やもめと裁判官のたとえ② ~ギャンブルのススメ~
【やもめと裁判官のたとえ】
イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。
ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。
ところが、その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては、『相手を裁いて、わたしを守ってください』 と言っていた。
裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。しかし、その後に考えた。
『自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、ひっきりなしにやって来て、わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない。』
ルカによる福音書 18章1~5節
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ヘンな前置きをすると、今日のお話は一般受けしないと思う。
それでもよければ、まぁどうぞ。
この聖句は、前回一度扱って記事にしているものである。
でもあえてまた、別の視点からこのお話を読み解いていきたいと思う。
話自体は、それほど難解なものではないだろう。
「あきらめるな」という単純な話である。
人を人とも思わない裁判官に、何度も懇願することで願いが叶った話。
ここを落ち着いて読めば、ちゃんと分かることがひとつある。
あくまでも、「やもめの願いが実現するためのハウツー」について語っているにすぎない。
やもめの一番の願いは、自分のためになる裁判をしてもらえばいいということであって、裁判官がやもめのことを正しく知ってためになる裁判をする、という理想的な「動機」までは要求してはいない。もちろん、そうなったらそうなったで素敵なことではあるだろうが。
事実裁判官はただ自分の利害のために結果としてやもめの意向に沿う行動をし、そこに理解や同情といったものはなく、「真心が通じた」などということも一切ない。
つまり、この話は 「思いを貫けば、真心は相手に通じる」とかいう美しい話ではない。だって、相手の動機に愛はなく「ウザい」からそうしただけ。だから、結果さえ良ければ過程はどうだっていい、という話……になるのか?(笑)
でも、スピリチュアル好きな人は、「思いが通じる」「真心は伝わる」という話が大好きだと思う。でもイエスはここで、あえて「祈り願ったら裁判官に真心が通じた」という美談にしなかった。たとえ話なんだから、どうにでも話は作れるのにもかかわらず、だ。
イエスのこの「決して美しくない例え話」はどう読めばいい?
●あなたの意識は、他人を変えたり動かしたりできない。
ただ、他人に選択の可能性のひとつを見せるために、チラチラ相手の目の前を動き回ることはできる。
人でなしの裁判官をして、やもめに有利な判決を出させたのは、何?
やもめの切なる思い、本当の事情などはここで関係ない。
「何度もしつこく懇願してきた」という行動上の事実である。それが彼を動かした。
決して真心でも、ホンネの叫びでもない。そんなものをいくら込めたって、きっとこの裁判官には届かなかっただろう。だから、このケースは「非常にラッキーだった」と言う他ない。
他人は変えられない。その心情世界に介入は不可。その人の内的世界の決定に採用されるしかない。だから、個人が一生懸命他人を説得して相手が望んだ反応を示しても、それは「あなたがその人を動かした」「あなたの思いが通じた」のではない。
だから、イエスのメッセージは、こうも受け止められる。
●願望をかなえるための最良の手段は——
それが起こる可能性を少しでも高める努力をし続けることだ。
確実にかなえることはできないし、ここまでやったら叶う、という明確な基準もない。すべては、あなた以外の人間の気まぐれに左右される。
その「気まぐれ」に影響を与えそうな行動をとっていくしかなく、結果はお任せ。
まぁ、確かに「あきらめない気持ち」があればこそ、裁判官にしつこく願ったわけで。そういう意味からしたら、「思い(意識)が人を変えた」と言えなくもない。
でもやっぱり、直接的には「行動」である。
しかも、思いが通じたという感動的な話ではなく、向こうの都合がたまたこちらに有利に働いた、という程度の話である。
だから、願望実現とは「ギャンブル」だというメッセージだ。
相手を説得したいなら、相手が「うん」と判断する可能性を高めるために、打てる手を打つことである。で、チップを張ったら、ルーレットは回り、そこまでいくともう個人の努力も思いも及ばない領域である。球がどの数字に止まるか、それはもう祈るしかない。確実な願望実現などなく、すべては賭け事である。それ以上でもそれ以下でもない。
この世界は、「本来関係ないもの、ただそうであるもの(中立)」に対し、こちらが色々結び付けて物語 (解釈)を創り上げているだけである。だから、あなたが思いを尽くして誰かを説得できて、「私の思いが通じた!」という気持ちになっても、それはあなたの思いが通じて、相手を動かした……のではないのだ。ただ、そう解釈できるだけのこと。そういう物語に脚色できるだけのこと。
何度も言うが、あなたが他人を動かせる、なんて思わないほうがいい。
あくまでも、他人が自分の利益の範囲で、良いと判断したものを100%自分の意思で選んだにすぎない。あなたができたことは、その選択の可能性に寄与した程度。
もちろん、ケースとして相手自身が「あなたの想い、通じたわよ!」なんて言ってくれることもあるだろう。でも、それは究極には勘違いである。その人は、結局自分が選びたいからそれを選んだのだ、という身もふたもない事実に気付いていないだけ。こんなことを言うと、人を混乱させそうだし嫌われそうだが——
●あなたがどんなに意識の力を使っても、思いを込めても、一切他人や現象を動かす決定打にはなり得ない。
あなたが誰か他人の選択を支配することは絶対にない。
(そう「見える」現象はある)
どんな選択であれ、最終的にはその本人が100%決断したことと見ていい。
結局、今日何を言いたいかというと「人の思いなんて通じませんよ」と言って嫌われたいからでも、あなたを不愉快にしたいからでもない。ただ——
●バランス感覚をもっておいてほしい。
思いは通じる! なんて思ってうまくいくのは朝ドラの世界と、顔の良いアイドルくらいである。
そんなことを本気で思えるのは、まだ「限界」を知らない、若い魂。
でも、そういう魂は言うだろうな。
「おじいちゃん、苦労したんだね。気持ちは分かるよ! 自分がした経験がすべてで、それだけで他もみんなそう! って思っちゃってるんだよね! 自分で限界を作ってるんだよね! かわいそうに」
つまり、この世界でどうやってもできないこともある、というのは頑張ってできなかった人間のひがみと決めつけに過ぎない、と思われるんだろうね。いやぁ、若いっていいねぇ。
ええ。どうせ私は偏屈な年寄でございますよ。
基本、思いが通じることなんてない、というのは寂しい発想だろう。
しかしメリットもある。万が一の時、正気を保てる。希望が無残に打ち砕かれた時、まだ立ち上がれやすい。
もちろん、これは必要な人だけが参考にしてくれる程度でいい。受け入れたくない人や、今のところ人生がうまくいっている人、あるいはうまくいってなくても 「それでも、私は思いは伝わると信じる!」という元気な人は、今回のお話は無視してもらってかまわない。
イエスは、今日紹介したような「思いが通じない話」をした。
まるで、「そういう世界なんだし、結果オーライなら過程なんて別にいいだろ?」 とも言いたげだ。
確かに、「思いが通じた、キレイな願望実現でないとイヤ!」なんて、身の程知らずの贅沢。それだけイエスは宗教的・スピリチュアル的というより「実際的・現実的」な人だったのかも。
蛇足だが、まさかこんな人いないよね?
●やもめの願いを、神様が聞いた。
結果神様は、裁判官がやもめの心情を汲んでためになる判決を出させる、というベストな現象にはしなかったが、とにかく裁判官の心を操作して、やもめの願いをかなえてやった。
つまり、裁判官にこそ通じなかったが——
「神様(何がしかの思いをかなえる力を持つ存在)」には思いが通じた。
まぁ、自由だからどう考えてもいいけど。
私は、数十年かけてこれを卒業した。クリスチャン歴長かったからね……
仕掛け人はすべてあなたである。しかし、この世界のお芝居の中では、「自分が仕組んだ」とはどうしても思えない仕組みになっている。
結局、今の私はこういうスタンスでいる。
●すべてに期待しない。
ただ、自分がしたいことや願っていることのためには、打てる手をできる限り打つ。その結果に関しては、まるっきり受け入れる。
もちろん人間なので、喜んだりがっかりしたり、人間らしい反応というものは起こる。でも、最終処理としては、「それはそういうものなのだ」という手放しである。
期待しない、と言ったが本当に全然期待しない、ということではなく「せっかくこの世界に生きている以上特権として、期待したいからする」。
まるで、おままごとで「子ども銀行」のお札をお金として扱うように、失おうが得ようが、それで自分の本当の「幸せか不幸か」なんてことを決めないのだ。
どのように見えても、すべての選択はあなたが100%選んでいる。
あなたがどんなに教え諭したとしても、その人が何か決めたのならそれはその人が100%。
あなたはあなた自身の世界では王だが、他人のフィールドでは何もできない。
ただ、映像と音声として登場できるだけであって、それをどうとらえるかはその人の解釈にすべてを負うこととなる。あなたの気持ちが相手を動かす、などということはない。
また、あなたが「~に決めさせられた」「自分ではなく、~さんの意向で」と自分の選択に全面的責任がないようなことを思うかもしれないが、すべてあなたの 「自分の人生の主人としての選択責任」 である。
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