私につまづかないものは幸い ~私との出会いを生かせ~

 わたしにつまずかない者は、さいわいである。



 マタイによる福音書 11章6節



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 キリスト教における絶対の要(かなめ)は、イエスが神の子(三位一体の概念からすれば、神自身であるとも言える)だということであり、その言葉は絶対の真理であり、真実だということである。

 そのことを端的に物語っているイエスの言葉をふたつ引用すると——



●わたしは道であり、真理であり、命である。

 わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。



 ヨハネによる福音書 14章6節



●はっきり言っておく。わたしは羊の門である。 

 わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。

 しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった。

 わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。

 その人は、門を出入りして牧草を見つける。



 ヨハネによる福音書 10章7~9節



 これ、素直に読めば——

『私だけが真実を言っている(神だから)。他は違う。だから、私の言うことを受け入れなければ救われませんよ。天国に行けませんよ。違うことを言う者や教えについていくと、大変なことになりますよ』

 そう言っているようなものである。

 クリスチャンとは、ここを素直に受け入れた人種である。私は、それもひとつの生き方であり選択であり、本人が幸せなら大変結構だと思う。



 でも、皆が皆、そう思えるわけではない。

 確かに、世界の宗教・スピリチュアルを通じ数でも規模でも独り勝ちしているのは既成キリスト教である。(もちろん、日本における葬式仏教みたく、文化的にそういう建前であるが普段からの信心はそれほどない、という面はあろう)

 しかし、キリストを信じなくたって幸せになったっていいじゃないか。

 もしイエスの言うことが本当なら、宇宙はなんて了見のせまい世界なんだ。

 これが愛か?

 イエスのセリフ、今日日のヤクザでも言うぞ?

「こっちの言うこと、素直に聞いといた方がええで。でないと後でエライ目遭うよ」

「私は道であり、真理である。わたしを通さなければ、神のもとへ行くことはできない」このふたつの言葉は質的に、ほとんど違わない。



 私見であるが、四つの福音書はどれもひどい。

 みな、正味のイエス像から遠い。

 でも、あえてマシなものを挙げれば、マルコによる福音書である。

 マシだというだけで、基本かけ離れていることには変わりない。

 マルコをベースに書かれたマタイ、ルカはさらに歪み(勝手な後世の解釈)が加わり……最後に書かれたヨハネで、その妄想劇場は極まった。

 ヨハネが、一番参考にならないと思っていただいていい。



 例えるなら、ある大ヒットしたマンガがあるとする。

 これが、「マルコ」に当たる。

 ヒットしたので、映画化しようという話になる。

 映像化するには、その道のプロにゆだねるしかなくなる。

 原作は尊重してくれるだろうが、脚本家や監督のこだわりや、独自の思想信条が入り込むのは避けられない。そうやって完成したものは、原作のイメージと比べて「ちょっと違う!」感が出てしまう。原作のキャラと、演じる役者のイメージとに違和感が生じることもある。

 この映画化した作品が、「マタイ、ルカ」に当たる。

 原作が良かったせいか、映画も大ヒット。興行収入もかなりのものになった。

 だから、第二弾をつくろう、という企画が持ち上がった。これが、ヨハネである。

 エイリアン2、とかターミネーター2、みたいな感じね。



 ここで少々問題が生じた。

 業界内のゴタゴタで、配給会社が第一弾とは変わることになり、監督も第一弾の時の監督が続投できなくなり、新しい監督となった。主人公を演ずるのも、第一弾の役者ではなく別の俳優を使わざるを得なくなった。

 かくして、原作とも映像化第一弾とも違う、よく分からない亜流種映画が生まれた。さすがにこれは、大ヒットしなかった。

 これで、興行的にこの作品はシリーズ化して扱われることもなくなり、新作は出ずどんどん旧作になっていった。これが、福音書がヨハネで打ち止めになっている理由である。

 あれ以上、アレンジのしようがなくなったからだ。

 ヨハネは、究極の想像ふくらませバージョンだからだ。



 今日の記事の冒頭に紹介したイエスの言葉、『わたしにつまずかない者は、さいわいである。』の意味を、改めて考えたい。

 キリスト教が言うように、イエスが神で、絶対に正しくここ以外に救いは在り得ない、という観点からは、「わたしの価値を見誤らない者は、幸せである。」となる。

 逆に言えば、「私の真価を見抜けない者は、ざんね~ん! である。不幸である」 ということ。だって、イエスを信じる以外に救いはない、というのだから。

 でも、私はイエスがそんな心のせまっちい男だったとは思えない。

 さて。イエスは、ここで何を言いたいのか?



「私のことは、どう思われてもいい。

 信じてくれなくてもいい。そもそも、絶対の真理なんか語ってねぇから。

 ただ、たとえオレがあんたにとってはバカなやつでもとんでもないウソつきでも構わないから。そこは無理に変えようとしなくてもいいから……

 せめて、そのことを肥やしにしてくれ。

 ああ、あんなへんなやつとも関わったなぁ。でも、あれはあれでひとつのいい勉強だったなぁ。起こることにムダはない、っていうもんなぁ!

 その程度で、消化してさえくれればいい」



●自分の見聞きしたこと、体験したことにつまづかないものは、幸いである。



 そう。イエス自身やその言葉につまづかない(受け入れる)ことが大事なのではなく、イエスにつまづいたその事実につまづかないこと、なのである。

 つまづいてもいいが、そのこともあなたの宇宙でプラスに生かせ、ということ。

 ああ、いい勉強になった。あんなヤツの言うことに引っかからなくてよかった。

 イエスを好きにしろ嫌いにしろ、出会いそのもの、その事実を悪者にだけはするな。宇宙には、すべて起こるべきことが起こっているのだから。

 それは、人間エゴを越えた叡智が起こしているのだから。

 イエスの言葉を受け入れられず、不快な思いをした時、イエスを嫌っても(つまづいても)いいが、その出会いの事実そのものだけは責めるな。それは、宇宙の叡智を、空を嫌うことであるから。自分の命の源自身を嫌うことになるから。



 先ほど、イエスが「自分が真理であり、他では救われない(間違い)などとは言ってない」と書いたが、こう考えられなくもない。

 聖書にあるイエスの言葉に、少々言葉を補ってやればいいのだ。



 わたしは(あなたも。すべての人自身が)道であり、真理であり、命である。

 わたし(自分)を通らなければ、だれも父(神)のもとに行くことができない。

 つまり、自分を受け入れなければ神(あなた)らしく在るこことができない。


 

 はっきり言っておく。わたし(もあなたも)は、羊の門である。 

 わたし(あなた)より前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。

 あなたをあなたらしく在らしめることを許さず、常識や世の「優れた」基準を持ち出してあなたを苦しめる者がいれば、それは盗人であり強盗である。

 しかし、羊(全人類)は、目覚め意識の本能から、彼らの言うことを聞かくなる。

 今は惑わされて聞いていても、いずれ耳を傾けなくなる。

 わたしもあなたも門である。それぞれが、それぞれの納得と確信の門をを通って入ることで救われる。その人は、その人オリジナルの門を出入りして牧草を見つける。



 ……これだと、しっくりくる。

 イエスは決して、自らを正しいとしない。

 彼は、キリスト教が言うように自分の言う言葉の基準に皆を近づけたかったのではなく、それぞれが自らのユニークな経験を通して、人生における自分なりの納得を得てほしい、と思っているだけだ。自分なりの落としどころを見つけ、見た目の結果によらず 「いい体験だった」と思ってほしいだけである。

 そのための補助となるように、親切心からイエスは他人に言葉を語った。

 それはあくまでも自転車の補助輪のようなもので、決して他人の絶対基準として伝えたのではなかった。自分オリジナルの人生観や確信ができたら、補助輪の役目は終わり。あとはその人自身で進んでいける。 



 あくまでも、あなた自身が世界の、宇宙のすべてであり中心であることを忘れないように。それを忘れさせるのが、外側から来る情報……比較とそこからくる劣等感や敗北感である。

 イエスは実は、そんなあなたに「あなたが主人公だよ」と思い出させようとしたのだ。それが、現在の福音書のような表現になってしまい、キリスト教徒たちはこれを真に受けて「自らが主人公でない、イエスが主人公の人生」を歩んでしまった。

 もちろん、間違いだというのではない。

 それが心地よく、選択したいのであれば問題ない。

 ただ、その規格に合わない人たちは、自由にしてあげなさい。

 キリストを信じないと天国へ行けないなんて、とんでもない。

 


●その人のしたいようにするのが

 心の命ずるままに、体が何かに突き動かされて成すままにすることが

 結果として起こっていくそのことが

 一番の真理であり、真実なのである。

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