イエス、12人の弟子をハケンする ~宇宙版労働基準法~


 その後、主(イエス)はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。そして、彼らに言われた。(以下一部省略)

「行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。財布も袋も履物も持って行くな。途中でだれにも挨拶をするな。 その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからである。家から家へと渡り歩くな。 どこかの町に入り、迎え入れられたら、出される物を食べ、その町の病人をいやし、また、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。」



 ルカによる福音書 10章1~9節から抜粋



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 この世の中では、とりあえずお金がないと生きていけない。

「お金がないと息すら吸えない」と言っても言い過ぎではないほど、社会生活全般が貨幣経済を中心に回っている。だから、きれいごとはとりあえず置いておいてでも、お金を得なければならない。

 ほとんどの人は、そのために「仕事」に就く必要がある。

 ちゃんと契約をして、定められた仕事を契約通りこなすことで、お金がもらえる。

 これからする話は、真理でもなんでもない。正しい保証などどこにもない、私のインスピレーションのたわごとと思って聞いてほしい。



 この世界では、ちゃんと正式に働いた分、お金を稼げる。

 ただ、それは人間が独自に定めた「労働」であり、それに対して払われる報酬も、人間の判断で行われるものである。しかし、人間同士の契約や価値観などとは関係ない、「労働の価値に関する宇宙基準」というものが実は存在する。



 人間の世界では、1時間にこれとこれはちゃんとする、という業務内容を確かにこなしたことで、「1時間働いた」と認められ、時給が支払われる。

 言い換えれば、いくらあなたが体を動かそうが、何かをこなそうが、なにかの組織と契約をしていなかったら、あなたの労働に対して幾らが支払われるという取り決めがないなら、1円にもならないということだ。



 たとえば、売れる作家になることを夢見て毎日コンクールに応募する作品を書き続けている作家志望の人間が、いくつ作品を書き上げても、それ自体はとりあえず1円にもならない。

 M-1グランプリで優勝して、売れっ子漫才師を目指そうといくらネタを練習しても、やはり1円にもならない。ちなみに私が日々こうやって記事を更新しているのも、それ自体は(今のところ)1円にもならない。

 ただしこれは、人間世界の「地の次元」 の取り決めに過ぎない。

 それとは関係ない、天の労働基準が存在する。

 その基準とは、おおざっぱに言うと以下のようなことである。



●その人に仕事があるか、失業しているかどうかに関係なく——

 どこかの誰かに、あるいは社会に、良い影響を与えたり貢献した時。

 たとえ、その人が契約によってお金をもらえる環境になくても——

 何かの形で、報いが来る。



 たとえば、よく聞くのが下積みの長い芸能人が夢をあきらめず、たとえ見返りが少なくても自分ができることを誠実に、精一杯やっているとある時チャンスが到来し、ブレイクするというケースである。

 人間の労働契約基準ではなく、天法基準で明らかに他者に貢献しているので、それでも本人がそれに見合う報酬を受け取っていない場合に、「バランスを取る措置」が執行される。

 ある作家志望や漫画家志望の人間が、たとえチャンスに恵まれずとも、たゆまず質の高い作品を書き続けて誰かを感動させ続けていたら、やがてその「天の基準の労働」にふさわしいものを受け取るようになる。



 かつてイエス・キリストは、地方に教えを伝えに単身旅立つ弟子に、「財布も袋も履物も持って行くな」と指示した。これはいわば、「何も持って行かなくていい」と言っているのと同じ。また「出されたものを食べろ」というのも、食費に関しても一切心配しないでいいということだ。

 私たちはすべて即物的に物事を考えるので、そういうことを言われると不安になる。色々と現実的にシュミレーションするからだ。たいていは物事を悲観的に考えるので、「もしうまくいかなかったら? 飢え死にしないか?」なんて思ってしまうだろう。

 イエスは恐らく、「天の労働基準法 (人間の世界の取り決めとは別の、宇宙版労働基準法)」を知っていたものと思われる。確かに、人間同士の取り決めの土台がなければ具体的金銭にならないが、「本当に人のためになること」 をしたならば、それは天が放っておかない。必ず、その行為にふさわしい代価が、宇宙がバランスを取るための力学的措置として支払われるということ。



 働く者が報酬を受けるのは当然だからである。

(その働く、は契約により実際に賃金が発生することに縛られない)


  by イエス・キリスト



 だからイエスは、人間基準でお金が入ってくるシステムに乗っていないからといって、そうビクビクするなと言ったのだ。あなたが誠を尽くすなら、それは必ずあなたに返ってくるから、と。



 …と、ここまで書くと、「筆者さん、一体どうしちゃったんですか?」と言われそうだ。

 明らかに、私が普段主張している大筋とは、毛色が全然違う話だからだ。

 頑張れば頑張った分報われる、というのは、私が率先して否定しそうな内容だからね! 安心したまえ。このお話には、絶望的なオチがあるのだ。

 それは——



●天の基準は、人間側の都合や価値観を無視したものである。

 よって、ちゃんと(次元を超えた基準で)あなたの労働に見合う相当量の見返りが返ってきてはいるのだが、あなたの側で「そうは思えない」状況というのは生じる。

 人はこれを「理不尽」とか「報われなかった」などと評価するが、真実はそうではない。

 むこうは、ちゃんとふさわしいものをくれている。ただ、あなたにそれを「見る目」がないのである。



 例えば、芸能人を目指して頑張ったが、結局芽が出なかった人がいたとする。

 あるいは、一生絵を描き続けたが、結局世に認められることはなかった人とか。

 人間の単純な頭では、芸能人になろうと努力することの正当な報酬は、やはりその目標がズバリ達成されることでないといけないと考える。それ以外は失敗と捉える。

 しかし、天(別次元)は人間のようには考えない。もっとアバウトである(笑)。

 有名にはならなかったけれど、素敵な人生の伴侶と巡り合って、小さいながらも幸せをつかんで一生を終えるかもしれない。それは、「別の形で報酬が支払われた」のであるが、人間側があくまでも「目標の達成」にこだわり続けるならば、せっかく目の付け所を変えれば「幸せ感いっぱい」になれるのに、「オレは夢を実現できなかった」と愚痴る一生になりかねない。



 別の形で支払われても、それが人間側にとって「良いこと」と感じられるならまだ救いがある。人生の難易度の高いのは、天の側が「どうこれ、いいでしょ?」と胸を張って支払った報酬でも、人間側には「最悪」「報酬どころか罰則」のようにしか考えにくい形のものもあるということだ。

 頑張っても報われるどころかなお苦労が増す時、「よかったね! こんな貴重な苦労なかなかできないよ~」と天が自慢げに報酬を支払っても、人間の都合はそんなこと喜べない。「なんでやねん!」で終わりである。



●この世界の悲劇の原因は、労働者である人間と、報酬を払う経営者である天の二者の、価値観と精神構造がまったく異質である点である。



 だから、この世界において自分の都合で物事の良し悪しを測る限り、幸せになどなれない。

 ここで登場するのが、「視点の変化」である。何事からも、物事の良い側面を探し、転んでもただでは起きない、の精神をくじけず発揮する者である。

 結局、因果がないというのは天の視点の話。

 地の視点では、それがある。何かの力を加えたら、必ずそれに対して反動(起きる現象)がある。作用・反作用みたいなもので、必ずその時々で「ふさわしい」ことが起こっているとも言える。



 だから、この世界であなたが受け取る報酬は、例えるとギャンブルですな。

 あなたのした努力が、そのごとくちょうど望む形でかなうこともあり——

 天の不思議な基準のせいで、全然べつの方面で支払われることもあり——

 あなたの目には報酬どころか、マイナスに思える現象として映る場合がある。

 だから、報酬をちゃんと報酬として受け取るための秘訣は、いかに「天の意図・基準」を想定できるか。その想像力・発想力・解釈力にかかっているといっても過言ではない。「目に映るすべてのことはメッセージ」精神で生きれるかどうかである。

 だから、日々勉強である。貪欲に、外界から吸収することである。

 それを血とし肉とし、武器に変えることである。


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