応援コメント

一粒の麦もし地に落ちて死なずば ~自分に死ぬ、ということ~」への応援コメント

  • 自我に死ぬ。とは本当ですね。自我に死ぬ事は難しく、天の父なる神様への信頼と信仰、イエス様が自分の為に死んでくれるまでに与えてくれた愛を理解できるのが本当の恵ですね。

    天の父なる神は最初から最後まで変わらず、神様の御心に叶う人が義人とみなされ、御国に入れる。と聖書にも書いてあります。

    私もつい最近やっと気づきましたが、聖書を自分勝手に理解する人が多すぎます。カトリックの教えの強い学校で学んだ牧師達の意見に惑わされると、自分では読めなくなると思います。それだけ敵は賢く騙せるのです。

    神の律法を心に記すとはどのような意味なのか、聖書から答えを見つける必要があります。聖書は心のことについて10 箇所述べているので、そこから見つけ出せます。

    神様の基準は高く、心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして神を愛しなさい。という言葉の実践で、神様を聖書からよく理解して、聖霊に導かれ自我に死ぬ生活を実践できる様、少しずつでも祈りながら霊的に成長して自分の基準を変えれば、10戒は自然に守れます。人間は習慣性の生き物なので、最初は難しいかもしれませんが、聖書の言葉通り自分を愛する様に、神を愛し、他人を愛しなさい。という10戒の言葉をいつも心にとめて、守る様にすれば、いつかは守れる様になると思います。

    作者からの返信

    えっと、コメントありがとうございます。
    あなたが最初に読まれたのがこの記事だったのが幸いでした。コメントをお読みしたところ、聖書やキリスト教に対して真摯に取り組まれている方とお見受けします。事故が起きない前にお伝えしますが、これ以上ここを読まれないほうがいいと思います。
    筆者はもう信者ではなく信者ではない立場からかなり好き勝手(もちろん自分なりの根拠あってですが)言ってるところなので、参考になるどころかお気持ちを乱すことにいつかなります。現に、過去いくつかコメントのやりとりでトラブルがありました。
    筆者は、余計なトラブルはできたら避けたい。価値観が信者の方と私とでは180度違うため、ここは互いに争うのではなくこの世で「棲み分け」ができたらなと。関わり合わず、互いに気持ちよく生きれたらな、と。
    お伝えしましたよ? これで私は責任を果たしましたので、今後あなた様が別の記事を読んで「けしからん」と憤られても関知いたしませんので、悪しからず。もちろん返信はこれが最後で、以降いかなる感想や問いかけにもお答えしません。(もちろん内容によっては例外もありますが)今回はコメントをお載せしましたが、以後の内容によっては削除・不掲載もあり得ます。ここはスタンダードなキリスト信仰を論ずる場ではないためです。
    ここは、何が正しいかを争う場ではなく、「こういう考え方もあるよ」ということを披露しているだけの場なので。

    編集済