ヌードは神々しいもの、エッチは神聖なもの ~人間はエデンで罪など犯していない~

 主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。

 人と妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった。



※中略



 女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。

 二人の目は開け、自分たちが裸であることを知った。

 そこで二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。



 旧約聖書 創世記 2~3章より抜粋 (一部を読みやすいように改変)



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 実際にこんなことがあったのかどうかは別として、世界の最初に起きたことの記録として古くから残り、キリスト教文化圏では人類の起源を説明したものとして信じられている「創世記」。

 今日は、その物語の中の「失楽園」の部分に関して、ちょっと考えてみたいことがある。



 キリスト教では、最初男女が裸でも互いに恥ずかしくなかった(純粋無垢・罪のない状態)が、禁断の木の実を食べてしまい互いが裸であることが分かったので葉っぱでアソコを隠した(恥、罪とけがれというものを知った後。堕落人間、アガペーの愛ではないエロースの愛の出現)というように説明している。

 禁断の木の実を食べたことが決定的な人類の過ちとなり、その後人間は当初の予定ではない(楽園で争いもなくマッタリ、ではない)闘争の歴史を歩むハメになった、という。

 果たして、ホントにそう?



 紹介した聖書の最初の文章に、もう一度注目してほしい。

「主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。」

 この文章が意味するところは、こうである。



●人が、あるモノや現象をその人物なりの世界観で価値づけをしたら、その人の現実ではそのような意味をもつ実体となる。



 宇宙そのものを創ったのは神(創造主)だが、その中にあるものを「意味づけ」したのは人間である。

 そういう意味では、人間は 「間接的創造主」 である。



 名付ける、ということは「意味づけする」ということの比喩である。何かが、この世界においてどういう意味と位置づけをもつのかを定めることである。

「人間」 という種族が生きるのに都合がいいように、すべてがその目線から名前が付けられ、定義されている。アゲハチョウは、自分がアゲハチョウと呼ばれていることや、「蝶」という昆虫の一種だ、と言われていることなど知らないで飛んでいる。

 全部、人間の勝手、カラスの勝手である。



 この文章を念頭に、アダムとイブの変化を読むと、見えてくるものがある。

 失楽園などという大それた悪いことは起きていない、ということ。

 アダムとイブは、そんな取り返しのつかないたいそうな目には遭っていない。

 彼らに起きたのは、ただ「意味づけの変化」でしかない。



 皆さんも幼児~小学校低学年くらいの頃を思い出してほしい。

 女性の裸は、ただの裸でしかない。

 子どもは純真に、バッチいものや卑猥なものを冗談のネタにしたがるので、女性の裸やエッチな話を嬉々としてすることはあっても、それは根本的な意味合いが違う。

 その本質はまるで分かってなくて、興味を持っているだけである。

 しかし、小学校高学年から中学生にかけて、まさにこのアダムとイブに起きたことが起きる。今まで屁でもなかった異性の体が、何だかまぶしいものに感じられる。

 触れてはいけないけど、それでも見たい、触れたいものに見えてくる。

 もちろんそこには、第二次性徴という保健体育で習うアレがある。

 そりゃ、世界に二人しか男女ペアがいなかったら、ああなりますわな。

 つまりここでは、「善悪知る木の実を取って食べる」というのは、異性と性交渉することと考える。ベタな言葉にすると、「女(男)を知る」ということ。



 神様も残酷でいらっしゃる。というか、アホすぎる。

 思春期まっさかりの男女を、幼い時のまま裸で遊ばせといたら、そら年頃になって見る目が変わったら、とびつきますわね。というかこの創世記のお話の場合、女性(イブ)のほうがませていて、先にアダムにアプローチしているので、アダムのほうがまだかわいい鼻タレ坊主でオクテだったようで。



 人間自身が、この世界に意味を付ける主人である。

 彼らが見たいように、この世界は変化する。

 最初、異性の裸に対して「意味づけ」していなかった。(なので何でもなかった)

 しかしある時を境に、「性」という認識のカテゴリーで意味づけをした。

(裸は恥ずかしいもの。異性の体に触れたい、エッチしたいという願望や衝動は公に言ったりバレたりするのは恥ずかしいこと、という認識が生じた)

 神様にバレないとか隠せるとかあり得ないが、この場合は神は「親」みたいな位置にいたため、子どもとして恥ずかしかっただけだろう。お母ちゃんに断りもなく部屋のドアを開けられ、AVをネタにオナニーしている現場を目撃された男子中学生のように決まりが悪かっただけである。その気持ちの表れが、「腰を葉っぱで覆った」というところ、神の気配を感じて身を隠したというところにある。



 要するに、聖書に反抗するようで申し訳ないが、神の戒めを破った悪い因果の結果として、人間は「目が開けた」のではない。罪が見える、分かるようになったのではない。

 ただ、意味づけがある日を境に変わっただけ。

 初の人類が、純粋無垢な子ども時代にサヨナラを告げ、次のステージに移行しただけ。裸とか性的な事象に「大人な」ものの見方が生じただけ。

 だからそんなにイヤだったら、再び意味づけを変えてやればいいのである。



「はいからさんが通る」で有名な漫画家・大和和紀の作品に、『フスマランド4.5』 がある。(古典的マンガで申し訳ない)

 その作品の中に、「カチ子さん」という、カチカチのおカタい女の子が登場する。

 いかにもなインテリなメガネをかけ、学校の風紀委員として間違いをゆるさない、超カタブツ。しかし、そのカタブツな彼女にただ一点、カタくない意外ないところがあった。

 ある男子生徒が、学校にヌード写真集をこっそり持ってきていた。

 荷物検査で、それを発見するカチ子。男子生徒は、慌てて必死に言い訳をするが、本の中身をしみじみ見たカチ子の一言は、意外なものだった。



●こういう美術書は、ぜひ図書室に置いてください。



 しかも、美しいものを見た、というような感動したウルウルした目で。

 彼女は、女性の裸体を「いやらしい」という視点ではなく、「神々しい」という視点で見たのである。

 結局、人の側がどういう意味づけを対象に施すか、なのである。

 人は集団で、一定の規律をもって生きようとする習性があるので、大勢が施す解釈や意味づけが「民主主義」によって採用され、それが常識と言われるものになる。

 ただその常識はずっと固定ではなく、権力者が誰かや時代の文化的な流れによって、ゆるやかに変化はしていく。



「知らなかったあの日には戻れない」という言葉があるように、確かに「いったん身についてしまった、落としこんでしまった認識は容易には覆せない」という事実は、残念ながらある。

 私はさきほど、ものの見方を変えればいいではないかと言った。アダムとイブが裸やエッチを恥ずかしいもの、悪いものと見たとするなら、それは自分からそう見ようとしたわけだから、その解釈を変えればいい。話としては単純だが、現実にはそう簡単ではない。

 一度ある見方を作り上げたら、そう簡単に抜けない。タバコや麻薬をやめるようなもので、相当の苦労を要する。しかしここで重要なのは「難しいが不可能ではない」という点。

 何も神の子キリストが再臨あそばさなくても、自分たちで解決できるのがそもそもの 「アダムとイヴの問題」なのである。解決不能・自浄不能な「原罪」などではないのである。

 確かに、エロ本を「美術書」と思うようになるのは難しいだろうけど……



 自己啓発やスピリチュアルでよく取り上げられる概念、「人は見たいようにものを見る」。

 それは、人の欠点や弱点でもあるが、使いようで素晴らしいツールにもなる。

 スピリチュアルをやっている人なら、そこはすでにお分かりであろう。

 もちろん、いったんついてしまったものの見方は、変更が大変だ。

 でも、挑む価値はある。

 全力で生き、少しでも多く、あるものを判断するためのデータを集め、もっとも良き答えをその瞬間にだけ見出そうとする。その過程こそがスピリチュアルであり、その極まった先に「悟り」があるのだ。

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