味を失った神は、もうどうでもよくなったので、捧げるのを止めさせた。
【その2】
実は、神はあることを伝えたくて、一連の不可解な行動をアブラハムにさせた。
神は、あることを人類に伝えたくて、あえて『狂言回し』的な役割を演じたのだ。
つまり、神様はアブラハムに、あえて一番大事ではないと分かっているイサクを捧げさせることで、一番大事だと分かっているイシュマエルを捧げろとは要求しないことで——
●自分の一番大事なものは、譲らず大切にしなさい。
決して、他のために犠牲にしてはいけない。
自分の幸せを、大事にしなさい。
そういうことを言いたかった。
あなたは、宇宙の王だ。人生の主人公だ。
だから、何かのために自分を犠牲にする必要などない。
自分の一番大切なものを、泣く泣く手放さないといけない義務などない。
大事なものは、大事になさい。
自分の幸せを、一番に考えなさい。
どうしても犠牲にするなら、二番目以降でかまわないからね——。
そういう、神様からの愛のメッセージなのだ。
私からも、同じことを皆さんに言いたい。
あなたの幸せ以上に大事なものは、この世界にないんだよ。
あなた自身や、あなたの一番大切なものを犠牲にして得られる幸せなんて、あると思う? だから、人からエゴだ、執着だ、自分中心だと言われてもいいじゃない。気にしないで。
堂々と、大事なものは大事にして。
好きなものは好き、イヤなものはイヤと言って。
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